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短編集72(過去作品)

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 記憶の中に“玉手箱”があり、それを今にも開こうとしているかのようだ。
 そうそう、あれは確か大学のキャンパスの中ではなかったであろうか。講義を終え、校舎から出てきたところへバッタリと出会ったのだ。あの時どちらが最初に気付いたのだろう。私だったような気がする。
 何となく気になって思わずジロジロ見てしまった私に対し、気持ち悪がる様子もなく笑顔を返してくれる由香。却って恐縮して真っ赤な顔になってるのに気が付いたかも知れない。
「うふふ」
 由香の笑顔は素敵だった。
 照れ笑いを返すしかなかった私だったが、スカイブルーのスーツに身を包んだ由香の大人っぽさにしばし見とれていた。
「照れるわよ、そんなに見つめられたら」
 頬を真っ赤にする由香の顔が頭に焼きついた。その時決して彼女の顔を忘れることはないだろうとさえ思ったことを思い出した。
 たしかに忘れることはなかった。いくら日が経とうとも、その後に次々に新しい記憶がインプットされようとも、頭の中のどこかからすぐに鮮明なその表情を引き出すことができるのだ。
 でもあれは夢だったのかも?
 その後のことを今思い出そうとしている。記憶が少しずつよみがえっていく中、それが次第に夢だったのではないかという思いが深まってくる。確かにはっきりと思い出すことができるのはその時の由香の表情だけで、あとでどんな衝撃的なことが起ころうとも「夢の中のこと」として記憶されている気がして仕方がないのだ。
 それは思い出したくない記憶だった。夢の中だけなら許されることで、現実であるわけがない。そう無意識に自分に言い聞かせている。
 確かその後喫茶店に行き、コーヒーを飲んだ。学生時代によく行ってた喫茶店で、いつも常連でにぎやかなところである。もちろん私もその中の一人なのだが、なぜかその日はいつもいるはずの人たちがいなかった。
 人が少ない時間帯ではないはずだ。少なくともテーブルはほとんど埋まっていた。しかしそのほとんどが知らない顔で、みんな新聞やマンガを読むのに必死で、顔を確かめることのできる人は少なかった。
 したがって店内はシーンと静まり返っていて、聞こえてくるのは息遣いだけといった何となく変な雰囲気だった。息苦しさすら感じる空間だったが、由香のそんなことはお構いなしといった表情は印象的である。
 おや?
 冷静沈着な表情の由香が急に遠い存在に感じた。今まで会っていない時間以上に距離を感じるのは、そこに何かしらのカベのようなものがあるからかも知れない。
 それが一体どこから来るのか、私に想像がつくわけもなかった。
 苦くて濃いことで有名なその店のコーヒーを一口口に含む。かなり懐かしい感じがするのは夢の中だと無意識にでも分かっていたからだろうか。一口目に感じた苦さは、二口目から次第にまろやかさへと変っていき、芳醇な香りをいつも楽しませてくれる。いつまでも残るその香ばしさが、この店の売りであった。
「おいしいわ」
「そうだろう?」
 私が最初に感じたおいしさを、今彼女が感じてくれているのだと思った。そう思っただけで幸せな気分になれる自分に酔ってもいた。
 しばし、由香の顔を見ながらコーヒーを口に運んでいた。由香の表情から目が離せず、ずっと見つめていたのは、見ていたいからではなく本当に視線を逸らすことができなかったのだ。
 コーヒーカップを口に近づけるというより、口をコーヒーカップに近づけるように飲んでいる姿はまるで子供のようで、小学生の頃の由香を思い出させ、ほのぼのした感覚を私に思い起こさせた。
 熱いコーヒーをフーフーしながら飲んでいる。私の見つめる姿がまったく目に入らないのか、コーヒーを飲むことに専念しているようだ。
 それが可愛らしさを誘い、私の顔も次第に綻んでくるのが自分なりに想像できる。
 店内は暖房が入っていて、コーヒーの香りが充満しているが、香ばしさが漂ってくるにしたがい、少し眠気を感じてきた。
 おいしそうに飲む由香の表情に安心したのか、眠気を感じてからというもの、一気に襲ってくる睡魔にどうすることもできなくなっていた。由香の表情を見つめること以外に視線を向ければ、一気に睡魔に落ちることは間違いなさそうで、そういうこともあり由香の顔から目を逸らすことができないでいた。
 睡魔と闘いながらの私の顔は、さぞかしすさまじい形相をしているに違いない。まるで般若のような表情では? と思ってみたが、それでも由香は私の視線に気付かない。私がこれだけ見つめているのに気付かないのはどうしてなのか少しずつ疑問を感じてきた。
 と、そう思った時である。由香がこちらを振り向いた。
 少し驚きが混じっていたが、その表情には照れ臭さが浮かび、はにかんだような感じが可愛らしい。
 しかしそれからまもなくすごい勢いで変っていく由香の表情に、私も睡魔などに襲われている場合ではなくなっていた。
「うううっ」
 声にならない声を発したかと思ったら、みるみるうちに顔が紅潮していき、唇が小刻みに震え出した。
 かっと見開いたその目に、一瞬かなしばりにあってしまった私は、今彼女の中で起こっていることへの理解ができないでいる。
「毒を盛ったわね」
「えっ?」
 私の手にはいつの間にか、褐色のビンが握られていた。中には錠剤が入っていて、ラベルを読もうとしたが、アルファベットで書かれているため分からない。たとえ日本語で書かれていても分かるはずはないのだが、それでも目の前の状況からそれが毒薬であることは明白だった。それ以外に手に持っているビンの説明が成り立たない。
 身体から震えが止まらない。なかなか状況が掴めないままでいる中、襲ってくる耳鳴りと体中から吹き出しそうな汗のため、喉は渇ききっていた。生唾を飲み込むが、喉の奥で感じた痛みはすぐに取れるものではなさそうだ。
 ガタガタと鳴っている歯の間から、発せられる声もなく、しばし立ち尽くす私にまわりを見る余裕などなかったはずなのだが、目のやり場に困った私はまわりを見渡していた。
 しかしどうしたことだろう? まわりの誰一人として私たちの席の異常に気付いていないのか、平然としているではないか。まわりを気にし始めたせいもあってか、今まで耳鳴りしか聞こえてこなかった耳にざわめきが聞こえる。そこには笑い声さえ混じっていて、まさに昼下がりの喫茶店そのままである。
 いったいどうしたんだ?
 その考えが次第に夢であるという認識を導く。普通この状況から夢だなどという思いが浮かぶなど考えられないと思っていたのだが、意外と冷静になれる自分にびっくりしていた。
 夢なら、どうってことない。
 心の中で言い聞かせているが、震えは相変わらず止まらない。目の前で断末魔の表情を目の当たりにしているのにもかかわらず、それすら自分の想像であることを感じながら、不思議にすら思わない。
 それこそ夢の世界なのだ。
 そう思った瞬間、私の予想が間違ってなかったことが証明された。想像したとおり、気がつけば布団の中にいたのだ。
 背中がどうも気持ち悪い。ぐっしょりと掻いた汗を、背中に集中して感じ、次第に全身に気だるさが漲ってくる。
 やはり夢……、それにしても何て後味悪い夢なんだ。
作品名:短編集72(過去作品) 作家名:森本晃次