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短編集72(過去作品)

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再生



                 再生


「気を楽にしてくださいね」
 消毒液の匂いが一瞬鼻についたかと思うと、腕にヒヤッとした冷たさを感じた。風などないはずの室内で、腕のその部分だけがスースーと風が当たっているかのようで、心地よい。
――腕も生きているんだな――
 毛穴から息吹きを感じる。二の腕を締め付けられていることもあり脈打っているところにアルコール消毒である。目を瞑れば毛穴からの息吹きとともに浮かび上がる蒸気が見えてくる気がしてくる。
 条件反射とでもいうのであろうか? アルコールを肌と鼻の両方で感じると、思わず身構えてしまう。看護婦さんが腕を擦るのを感じると、次に迫ってくるものが注射針であることを身体が覚えているのだ。
 今まであまり見たことのなかった針が刺さる瞬間だったが、その日は自分の目で確かめていた。深く侵入してくる針の傷みを、まるでどこか遠くで感じていたような気がする。「少し痛いですよ」
 その言葉さえ、どこか遠くから聞こえてきた。
 針から伸びる白い管が、次第に真っ赤に染まっていく。身体の中から抜かれているなどまるで信じられないふうに、ただ呆然と見つめるだけだった。
――このまま眠ってしまったらどうなるだろう――
 身体からすべての血がなくなってしまったら、一体どうなるのかという疑問を、以前考えたことがあった。くだらないことでも、気がついたら追求しないと気が済まない。もしそこで結論が出なくとも、それはそれで頭の中に残っている。いつか必ずまた思い出してその時の自分が解決してくれるだろうと思うからである。
――まず、ある程度まで来たらショック死するだろうな――
 それが確かあの時の結論だった。一定量の血液を抜かれると死んでしまうというが、その前にショック死するという思いである。
 ビルの上から投身自殺する人がいる。
 死ぬ前に“地面に衝突したら痛いだろうな”と感じることがあっても、実際にはそれはないらしい。もちろん死んだ人に確かめることはできないので、はっきりとしたことではないが、たいていの場合、地面に叩きつけられる前に掛かる加速度による圧力で、ショック死するものらしい。
 それと血液を抜かれていく場合と一緒だとは言わないが、同じような効果が身体の中に起こっても不思議はない気がする。
 しかし、血液が身体から抜かれている時というのは、何とも言えない気持ちになる時がある。“恍惚”とまでいうと大袈裟かも知れないが、それに似たものを感じる。
 血が身体から抜けていく時、“ドラキュラ”の話を思い出した。
 美女に近づくドラキュラ貴公子。血を吸われている美女たちは何の抵抗もなく、まるで力強い男の腕の中ですべてを任せているかのようにうっとりとしている。それはまるで催眠術に掛けられているがごとくであり、普通の男女の営みと何ら変ることのないもののように描かれている。
 私は最初それが分からなかった。どう考えても催眠術などの術によって感覚を失った女性の生き血を吸うのが“ドラキュラ伯爵”の話なのだろうと思っていた。
 しかしどうもそんな単純な話ではないような気がする。血が身体の中から抜かれていく時の快感を覚えると、ドラキュラの話自体がまるで官能小説のように思えてくるから不思議である。特に“ドラキュラ”が好むのは“若い女性”に限られているではないか。
 日本の昔話の中でも、“浦島太郎”がSFチックな話であるがごとく、意外と昔話の中にこそ、いろいろな思惑が隠されているような気がする。それはノストラダムスの四行詩に代表されるように、その時代背景にある“表現の自由”への制限が素晴らしい文学となり後世への系譜として残されているのかも知れない。
“浦島太郎”の書かれた時代に、もちろん相対性理論などあろうはずもない。しかし、誰か宇宙に思いを馳せ、素晴らしい説を頭の中で持っていたとしても宗教的な弾圧のあった時代に受け入れられるはずもない。“宇宙”でだめなら“海底”、そう思ったとしても不思議のないことだ。
“鶴は千年、亀は万年”というが、その亀の背中に乗っていくというところがニクイではないか。時を一気に駆け抜けるというラストシーンへの複線が“亀”だったと思うことは、決して考えすぎではあるまい。
――それにしても硬くて滑りやすい亀の甲羅の上に乗り、掴むところがないだけではなく手に釣竿やびくを持ったそのままの体勢で、よく振り落とされなかったものだ――
 さらに、
――そもそも、海の中でどうやって呼吸するのだろう? ――
 というとりとめのない考えが、頭に浮かぶ。
 身体から血が抜かれていく瞬間は、まるで眠りに落ちていく時と同じような効果があるのか、不思議と想像が膨らんでいくのである。
「お前は元々、血の気が多いから、献血にでも行って少し抜いてもらえばいいんだよ」
 友達からそう言って笑い飛ばされたことがあった。
「献血なんて気持ち悪いだけだよ」
 自分の腕に刺さった針から、管を通して血が抜かれていくなど、考えただけでも気持ち悪い。
 以前、体調を壊し病院通いしたことがあったが、その時受けた点滴に気持ち悪くなった覚えがある。薬が入っていくのだから別に気にすることなどないのに、長時間だから余計に気持ち悪さが印象に残った。
 しかし騙されたつもりで血液センターの扉を開くと、意外にも献血者で溢れていた。そこは清潔感に溢れていて、今まで自分の抱いていた“出張献血”のような、仮設になった人が犇めき合うようなところではなかった。
 何よりも“人助け”という思いが強く、それでありがたがられる献血は、なるほど人気があって不思議はない。それからというもの、やみつきになってしまった。
――新しい血がどんどんできるんだから、血液が入れ替わって、却って健康的だ――
 そういう話を聞いたことも私をやみつきにさせた要因でもあった。
 トカゲのような爬虫類は、しっぽが切れてもまたすぐに生えてくる。
 血液が入れ替わる話を聞いた時、なぜか頭の中でトカゲのイメージがあった。しかも普通のトカゲではなく、イグアナのイメージだ。
 血を抜かれている時というのはいろいろなことが頭を巡るらしい。それが私だけのことなのか、それとも他の人にも言えることなのか、それは自分では分からない。しかし血を抜かれている時の他の人の顔を見ている限り、私には皆恍惚の表情に思え、大なり小なり潜在的な意識が顔を出しているような気がして仕方がない。
 私はAB型のため、よく成分献血をお願いされる。いる成分だけを抜くため、抜いた血液を分けて、いらない分をまた身体に戻す。それを五、六サイクル繰り返すのだが、そのため時間にして一時間半ほどかかるのである。
「最近は成分献血される方も多いですからね」
 血液センターの人の言うとおり、確かに皆時間が掛かっているようだ。リクライニングシート型のベッドの前にそれぞれビデオ付きテレビが配置されていて、センターに常備してあるビデオラックから、各々好きなビデオを借りて見ることができる。モニターに皆集中していて、そうすることで、時間の経過をあまり気にすることなく過ごすことができるのである。
作品名:短編集72(過去作品) 作家名:森本晃次