呪縛からの時効
だから有頂天にもなった。必要以上な有頂天が原因で、二年生の終わりに架けてもらった梯子を取っ払われて、置き去りにされた気がするようなことに陥った。本当は自分が悪いにも関わらず、その責任をまわりに押し付けて、自分は精神的に逃げ出したのだった。
それでも立ち直れたのは歴史学を専攻したことがよかったのだろう。他の学問だったら、この先の人生は、敷かれたレールにも乗ることができずに、いつも立ち往生しているのを思い浮かべなければいけない人生だったに違いない。
しかもその状況をまわりは分からずに、いつも立ち往生しているようにしか見えない阿久津の相手をする人など、一人もいなかったに違いない。
阿久津は大学院に入ってから、それまでの自分の人生とは少し違った道を歩もうと考えた。それがいいことなのか悪いことなのか自分では分かりかねていたが、結局は孤立する道を選んでしまっていたのは間違いないようだった。
孤立はしているが、自分の道をまっすぐに歩いているという意識は強く、
「孤立しているのは、自分が自信を取り戻したからだ」
と却って感じるようになった。
自己愛の強さが阿久津を孤立にしたと言ってもいいが、本当に孤立が悪いものなのかどうか、誰が判断するというのだろう。
「あの人はいつも一人でいて孤独だ」
という話を誰かがしているとすれば、ウワサされた人のことを、
「孤独でかわいそうだ」
と感じるか、あるいは、
「孤立するだけの何か理由があるんだ」
と感じ、自分ならそんな人と関わりになりたくないと思うに違いない。
だが、孤立しているとまわりが感じているということを知りながら、阿久津自身は自分では、
「そんなに悪いことではない」
と思っていた。
まわりが何を気の毒に感じているのか、そっちの方が不思議だった。
自分のような人に関わりたくないと思っている人は、きっとその人のような相手に関わりたくないと思っているのではなく、
「関わるとすれば、自分と気が合う人以外では嫌だ」
と思っていると言っていいだろう。
ということは、その他大勢の中から選ぶというよりも、新しい人を自分で探してくるかのような感覚が宿っているのではないだろうか。
阿久津が自分を正当化するようになったのはその頃からだったような気がする。学生時代には言い訳をすることはあっても、自分を正当化しているとは思っていなかった。そこには何かの後ろめたさがあったからだが。それが学生という甘えから来ているものだったような気がする。
職員として数年働きながら研究を続け、いよいよ助教授への進級がやってきた。論文を書くことには抵抗はなく、それまで自分に文才があるなどと感じたことのなかった阿久津だったが、研究心や探求心と一緒になることで、才能が開花したのかも知れない。助手として採用されたのも、そんな彼の努力のたまものだったのだろうが、本人はいたって冷静である。
「なるべくしてなったんだ」
という程度にしか思っていない。
いわゆる他人事だったと言っても過言ではないくらいだ。
助手として大学に残るようになって、阿久津は三十歳を過ぎているおとに気が付いた。別に研究ばかりに熱中していたというわけではないが、気が付けば今までに大きな恋愛をしていなかった自分をふと感じ、思わず笑ってしまったが、本当は笑い事ではないと思うようになっていた。
確かに他人が好きではなかった阿久津だったが、女が嫌いだったのかと聞かれると、まんざらでもなかった。モテている連中を見て羨ましく思うのはそれだけ嫉妬心が強いからだということであり、自分が一番人間臭いのではないかと思う瞬間であり、そう感じる自分を否定したくなるという矛盾を感じることが多かった。
助手になってから少ししてから届いた高校時代の同窓会に反応したのも、それが原因だった。
躁鬱
それまでの阿久津は、同窓会の案内はおろか、本当に自分に関係のある封筒以外は開いてみようとすら思わなかった。ダイレクトメイルが鬱陶しいという気持ちが強くあったのも事実だが、それよりも封筒を開くことすら鬱陶しかった。仕事が終わって自分の部屋に帰ると、何もしたくない。食事を作ることも億劫で、シャワーを浴びることくらいが一番面倒なことだと思っていた。
自炊などほとんどしたことはなく、一応キッチンでは自炊用品は揃っていたが、ほとんど使ったことはない。それでも最初は、
「朝飯くらいは自分で作ろう」
などと思っていたが、いつの間にかそんな気分も失せていて、きっと早起きして何かを作るくらいなら、ギリギリまで寝ている方がいいという安直な気持ちを持ったからだろう。
一度楽を覚えてしまうと、煩わしいことは何もしない。すべてを表で済ませて、部屋に帰れば横になってテレビを見るくらいしかしようとは思わない。それをズボラと言われればそれまでだが、居心地冴えよければそれでよかった。
人嫌いな性格も一人でいる時のズボラに拍車をかけたのかも知れない。阿久津はそんな毎日を過ごすことに後ろめたさは一切なかった。
だが、助手になった頃からは少し変わってきたような気がした。家で朝食くらいは作るようになったし、特にコーヒーを毎朝淹れるようになったことは大きな進歩であった。
インスタントではなく、コーヒー専門店から豆を買ってきて、朝、自分で挽くのだ。
「香りというものが、今までと同じ空間だと思っていた世界を、こんなにも変えてくれるなんて……」
と感じたのだ。
それまで寒いだけだと思っていた朝のひと時が、コーヒーの香りによって暖かさに包まれ、今度は出かけるのが嫌になるくらいになっていた。
「きっと目覚めの悪さが悪影響を与えていたんだろうな」
と感じた。
朝の目覚めは、本当は悪いはずではなかった。人によっては、目覚ましをいくつもセットしても起きられないと真剣に悩んでいる人もいるというが、阿久津はそこまではなかった。目覚ましが鳴らなくても目を覚ますことは多かったし、数分もすれば、行動するには十分なくらいに目が覚めていた。
しかし、一度でも目覚めに疑問を持つとダメだった。それがいつのことだったのか分からないが、それまで目覚めにまったくの疑問を感じたことのなかった阿久津だったのに、目覚めが少しでもうまくいかないと、少なくともその日の午前中はまったく生活がうまくいかないのが分かっていた。大学に行っても頭が回らなかったり、ちょっとした些細な不幸に見舞われたりと、本当に災難だと思うことが多かった。
それが一杯のコーヒーで生活が一変するほどになるとは思っていなかった。布団から出るのが億劫だったのは、寒さからだと思っていたが、前の日から暖房をタイマーで入れておけばいいだけのことだということだったはずなのに、そんな単純なこともしていなかった。