呪縛からの時効
しかも、政治体制の違いと同じで、研究対象が違うからと言って、政治体制同様にいがみ合っているのも見ることがある。
――何を情けないことをしているんだろう?
と思うが、そんないがみ合いを見ていると、学者というのが、子供のように思えてくるのだった。
確かに子供のような探求心がなければ歴史の勉強などできるものではないと思える。実際に歴史学を目指している人以外で、大人になって歴史を好きになるという人も多く、
「学校で教えてくれない歴史」
というような著書も出ているように、改まって勉強するものではないのかも知れない。
それだけに、
「子供の頃の気持ちを忘れないことが、歴史に向き合う姿勢なのではないか」
とも感じるようになってきた。
歴史の勉強はそれだけではなく、
「時間と人の繋がり、融合」
という考えを持つようにもなった。
いくら時代が違っていたとしても、ことわざの
「火のないところに煙は立たない」
にもあるように、
「原因があって結果がある。結果だけではなく、原因だけでもなく、どちらもひっくるめて歴史をいうのではないか」
と思うようになると、どうして自分が歴史に興味を持ったのかということが分かってきた気がした。
そして歴史に興味を持ち始めた時の自分に、納得できるのである。
そんな阿久津が大学院を出ると、今度は学校に残って、助教授になった。
教授の方も、
「君が望むなら、私は歓迎するよ」
と言ってくれた。
大学院に残る時よりも教授は熱心ではなかったが、今度残ることに執着したのは阿久津の方だった。目標を教授昇進には置いていたが、この頃はそこまでの執着はなかったのである。
大学院を卒業し、正式に職員として雇われてから、少し自分の中で変化が見られるのを感じていた。今までは同じ内容の研究をするのでも、アシスタントというイメージが強かった。
実際に職員になってからは、就職したわけだから、
「お金を貰って仕事をする」
という意味で、それまでとは違って当たり前だ、
しかし、やっていることは前と変わらない。実際には一番の下っ端なのだから、下手をすればアシスタントよりも下に見られても仕方がないだろう。阿久津にはその意識があった。
本当に一番下に見られていたのかどうか分からないが、自分では一番下だという意識を持っていたので、大学院生を見る目も、今までとは違っていた。
自分がどんな目で見られていたのかということも気になったが。それ以上に、自分が大学院生の頃、職員と呼ばれるアシスタントの人をどのように見ていたのかということの方が重要だった。
アシスタントの人たちからが、下手に出られることが多かった。自分たち大学院生の方が下のはずなのに、どうしてあんなに下手に出ているのか分からなかった。大学院生としての甘えが、それ以上何も考えさせなかったので、阿久津は彼らに余計な意識を持たず、必要以上に見ないようにしていた。
やはり大学院の時代から、立場の微妙な位置に違和感があったのだろう。煩わしいことは考えないようにしようと思うようになったのも、その頃からだったような気がする。
阿久津は大学院生徒の関係に少し疑問を感じるようになっていた。この関係は自分が大学生から大学院生になった時にも似たような気持ちになったような気がしていたが、その時の心境を思い出すことはできない。
今の心境とその時の心境が違っているのか、それとも、今と昔で、相手に対しての感情が変わったのか、そのどちらともなのか、さらにはどちらでもないのか、考えたが分からなかった。人との関係についてここまで考えたことは、職員になったその時までに考えたこともなかった。
そうは思ったが、本当にそうだったのだろうか?
今思い返してみるからそう感じるのであって、実際には考えたこともあったのだが、同じ心境に陥らなければ思い出せないものなのかも知れない。
もし、同じ心境になって思い出したとすれば、その感情は潜在意識が引き出した
「デジャブ」
のようなものではないかと思うかも知れない。
だが、そんな奇妙な心境の時期が数か月くらい続いただろうか。そんな感情の時期を超えると、もう自分がベテランにでもなったかのような気がしてきた。
研究熱心なのは生まれつきだったのかも知れない。飽きることもなく果てしないというのは阿久津の心情だったが、確かに同じような研究をしていても、飽きることはなかった。
元々飽きっぽい方ではなかった。
どちらかというとしつこいことでも嫌いになることもなく、大学時代を通じて、学食で同じメニューを食べても飽きることがなかったくらいだ。
だが、大学院に入ると、今度は急に同じメニューを見るのも嫌な時期がやってきた。
「反動なんじゃないか?」
と同僚からは言われて笑われたが、実際にそうなのだと阿久津は思った。
「飽きるまで続ける」
あまり意識したことはなかったが、さすがに同じ学食を四年間も続ければ、誰が見てもおかしいと思うに違いない。そして次に感じることとして、
「飽きるまで食べれば、次は見るのも嫌になるさ」
ということだったのだろう。
冷静になって考えてみれば、確かにその通りだった。飽きるまで続ければ、飽きてしまうとその後に待っているのは、見るのも嫌な心境であることくらい誰が考えても分かりそうなものだった。
そんな毎日を過ごしていた阿久津も、就職すれば少しは違うだろうと思った。
しかし、実際には就職と言っても、同じ場所でやることもさほど変わっているわけではない。メンバーもそんなに変わるわけではなく、卒業したメンバーもすべてが他に就職するわけでもない。
阿久津は中学高校と、いわゆる「中高一貫教育」を受けていた。つまりは中学を卒業しても、同じ敷地内にある高校に進学するだけだった。進学というよりも進級という言葉がふさわしい。
だから、高校入試もなくて、留年しない限り、そのままストレートだった。
中には他の高校を受験する人もいたが、一握りで、まず皆そのまま進学する。高校受験の経験がなかったのがよかったのかどうなのか判断はつかないが、大学受験の時には、
「高校受験を経験していないことがネックだ」
と思っていた。
阿久津はまわりの人と自分を比較してしまうからだ。
「高校入試という修羅場を潜り抜けてきた連中に、高校入試の経験のない自分が適うわけがない」
というものだ。
これがそのまま自己暗示にかかってしまうと言ってもいいだろう。先にこの思いが先行してしまって、どんなに勉強してもそれが自信として結び付いてこないのだ。これほど辛いものはないと感じたほどだった。
それでも何とか大学に入学できた時は、
「呪縛に打ち勝った」
という思いが強く、他の人よりも喜びがひとしおだった。
考えてみるとそれだけ大学入学までの間、ほとんど喜怒哀楽を見せることもなく歩んできた人生に、新たな一歩が刻まれたような気がしたのだ。