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呪縛からの時効

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 つまりはトラウマを取り除いてくれる相手ではなく、自分の中の矛盾を解消してくれる相手でなければ、きっと好きになっても、今までと同じことだと阿久津は考えるようになっていた。
 だが、スナックの女の子には、そんな理屈は関係なかった。何も考えずに阿久津にくっついてくる感覚は、理屈など関係なかった。
「好きになるかも知れない」
 という感情を抱いた時、彼女と一緒にいる自分を想像することができたのだ。
「それだけで十分なんじゃないか?」
 それまでトラウマに苛まれて、香苗以外の女性を好きになることなどないという結論に達していた自分がウソのようだ。それまで自分を相手にしてくれる女性が現れなかっただけで、現れないことをトラウマに苛まれていることの言い訳にして、前を向こうとはしなかったのだ。
 香苗にとって阿久津がどんな存在だったのか、阿久津は別れた後でも、いや、別れてしまったからこそ余計に思うようになっていた。
 しかし、その答えが出ることはなかった。一歩進んでは二歩下がる。まるでどこかで聞いた歌の歌詞のようだが、一進一退よりもさらに後ろ向きなのだ。
 最初は後ろ向きだということに気付かずに、堂々巡りを繰り返していると思っていた。堂々巡りなら、抜けることはできないが、後ろに進んでいるのであれば、抜け道も見つかるかも知れない。
 そんな思いをポジティブとは呼べないのかも知れないが、一縷の望みとして阿久津の中で納得できる思いに近づいていたのだった。
「この歳になって、若い女に溺れるなんて」
 三十歳代には、思ってもいないことだった。
 若い女性を見れば見るほど自分との違いを思い知らされ、住む世界の違いを思い知らされていた。研究所でも二十歳代というと、男でも女でも、まるで別世界の人間のように思えてならなかった。相手もこんなおじさんをまともには見てくれないと思っていたからで、自分が二十歳代に三十代、四十代をどのように見ていたのかを思い出せば、おのずとその気持ちに納得できる。
「今はすでに四十歳をとっくに過ぎているではないか」
 という思いは、彼女を見ているうちに次第に大きくなってくるのだった。
 阿久津はそれまで感じたことのない隠微な感情に包まれていた。離婚してから、いや、離婚前から自分の妻に対して、性欲が湧いてこないことに気がついてはいたが、なるべく意識しないようにしていた。
 意識すれば、せっかく結婚した相手に対して後ろ向きの考えになるからで、妻に対して申し訳ないという思いと、性欲の湧かない自分が情けなく感じるからだった。
 いや、妻に対して申し訳ないという思いは本当の気持ちではない。結婚してから付き合っていた時のような性欲が失せてしまうことは、他の人の話を聞いて分かっていたことだ。どちらかというと、認めたくない思い。それを感じてしまったことに対して、自分が許せない気分になってしまったのだろう。
 冷めてしまった相手を抱く機会は次第に少なくなってきた。欲が義務感に変わってしまうと、営みはまるで目標のない仕事のようで、これほど味気ないものはない。
「だったら、子供を作れば」
 と言われるかも知れないが、それこそ愚の骨頂でしかないように思えた。
 ただでさえ、
「子供ができれば、奥さんは女ではなくなる」
 と言われている。
 実際にすでに女としての意識は失せかけているのだから、同じことだと思われるかも知れないが、すでに意識しているだけに、自らで地獄に赴くような態度を取ることは自殺行為のようで、そこに何ら意志が働いておらず、勇気を持つことができない。
 もし、子供ができて、夫婦間が少しでもいい方に向かったとしても、子供をダシに使ってしまったことを後悔するに違いないと思うと、迎えることができた幸福も、儚いものに思えてしまうだろう。
 阿久津は妻との離婚の原因について、ハッキリとは分からないと思っていた。
 だが、心当たりはありすぎるくらいあった。どれが直接的な考えなのか精査することができず、混乱するだけだった。だから、
「原因はよく分からない」
 というのが本音となるのだ。
 ただ、妻に対して悪いという思いはそれほどあるわけではない。離婚するには、お互いにそれなりの理由があるからだ。ただ、さっさと自分だけで悩んで、相手に告げた時には、すでに結論は出てしまっていて、後戻りできないところまで来ているというのは、夫からすれば、卑怯ではないかとしか思えないのだ。
 だが、夫の方としても、それなりに予感があったにも関わらず、ぎこちなくなってしまったお互いの仲を切り開こうとしなかったことに罪がないとは言えないだろう。やはりお互いにそれぞれ悪いところがあっての離婚。阿久津には理屈ではないと思えた。
 離婚が成立してから、思ったよりもアッサリはした。後悔の念に苛まれて、引きこもってしまうのではないかと思ったが、離婚してしまい一人になったことで、せいせいした気分にもなれた。
 寂しさがないと言えばウソになる。この頃から、人と関わることが煩わしいという思いを抱くようになっていた。それでも、女性と話をするのはまんざらでもなかった。大学で学生が授業の話のような当たり障りのない話をされるのも、くすぐったい気がするのだが、嫌ではなかった。
 このくすぐったさには、懐かしさがあった。
 いつの頃の懐かしさなのか思い出すことはできなかったが、さほど昔ではないと感覚が言ってはいたが、思い起こしてみると、近い過去にそんな思いを抱いたという意識はまったくなかった。
 あったとすれば、小学生か中学時代のまだ女性に対して異性を感じていなかった時代ではないかと思う。女性を感じていないから、感情よりも感覚が優先し、くすぐったい感覚に陥ったのだろう。
 妻と離婚してからしばらくの間、過去のことを思い出すことが多かった。考えることといえば、未来のことを考えるだけの精神状態ではなく、思い出に浸ることしかできない毎日だった。いい思い出も悪い思い出も関係ない。いい思い出だけを思い出そうとしても、悪い思い出も一緒についてくる。振り払おうとしてもできるわけではないので、
「思い出って、繋がっているものなのかも知れないな」
 と思うようになっていた。
 阿久津はこの時期、考えれば考えるほど、矛盾を感じることが多かった。それは思い出に対しても同じことであり、矛盾でありながら、受け入れられるのは、
「思い出というのは、すでに起こってしまったことだから、変えることはできない」
 という思いがあるからだ。
 いつの頃の思い出を一番よく思い出すのかと言われると、正直分からない。
 小学生の頃のことをよく思い出すように感じるのは、中学生から高校生にかけてが、あっという間に過ぎ去ってしまったように思うからだ。
 それは、自分の中で思い出として思い出すことがまったくなく、ただ通り過ぎて行ったという意識しかないからだ。
 思春期という微妙な心境の時代であり、成長期として大切な時期だっただけに、あまり余計なことや冒険をしようと思わなかったからなのかも知れない。まわりの同級生を見ると、結構冒険をしたり、波乱万丈という生活を送っていたのを見ると、
「あんなこと、俺にはできない」
作品名:呪縛からの時効 作家名:森本晃次