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呪縛からの時効

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 大学で教鞭をとるだけの頭を持っているくせに、とんと自分のこととなるとまったく分かっていない。本人は分かっているつもりだと思っていたはずなのに、分かっていないというのは、本当に世話が焼けるなどという言葉で片づけられるものではないだろう。
 お互いに相手のことを分かっていなかったことに気付いた時、香苗は、
「もうこれで終わりだ」
 と思ったのだろう。
 しかし、阿久津の方では、
「気付いたのだから、改めればそれでいいだけのことだ」
 と思っていた。
 そもそも最初から考えが食い違っていたのである。
 阿久津は今ではその理屈が分かっているような気がする。そして、それがすでにどうしようもなかったということも……。
 阿久津は、心理学というものにはあまり造詣が深くない。大学教授というのは、大なり小なり、自分が一番偉い研究を進めていると思うものだ。思いたいと言っても過言ではないだろう。
 人の研究など、眼中にはなく、下手をすると、どこか軽蔑するところもあるかも知れない。
 エゴとエゴがぶつかった時、特にそんな感じになるだろう。お互いにエゴを持つことで自分を正当化しようと思っているのが大学教授、いや、大学教授に限ったことではなく、人間というものはえてしてそういうものなのかも知れない。
「エゴがあるからこそに人間だ」
 という言葉を聞いたことがあった。
 もちろん、自分の意見でもないので、半分は他人事のように聞いていた。自分の意見でなければ、経験しない限り、まず考えを自分に向けることはない。それもエゴの一つではないかと思っていた。
 阿久津は心理学の教授とはあまり話をしない。相手もどうやら阿久津のことが好きではないようで、廊下ですれ違っても挨拶を交わすことすらない。
 結構大学で、廊下ですれ違って挨拶をするような人もそれほどいるわけではない。モラルという意識に、一般常識を重ね合わせて考えることをあまりしないと言ってもいいのではないだろうか。
 一般常識という言葉自体、あまり意識していない。それが大学教授という世界ではないかと阿久津は考えていた。
 もちろん、阿久津の考えが大学教授の共通した考えだとは言えないだろう。だからこそ、大学教授同士、あまり仲がいいわけではない。一般の会社の同僚のような感覚とは、完全に一線を画しているものだと思っている。
 阿久津が大学に残ったのは、歴史学に興味があったというよりも、自分が性格的に一般企業に就職するよりも、大学に残って研究するタイプに向いていると思ったからだ。
 幸い、歴史学の教授からも、
「大学に残って、いろいろ手伝ってもらえると嬉しいんだがな」
 と言われたのがきっかけだった。
 後で知ったことだが、その教授は自分だけではなく数人に声を掛けていたらしく、結局その話に答えたのが自分だけだったらしかったが、それでもよかった。教授は暖かく迎えてくれたからだ。
 一般企業に入社していればこんなことはなかっただろう。
 最初から競争の中に身を置いて、自分を見失ってしまうに違いないと思えたからだ。
「阿久津君は、教授向きなのかも知れないな」
 と教授に言われてその気にもなった。
 どこが教授向きなのかよく分からなかったが、実際に教授になってみて、自分を顧みると、あの時教授の言っていたことが何となくだが分かってきたような気がした。
――今だったら、大学時代の自分に対して、大学に残ってほしいということを説得できるような気がする――
 と感じた。
 声を掛けるだけではなく、声を掛けたその時に、すでに説得できるのではないかと思ったのだ。
 大学教授としては、曲がりなりにも成功していると思っていた阿久津だったが、プライベートではうまくいかない。
――きっと、心理学的なことに疎いせいなのかも知れない――
 と感じた。
 その時に思ったのが、大学に残ってから、ずっと心理学の教授や助教授クラスの人を毛嫌いしていたところがあったので、
「バチでも当たったのではないか」
 と、まるで子供のような発想をしていた。
 離婚が決まって一人きりになり、最初の頃はずっと考えていた。
――どうしてこんなことになったんだ?
 これを後悔と言わずに何というかということなのだろうが、阿久津には自分が後悔しているようには思えなかった。
「考えていないように思えて、実際には考えていた」
 というのが、その頃の阿久津だった。
 しかし、そのうちに正反対になっていた。
「考えているつもりなのに、実際には何も考えていない」
 という時期に入ってきた。
 それは、無意識の感覚であり、いつからこんな風に変わってしまったのか、自分でもよく分かっていない。
 その頃になると、それまであれだけずっと考えていたのに分からなかったことが、実は分かっていたように感じられた。
 ふと思い出したように考えると、答えが出ていたからである。
 阿久津はその答えが分かった時、目からうろこが落ちたようにホッとした気分になった。すでに時遅く、どうすることもできないところまで来ているにも関わらず、どうしてホッとした気分になったのか、本当に不思議である。
 それが、
「男と女の性」
 とでもいえばいいのか、
「分かってしまってよかった」
 と感じればいいのか、
「どうして今までこんな簡単なことに気付かかなかったんだ」
 と感じればいいのか、考えた。
 当然前者の方がいいに決まっているのに、そう感じることができないのは、どこか心理学の先生との確執を自分の中で感じているからではないだろうか。
 心理学の先生は、難しい言葉を並べるだけで、学生時代には、
「どうして、もっと簡単に誰でも分かる言い方ができないんだろう?」
 と思ったものだ。
 それは歴史学を目指した自分にも言えることで、自分が敢えて難しい言葉を発することを棚に上げて、心理学の先生だけを目の敵のようにするのは、どういう了見なのかと感じたものだった。
 歴史学も心理学も、学問という大きな括りでは同じはずなのに不思議な感覚だった。
 だが、一般の会社に勤めたことのない阿久津は、同じ会社でも部署によっていがみ合っていることが多いというのを、事実として知らない。もし知っていたとしても、その理屈がどこから来るのか分かるはずもないだろう。
 元々民間の企業にも勤めていた経験のある香苗には、その理屈が分かっていた。
 阿久津は、
「妻の考えていることは私にだって分かるはず」
 といういわゆる、教授風を吹かせるような考えだったので、最初から理解しようとは覆っていなかったのかも知れない。
 そんな思いは相手にも伝わるもので、すれ違いの一つに、この感覚もあったのかも知れない。
 男と女の違いは、離婚してからやっと分かった気がした。それでも分かっただけまだマシで、きっと何か分かるきっかけのようなものがあったのだろう。
 妻とはすれ違いが多かった。それを理解したもは離婚してからで、結婚している時には自分たちがすれ違っているなどいうことを考えたこともなかった。すれ違いというのは、「相手のことを分かっているつもりで実は分かっていない」
 そんなことなのかも知れない。
 普段から香苗のことを、
作品名:呪縛からの時効 作家名:森本晃次