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呪縛からの時効

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 としか思えなかった。
 だが、願望としてはあった。願望があったことで、
「願望は我慢するためにあるんだ」
 というほど、欲望や願望は自分にとって、よくないことだという意識が強く、本当はまわりに迷惑をかけるという言い訳のもと、我慢するという感情を正当化しようと思ったに違いない。
――今だったら、よく分かるんだよな――
 思春期の頃を思い出すと、自分が我慢ばかりしていて、そのために、自分の感情を正当化させようとすることに躍起になっていたように思える。
 だからこそ、あっという間に過ぎたという意識しかなく、思い出もさほど残っていないのだ。
 思い出はないが、その時の心境を今なら手に取るように感じることができる。自分を正当化させようとした心境は、思春期であれば仕方のないことであり、もし、もう一度あの頃に戻ったとしても、同じことをしていたに違いないと思うだろう。
 阿久津は大学に入って、人と関わることの楽しさを感じた数少ない時期であったが、すぐに置き去りにされた感覚を抱いたことで、後悔させられた。それまでにも後悔したことはあったはずなのだが、本当に後悔したという感覚に陥ったのは、その時が生まれて初めてだったような気がする。
 我に返って勉強を始めたことで、大学院から助教授、そして教授への道を歩めたことは、自分の人生の中で奇跡のような出来ごとだったように思う。
 本当はこれ以上の幸運を求めてはいけないことではないかとも感じたが、有頂天になってしまうと、さらなる幸運を求めてしまうのも、人の常ではないかと思えた。
 実際に、香苗と出会ってからの阿久津は、公私ともに幸せの絶頂だった。だから、何に気を付けなければいけないのかということに気付かなかった。
 気付かなかったわけではなく、有頂天になってしまうと、悪いことを考えないようにしようとする意志が働くのかも知れない。
 その思いとは裏腹に、
「好事魔多し」
 などという言葉が頭に浮かんできて、どう自分を正当化させればいいのかということを考えたとしても、有頂天である以上、正当化させるだけの知恵が浮かんでこない。
 考えれば考えるほど、ロクなことはなく、
――何も考えないことが自分への正当化なのだ――
 と思うようになった。
 そうすると、とんとん拍子に事は進んでいく。その節目節目で何かがあっても、何も考えないことで解決できていた。
 確かに何かを考えてはいたが、自分を正当化させようという意識が裏で絶えず働いていたという思いを、後になれば感じることができた。絶えず自分の正当化について考えていたというのは、むしろ自分が有頂天にいる時に感じたのであり、躁鬱状態の時には自分を正当化させようなどという意識はなかった。それどことではなかったというべきなのだろう。
 阿久津は結婚してから離婚するまでは、有頂天の時期もあったが、波乱万丈でもあった。だが、その二つが同居した時期はなかったと思っていたが、ある時期を境に、同居した時期が存在したと思うようになった。
 それが躁鬱状態の時であり、むしろ、躁と鬱がまったく切り離された時期だったというのは実に皮肉なことだったように思う。
 離婚してからの十数年間というのは、長かったようで、あっという間だった。あまり人に関わらなかったので、波乱万丈ではなかったが、精神的には今までの中で一番波乱があったような気もする。離婚した時よりも波乱万丈であったなどとすぐには信じられなかったが、やはり直近の記憶がそう感じさせるのだろう。
 阿久津はスナックで一人の女性と知り合うまで、過去のことばかりを思い出す毎日だった。
 人と関わりたくないという大前提のもと、過去のことばかり思い出しているのだから、前に進むはずもない。時計はどこかの時点で止まってしまって、進もうとはしない。それがいつだったのか、阿久津にも分からなかった。
 阿久津は離婚してから過去を思い出すことばかりだと言ったが、そこには二つの考え方が存在する。
 一つは、思い出すという行為だ。そしてもう一つは思い出に浸るという行為である。
 どちらも思い出すということに違いはないのだが、思い出に浸るという方が、より一層過去に執着しているようで、問題としては大きいだろう。
 阿久津は過去を思い出す時、時系列を無視しているように思えた。近くの思い出を昔のように思い、かなり昔のことがごく最近の出来事のように感じられるのだ。それは過去のできごとを点として捉えているからだというわけではない。繋がっていないということになるのだ。
 思い出に浸っている時、決して点で捉えようという気持ちはない。ある一点を起点にして、そこからどんどん思い出の中に自分の身を置くかのように想像を作り上げていく。
 思い出というのは、自分の記憶の中にあるものを忠実に表現しているだけではない。それはまるで画家が目の前にあるものを忠実に表現しているのかどうかという意識にも繋がっているように思えた。
 阿久津は大学の友人で、絵画に造詣の深い人がいた。その人は学校の中にいる美術研究家に傾倒していて、その人の話をよく聞いているという。
「画家というのはね。目の前にあるものを忠実に描くだけではないんだよ。想像して描くこともあれば、被写体に対して、大胆な省略を施すことだってあるんだ。それが感性であり、創造するということになるんだ。絵画というものは、創造物なんだよ」
 と言われたと言っていた。
 阿久津はその話を聞いて、すぐにはピンとこなかったが、何か自分の中での疑問や矛盾にぶつかった時、この話を思い出すことがあった。
「画家ではないが、俺は研究者として、目の前に見えていることを、すべて真実だと感じることが果たしてできているんだろうか?」
 と感じた。
 研究者としてだけではない。人間としてと言い換えた方が、余計にリアルであるが、そこまで考えるだけの勇気を持つことができない。
 実際に妻との離婚にしても、まったく後悔がなかったのかと言われると疑問に感じられる。どこかに気持ちの矛盾が存在し、その矛盾を解決できるだけの自分を納得させられる理屈を自分で解き明かすことすらできない。
――意外と、人間臭さや通俗性というものが一番難しく、答えを求めること自体、方向性が間違っているのかも知れない――
 などと考えたりしたが、それも離婚したことに対して、いまだに引きづっている自分を感じるからであった。
 阿久津は、スナックで一人の女性と知り合った。
 彼女は店に入ってからまだ間がない頃で、まだまだ初々しさが残っていた。
「私、今日が初めての出勤なんです」
 と言われて、柄にもなく喜んでしまった自分を素直に、
――いじらしい――
 と感じたが、これは自分の中でも納得できる感情だった。
 そんな彼女も離婚経験があり、
「似た者同士ですね」
 と言って微笑んだ顔が忘れられない。
 初めて打ち解けた顔をしてくれた気がしたからだ。
――こんな感情、初めてだ――
 素直に彼女のことを好きだと感じた。
 そんな彼女には、すべてを話そうと思い、阿久津は途中を端折ってはいたが、言わなければいけないところはキチンと捉えて話したつもりだった。
作品名:呪縛からの時効 作家名:森本晃次