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短編集72(過去作品)

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 一人で黙々と呑んでいるわりには、それほどの量は呑んでいないように思える。しかし確実に目は座っていて、猫背気味から見つめているその視線は、確実に我々を捕らえている。いや、我々というよりも私に集中していて、その真意は掴みきれない。
「おや?」
 その男を見ているうちに、今日初めて会ったはずなのに、まるで昔からの知り合いだったような気がしてきたのはなぜだろう? 似た人を知っているのだろうか?
 顔もさることながら、どちらかというと目のまわりや目つきにそれを感じ、まるで「ヘビに睨まれたカエル」の様相を呈している。
 ここから男までの距離は座席数にして七席ほどで、結構離れているにもかかわらず、私にはなぜか男の瞳に映し出された私の姿が見える気がした。
吸い込まれそうなその視線の奥に私の姿が写っている。そう感じただけで今の私の表情が目を瞑ると瞼の奥に写っているから不思議だった。
 何て情けない表情をしているのだろう?
 今までも自分がその時どんな表情をしているのかと思って、想像してみたこともあったが、どうしても瞼の奥に画像として写らない。ほとんど鏡を見た時の表情しか知らないので仕方のないことである。それというのも鏡を見つめる自分が無意識に表情を作っているからで、本当の意味での喜怒哀楽の表情を私は知らない。
 しかし不思議なことに男に見つめられていると思った私の緊張感とストレスが、少しずつ軽くなっていくのを感じた。課長の独演が今までは私ひとりに浴びせられているものだと思っていたのだが、聞いていてそれほど苦にならなくなったのはなぜだろう? 気持ちの中で客観的に感じているからに違いない。
 そこから先は今までと違い、感じていた時間の長さがあっという間に過ぎた気がした。あまり溜まらなかったストレスが功を奏したのだろうが、それにしてもこれほど時間に対する感覚が違うのも初めてだった。
 二度、三度と瞬きをした。瞼の奥に残るはずの光景が、今まで見ていたものの残像ではない気がする。入り口の暖簾を背景にこちらを見ている男の影が残像として残っているはずなのにである。
 最後に強く目を閉じ、数秒待ってゆっくりと開いてみる。
 するとどうだろう。残像どころか見えているはずの光景がまったく予期せぬものに変っているではないか。
 いや予期せぬものとは的確な言葉ではない。頭の中では思っていても認めたくない気持ちが強いものである。
 目の前には二人の男がいて、そのうちの一人がこちらをこれ以上ないというほどに目を開け、ポカンと開いた口がさらに男の驚きを表わしてた。
「どこかで見たことのある顔……」
 一瞬、そう思ったが、次の瞬間心の底からこみ上げてくるおかしさで、思わず声が出そうな気がした。そうなのだ、その顔はまさしく鏡で見た自分の顔である。
 しかしその顔は意識して表情を作っている鏡に写る自分ではなく、明らかに無意識に滲み出ている驚愕の表情だった。カッと見開いた目は焦点が合っておらず、バカみたいに開けている口はモグモグと動いていて、他人が見れば滑稽でしかないが、本人が見ればこれほど情けないものはない。
 立場が逆転したのだろうか?
 私は課長の愚痴を聞かないで済んだと思って、ホッとした気分で眺めているが、実際に今の私の中はどうなっているのだろう?
 立場が逆転したのだとすれば彼が私に代わって愚痴を聞いていることになる。少し気の毒な気がした。
 冷静に考えれば、もしこのまま入れ替わったまま、元に戻らなければどうしようという思いが次第に強くなる。私もそうだが、相手の男も同じではないだろうか?
 しかしそんな心配は無用だったことが、すぐに証明された。
 こちらを見ている“私”が二度、三度と瞬きをした。先ほど私がこちらに向けてしたのと同じようにである。
 すると私の意識は瞼を開けるところから再度始まっていたのだ。開いた瞼の先には入り口近くにいる男がこちらを見ながらコップを口に運んでいる姿が見える。私の驚きとは裏腹に、その男はまるで何もなかったかのように無表情で、ただこちらを見つめているだけである。
 そう、あっけに取られている私を冷静な目が追い続けているだけなのだ。
 横を見るとすでに課長の愚痴は終わっていた。ひとしきり言いたいことを言ってすっきりしたのか、一人手酌で呑んでいる。もちろん私に何があったかなど知る由もないだろうが、それはそれで私にとっても都合のいいことだった。
 それにしてもさっきのは何だったんだろう? 自分の願望が幻となって現れたのだろうか? それとも幻でも何でもなく、私に備わった能力なのだろうか?
 いろいろ考えるが、不思議と不安感もない。ただ、同じことがまた近い将来起こるのではないかという何の根拠もない予感を強く持っていた。
「どうだった。かなり陰湿だったろう?」
 心配とも皮肉ともとれるような言い方で、翌日梶山がさっそく話しかけてきた。
「いや、そんなこともなかったぞ」
 さぞかし平然としている私に驚いているのだろう。そういえば、課長に誘われた始めた時の梶山は、悲惨を絵に描いたような顔をしていたのを思い出した。
「どんな話だったんだ?」
「そういえば、どんな話だったっけ。あまり覚えていないよ」
 客観的に見ていたのだから、覚えているも何も聞いていないのである。
 その話を梶山がどこまで信じたのか分からないが、不思議そうな顔をしていたのは確かである。
 しかし、その日の私は朝から変だった。
 それは通勤時間にさかのぼる。
 いつも出勤は電車を使うのだが、通勤時間としては約一時間と平均的ではあるまいか。家から駅まで徒歩で十五分、電車で四十分、駅から会社まで五分と、少し電車に乗っている時間が長めである。
 途中の駅で通過列車の待ち合わせがあるので、それも仕方のないことだが、さすがにこの路線は乗客が多く、なかなか座れないのが辛いところであった。
 最近は駅のホームや、電車の中のマナーの悪さが目につくようになった。今に始まったことではないのだが、それが最近はストレスとして自分の中に溜まっていそうであまり気分の良いものではない。
「気にするからだよ」
 同僚に話すとそういう答えが返ってくる。確かにそのとおりだ。別に気にしなければストレスも溜まることはないのである。
 あれはいつ頃からであろうか? そう、駅構内が全面禁煙となり、喫煙コーナーが決まってからであろう。ほとんどの人はそれを守っているのだが、朝のラッシュ時のように人が増えてくると、喫煙場所でないところ、特にホームの端の方で吸っている輩をたまに見かける。
 それまでそれほど気にならなかったタバコの匂いだったが、禁煙コーナーができたためタバコへの免疫がなくなっていた。それがいざ目の前で吸われると免疫のない分、禁煙者にとってこれほど気になるものはない。
 さらに灰皿がないところで吸うのである。当然吸殻は足元に落とすか、線路に落とすかであるが、ひどい奴になると後ろの草むらに放り投げる奴がいて、しかもそれは火が点いたままである。
作品名:短編集72(過去作品) 作家名:森本晃次