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短編集72(過去作品)

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 大学時代に所属した写真部で、写真の魅力に取りつかれた私は、給料の半分近くを撮影旅行につぎ込み、せっせと集めた写真を厳選し、懸賞に送ったりしていた。
 その甲斐あってか最近ではいくつか入選を果たすようになり、趣味が実益を兼ねるような気分になっていった。そういう意味で充実はしている。
「じゃあ、充実しているんだね」
「ああ」
「それはよかった」
 一瞬啓介の溜息のようなものを聞いた。あまりの一瞬で啓介を知らない人なら見逃していたであろう。しかし、その癖は昔から変っていないもので、輪つぃの知る限りでは、今の彼が充実した毎日を過ごしていないという推測が成り立つ。
「でも、君も毎日が楽しそうじゃないか」
「ああ、楽しいといえば楽しいかな? でも充実しているかどうかは疑問だよ」
 楽しいイコール充実しているとは確かに言えない。楽しくても後で考えると虚空感が残ったり、充実した毎日を送ることで、満面の笑みを浮かべられるとは限らないからだ。それでも私は “どちらがいいか”と聞かれれば、迷うことなく“充実感のある方がいい”と答えるだろう。充実感を一度でも味わったことのある人はその味をなかなか忘れられるものではないからだ。
 啓介の顔に宿った淀みを、一瞬だったが感じ取ることができた。やはり充実感が得られていないからだろうけれど、何とか探そうとして見つからない結果なのか、それとも、見つかりっこないと最初から決め付けてのことなのかは分からない。
 その日は、学生時代の懐かしい他愛もない話に花を咲かせただけで別れた。しかし連絡先をお互い交換しあったこともあって、数日後に啓介の方から連絡があった。
「忙しくないなら例の喫茶店で」
「うん、少しだけならいいよ。連れもいるし」
 一時間だけという約束で待ち合わせた。“連れ”というのは泰恵のことで、その日は二人で会う約束の日だった。
 元々一週間のサイクルで忙しい曜日と暇な曜日がはっきりしている二人なので、お互いに暇な曜日に会う約束が暗黙に決まっていた。もし会えない時や予定が変わった時だけ、連絡を取ることになっている。
「幼馴染みと少しだけ会うんだけど、よかったら一緒にどう?」
「ええ、いいわ。私も一緒にいていいの?」
「うん、いいよ。一時間足らずだけどね」
 あっさりと三人で話すことが決まり、啓介に泰恵を紹介することになった。
「へぇ、可愛い彼女じゃないか」
 啓介は泰恵を見るなり、そう言った。私としてもまんざらではない。いきなり彼女と言われて泰恵がどんな反応をするかと思いすぐ振り返ったが、ほのかに火照った頬に照れ隠しの笑みが浮かんでいるように見え、私は満足感に溢れていた。やはり連れてきて正解だった。
 私が自信を持って頷くと、
「お似合いだよ」
 と言って目を細める啓介の視線は泰恵に向けられていた。目を細めてみているその表情に、何とも言えない優しさのようなものを感じたが、その時の私に啓介の本当の気持ちなど分かるはずもなかった。
「ところで何か相談事でもあったの?」
 さっそく本題に入った私の方をびっくりしたように振り返った啓介だったが、すぐに落ち着きを取り戻すと、
「ああ、大したことではないのだが、急に顔が見たくなってね」
 学生時代から、啓介の“顔が見たい”は何か相談事があるのだが、面と向かって言いにくい時の最初に出てくる口癖のようなものだった。
 しかしそんなことを知る由もない泰恵は、じっと啓介の表情を見ていたが、それが好奇に満ちた表情であることを、その時の私はまだ分かっていなかった。
 その日どんな会話をしたのか、正直ほとんど覚えていない。
 だが、後から思い返すと、その日泰恵と啓介の間に最初から不穏な空気が漲っていたような気がしてならない。もちろん、最初そんなこと、まったく分かっていなかった私だったのだが……。
 啓介ともその後何度か会って酒を呑みに行く仲だった。どちらから呼び出すというわけではなく。しかも最初から約束を取り付けてからというわけでもない。いつも思いつきでどちらからか携帯に電話があり、その日予定がなければ、速攻で呑みに行くというものだった。
 話題があるわけではない。会社や、それにともなう人間関係に対しての愚痴を言い合ったりと、普通の“飲み友達”だった。もちろんその日のうちに速攻で決まることもあって
 泰恵を誘うこともない。いや、正確に言えば、一度誘ったのだが、彼女の方が断った。予定があるというのがその理由だったが、今から考えれば最初から三人での飲み事を嫌っていたような気がしてならない。
 相変わらず決まった曜日に会っていた二人だったが、その時の泰恵に変わりはなかった。いや、そう思っていたのは私だけであって、今までであれば、愛を確かめ合う合言葉が最近では彼女の方で疎ましくなっているようだ。
 どちらかというと、私は好きな女性に惜しみなく “愛の言葉”を浴びせる方だと思う。相思相愛の仲なら相手もそれを望んでいるはずだし、それによって愛が確かめ合えれば、越したことないというのが私の考え方である。
「待っててくれたんだね」
「ええ、待ってたわ」
 そういった愛を確かめ合う言葉も私たちにとって“愛の言葉”であった。
 ある日二人で会った時のことである。最初二人がお互いを見つけた時の顔にはいつものように安心感と相手への愛から自然に零れる笑みが浮かんでいた。
 いつものように私が
「待っててくれたんだね」
 と言った時、一瞬黙り込んでしまった泰恵に、私は少なからずの不安感を抱いた。
「ええ」
 と、やっとそこまで答えた泰恵の表情は曇りがちで、その後どう言葉を続けていいか迷ってしまったのも致し方ないことだった。
 それでもいつものように差し出した私の左腕にしがみついて来る泰恵の温もりを感じた時、私の不安はどこかへ飛んでいってしまったかのような気がした。
「どこに行こうか?」
 いつも私の後ろを黙ってついてくる泰恵に対し、とりあえず聞いてみる。いつもであれば、何も答えないはずの泰恵だったが、
「ホテルに行きましょう」
 それだけ言うと私の腕を引っ張るように、ホテル街へと歩を進める。その間彼女は私の方を一切振り向こうとせず、ただひたすら前を見て歩いている。私のチラチラと向ける視線が分かっているはずだと思うのだが、表情にテレ隠しは感じられず、何やら思いつめたようにさえ思えた。
 いつもは煌びやかなネオンサインを気にもせずに来るのだが、今日はそれが淫蕩なものに感じ、泰恵の顔を淫靡に染めていた。
 部屋に入るまでの彼女の表情に何ら変化はなかった。真一文字にきつく結んだ唇に、何を焦点に合わせていたか、ただしっかりと一点を凝視するがごとく開かれた眼はもはや私の知る泰恵ではなかった。
 部屋に入ってからいきなり抱きついてきた泰恵も身体は温かかった。首筋から頬にかけて指先を這わせたが、身体全体から感じる温かさはそこにはなく、冷たくなっていた頬を優しく撫で上げた。
「ああ」
作品名:短編集72(過去作品) 作家名:森本晃次