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短編集72(過去作品)

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 そこは赤レンガが基調の洒落た造りになっていて、看板にあるようなコーヒー専門店である。中に入ると真っ赤なかわいいエプロンのアルバイトの娘が注文を聞きに来たが、私のタイプでもある彼女に一瞬見とれてしまったくらいである。
 店の名も外観に相応しく喫茶「赤レンガ」とあり、まず忘れることのないストレートなネーミングである。
 コーヒーの香りが店内に充満していて、BGMはクラシック、まさしく私の好みの喫茶店である。注文したコーヒーも専門店の名に恥じぬおいしさで、こんな店が会社の近くにあったのかと思うと、今まで知らなかったことがもどかしく感じる。
「これが課長との待ち合わせでなかったら……」
どうしてもそう思ってしまう。
今度、個人的に必ず来てみたい店である。
しばし、店の雰囲気を堪能していたが、そんな楽しい時間もそう長くは続かなかった。
「待たせたね」
 そう言って顔に満面の笑みを浮かべた課長が入ってきた。私の楽しいひと時はその一言で一瞬にして粉砕してしまった。
「いえ」
 それだけ言うと、身体が硬直してしまった。会社の中での仕事上のこととは違い、表でも上下関係があると思うと余計な緊張感が走り、身体に余計な力が入っているのを感じるのだ。
「あ、私もコーヒー」
「ここはなかなかいい店だろう。最近見つけたんだが、君も時々来ればいい」
「課長はここをよく利用されるんですか?」
 さっそく気になっていることを聞いてみた。ストレートすぎたかと後悔したが、
「いやそんなことはない。ゆっくりするなら自宅の近くに馴染みの喫茶店があるからね」
 それを聞いて少し安心した。今度ゆっくり来てみようという思いがさらに深まった。
 最近なぜか考え事をしている自分が、本当の自分なのだろうかと悩む時がある。自分が分からなくなるのだ。そんな時、こんな店でゆっくりできたらさぞかしいいだろうという気持ちが心の中で次第に大きくなって行った……。
 店内に流れるクラシックが緊張感を少しずつ和らげてくれる。普通に話す分には、課長はいい人かも知れない。アルコールが入ると人間が変るタイプなのだろうか?
 それからしばらくは仕事での他愛もない話が続いた。
 時計を見るとそろそろ午後七時を回ろうかとしていた頃だった。
「じゃあ、そろそろ飲みに行こうか? 焼き鳥屋でいいかね?」
 と言い、課長は席を立った。
「はい」
 私もそれに続くように立ち上がるとそのまま課長の後ろをついていく。
 表に出るとさすがに夜の帳が下りていて、ネオンサインの瞬く中、課長の背中を見ながら歩くことになった。
 店を出ると近くの焼き鳥屋へと課長は連れて行ってくれた。ただ後ろをついて行くだけだったので、どこをどう通ったのか覚えていないが、どうやら駅裏の飲み屋街へと入り込んだようである。
 赤提灯が所狭しと並んでいる。それだけに華やかで、あまり飲み屋街に足を踏み入れたことのない私にとって、まさに神秘的な気がしてきた。
「まだ早い時間だからね。人もそれほどいないよ」
 そう課長は言ったが、あまり来たことのない私にとって、人の多い少ないは判断のしようがない。
 その中の一軒の店の暖簾をくぐる課長に店の中から威勢のいい声が聞こえてきた。
「いらっしゃい」
 軽く片手を上げて答える課長は、当然の馴染み客であろう。カウンター中心の店内はこじんまりとしていて、思ったより明るい店内にびっくりした。赤提灯というと暗いイメージがあったのだが、一瞬にして吹っ飛んだ気がする。カウンターの中の炭火焼の匂いが食欲をそそった。
 どうやら指定席が決まっているのか、店員の一人がおしぼりをまだ座っていない奥の席に置いている。阿吽の呼吸があるのか、すかさずあたりを見ることなく奥へと進む課長は心得ているようだ。
 入り口からでは死角になって分からなかったが、奥の席に座って落ち着くと、入り口のすぐ横の席に、客が一人で呑んでいる。誰もおらず一番乗りだと思っていたがそれは早合点であった。ちらっとこちらを見た気がしたが、それは一瞬のことで、あとは黙々と目の前の酒を呑んでいる。
 しかしビールを注文し、乾杯をするまではよかった。一気に乾杯のビールを飲み干した課長はそれからもどんどん杯が進み、それとともに舌も滑らかになっていく。
 それは私にとってあまりありがたくないものであり、想像していた悪夢が現実となった瞬間であった。
 最初こそ普通に話していた課長だったが、杯が進むにつれ鼻声になり、呂律が回らなくなっている。
 真っ赤になったその顔に浮かんだ表情の中でトロンと落ちそうな目の焦点は合っておらず、しかし下から見上げられているように見える瞳の奥からは何か刺すような視線を感じる。
 腕時計を見れば店に入ってから三十分も経っていなかった。どうしても嫌な時間を過ごすとなると気になるのは時間で、当然喫茶店からここまでの時間や、ここに入った時刻など鮮明に覚えている。絶えず気が付けば腕時計に目を落としていたのかも知れない。
「聞いてるか? 水谷」
 自然と高くなっている声に意識などないだろう。もうこうなっては逆らうことはご法度で、ただ黙って聞いているしかない。
「はい、ごもっともです……。はぁ」
 心の中でそう呟き、ため息をついていた。
 カウンターの中では店員が忙しく動き回っていて、聞いている様子がない。
 それにしても客は我々以外、入り口で一人呑んでいる人だけで、今のところ誰も入ってくる気配がない。奥の客も相変わらず黙々と呑んでいて、ただ時たまこちらを見る目が陰湿に感じられ、あまり気持ちのよいものではない。
――客が増えてくればどうだろう?
 課長が話をやめるとは思えないが他の人の話に打ち消され、少しは精神的に楽かも知れない。いや、それよりも客が一人だけというのが却って集中して見つめられている気がして、かなりのプレッシャーになる。その証拠に私を見つめる視線が陰湿ではないか。
 それにしても他の客はどうしたのだろう。いつも客の出足は遅い時間に集中しているのだろうか? まさかこれ以降我々だけということはあるまい。
 話を聞き始めてかなりの時間が経過した気がしていた。話の内容はそれほどたいしたことではなく、内容と呼べるものではない。たとえ違う話から入っても、結局最後は同じところに行き着いてしまって、聞いていてウンザリしてしまうのだ。
「まだ、一時間しか経っていないじゃないか」
 心の中で呟いたが、たぶんその思いは顔に出たであろう。しかし自分の話に悦に入っている課長にそんなことが分かろうはずもなかった。
 完全に課長は自分の世界に入っている。喜怒哀楽を前面に押し出し、身振り手振りといったアクションがオーバーになっていき、声のトーンは最高潮に達している。
「もう、聞いてられないや」
 とてもじゃないが耐えられたものではない。よくこの状態を梶山は我慢できたものだ。
 目のやり場に困ってか、私の意識が次第に入り口近くの男へと移っていくのを感じた。
作品名:短編集72(過去作品) 作家名:森本晃次