呪縛からの時効
「容量が悪かった」
というだけであった。
調子に乗ってしまったことで、まわりの行動をそのまま信じてしまって、要領よく立ち回っている連中の行動を見誤っていたのだ。
元々、要領のいい行動を自分には取ることができないということを分かっていたはずだった。
「要領が悪い」
という表現には、嫌悪感があった。
あれは所学生の頃だっただろうか、
「要領が悪い」
と言って、よく苛められていた。
意味も分からずに苛められていたのだが、そもそも容量が悪いなどという言葉があまりにも曖昧にしか聞こえてこない。もっとピンポイントに言われれば納得できたかも知れないのに、
「要領が悪いって何なんだ」
としか思えなかった。
もっとも、納得のいく苛めの原因などあるものなのか分からないが、苛め自体が理不尽なのだから、逆にハッキリとした理由がなければ、苛められている側も納得がいかないのだ。
要領が悪いという言葉は高校時代くらいまでは忘れていた。まわりから言われなくなったのもその理由の一つだが、言われていたのは、小学生の頃の一時期だけだったのが、中学生の頃まで尾を引いたのだが、いつの間にか忘れていた。
これは、阿久津にはよくあることだった。
子供の頃からよく口内炎ができていたのだが、一度できてしまうと、一週間くらい痛かったりする。その一週間の間で本当に痛い時には、なかなか眠れなかったり、眠っていても、口の中が渇いてしまって、痛みで目を覚ましてしまうくらいの苦痛を味わっていた。
「早く治らないかな」
と苦痛を感じている時はなかなか痛みが解消されないが、いつの間にか、気が付けば痛みが引いていたりする。
「痛みに慣れたからなんだろうか?」
と、思うことで、いつの間にかという発想に納得がいく。
阿久津はそおうちに痛みに関して、自分が慣れてきているような気がした。それは治ってから、痛かった時のことが思い出せないようになったからだ。
「気が付けば、痛みが消えていた」
と思った瞬間、痛かった時のその痛みの感覚を思い出せないからだ。
我に返った時、それまで考えていたことを忘れてしまうことがあったので、
――気が付けばという感覚は、我に返っているからなのかも知れない――
と思うようになった。
そんな自分を、
――何かを悟った気分になっているのかな?
と感じたこともあったが、それはポジティブすぎる考えだと思い、すぐに否定した自分がいた。
阿久津は、
「俺は時々、ポジティブに考えることがある」
と思うことがあった。
自分に自信がないと思っている阿久津は、そんな自分が許せなかった。
「ポジティブに考えられる人間は、少なくとも自分に自信を持っていなければいけない」
というような他の人には理解不能と思えるような発想を持っていた。
阿久津は、大学の三年生になって、焦り始めた。まわりの外観に騙されて、自分だけ取り残されているように感じたからだ。三年生になって一生懸命に勉強し、それがうまく嵌ってしまったのか、元々興味深かった歴史学に目覚めたのだ。
ゼミで研究心に火が付いた。
「阿久津君の熱心さには私もビックリだよ」
とゼミの先生が驚くほど勉強した。
「阿久津君のいいところは、他の人の目線とは違っているところだね」
と教授から言われて、またしても調子に乗ってしまった。
だが、この時の調子に乗った阿久津は、それまでにはなかった才能に目覚めたようだ。教授から絶大な信頼を得て、教授から進められて、歴史学の教授を目指すようになったのだが、それまでパッとしなかった人生が開花した気がした。
そこから調子に乗ったことで、弊害がなかったわけではないが、少々の弊害は、歴史学を目指すうえでそれほどの弊害ではなかった。
大学二年生までと三年生からとではまるで別人になってしまった阿久津だったが、そのせいもあってか、三年生になってからは、友達は極端に減ってしまった。
友達は減ったが、残った友達は、本当の親友というべき人たちで、
「大人の関係」
と言っていいほどになっていた。
集団でたむろするような関係ではなく、お互いに必要な時に相手を求める。それを以前であれば、
「寂しい関係」
と思っていたが、大人の関係だと思うことで、関係性に紳士的な感情が浮かんできて、そうなると、それまでモテたことがほとんどなかった阿久津のまわりに、女性が寄ってくるようになった。
阿久津はいい関係を築きたいと思っていたので、彼女にしようと思う人はなかなか出てこなかった。クールというわけではなかったが、せっかく紳士的になった自分に納得していたので、このイメージを崩したくないという思いと、彼女がほしいという思いとの葛藤の中で、紳士的な自分を選んだ。
理由は、
「自分を演出できるから」
というのが一番であり、そこには気持ちの余裕があることを納得できるからだった。
要領が悪いということは、要するにその時の状況を把握することができないということであり、まわりが見えていないということの証明でもあった。それは自分一人の考えだけに凝り固まっているということにもなるだろう。
阿久津はそのことに気付くと、自分がまるでまわりから置いて行かれているように感じた。
しかし、後悔というものはなかった。一抹の寂しさを感じなかったと言えばウソになるが、後悔する前に開き直ったというべきなのか、阿久津はまわりと自分の間に距離があっても別にいいと思うようになっていた。
それは、
「自分には個性があり、まわりに合わせる必要なんか、サラサラないんだ」
という思いだった。
大学生になってまで人に合わせることができなくて、合わせることに少しでも疑問を抱いているのであれば、無理をして合わせることもない。合わせなくとも自分の個性を伸ばせばいいと思うようになっていた。
それでも時々人に合わせられない自分に疑問を感じることもあったが、だからと言ってそのことに悩むことはなかった。
――どうして、疑問なんか感じたんだろう?
と感じてしまったことに後悔はあったが、合わせられないことに対しての後悔ではなかった。
阿久津は大学を卒業する頃には歴史学をかなり専門的に勉強するようになっていた。教授からも、
「まさか君がここまで歴史学に精通してくれるとは、正直思っていなかったよ」
と、言われた。
きっと、舌を巻くほどの変貌だったのだろう。
大学二年生の終わりには、いわゆる劣等生で、このまま中退しても仕方のないほどのっ成績だった阿久津が、まさか大学に残るように打診されるなど、思ってもみなかった。もちろん最初は大学院に残ることだったが、そこからさらに勉強を重ね、歴史学にのめりこんでいく。そんな毎日を一種の有頂天だとは言えないだろうか。
元々歴史には造詣が深かった。小学生の頃に最初に歴史に接してから、嫌いになることなど一度もなく、やればやるほど面白くなることというのは、学問に限らず、歴史学だけだった。
他に興味がなかったわけではなかった。ただ、それは歴史学に興味を持つようになればなるほど、
――他にも何か趣味を持ってみたい――
という思いがあったからだ。