呪縛からの時効
という思いが交差し、どちらも有頂天ならではの心境なのだが、プラスをプラスで上書きした時、一抹の不安が訪れるなど、その時に初めて知った。
ただの不安なだけで、根拠も何もないはずなのに、一度気になってしまうと気にしないわけにはいかず、次第に不安が大きくなってくる。
離婚という形で、天国から地獄に叩き落された阿久津は、底辺で喘ぐ自分の姿を想像した。おぼろげながらに創造したその姿は、きっとまわりから見るみすぼらしさとは違った感覚だったに違いない。
まわりの考えていることがまったく分からない。誰もが楽しそうに見えているが、その目が自分を見る時は、みすぼらしいものを見ている感覚に襲われる。だが、そのうちにその人の目に映る自分を感じるようになった。その姿は上下逆さまに映っていたのだ。
阿久津はそれを見た時、ふいに鏡を思い出して、鏡の不思議さに気が付いた。
阿久津はほとんど鏡を見たことがない。だから、自分の顔がどんな顔をしているのか、意識したことはなかった。
表情を想像することはあっても、それはあくまでも鏡のないところで勝手に想像するだけで、自分の顔やリアルな表情を感じることはなかった。
その理由の一つに、
「鏡は左右が逆に映る」
という思いがあったからだ。
実際の姿を写し出しているのは間違いないが、左右が逆になっていれば、正確に写し出しているものを、本人が錯覚してしまうという意識があったからだ。
子供の頃から鏡を見ることはあまりなかった。子供の頃に見なかったのは、自分の顔が単純に嫌いだったからだ。
一番嫌いだった表情は無表情の時、自分の顔が歪んでいるように見えたからだ。
阿久津は顔というのは、左右対称なのだと思っていた。自分の顔を正面から鏡に写して見た時、その思いは打ち砕かれた。特に口元は真一文字に結んでいるつもりだったのに、傾いていた。
ただそのことに気付くまでには少し時間が掛かった。無表情な顔が嫌いだとは思ったが、どこが嫌いなのかすぐには分からなかったので、分かるまで嫌だと思いながらも、よく鏡を見たものだった。時々というくらいの間隔だったのに、本人としては頻繁だったと思うのは、それだけ自分の表情が印象的だったからに違いない。
自分に睨まれているような気がした。これほど気持ち悪いものはない。相手の目を見つめると相手も見つめ返す。当たり前のことなのだが、それが気持ち悪かった。
左右対称だと思っていた顔が歪んで見えると思った時点で、すでに鏡の中の自分に負けていたのだ。
阿久津は鏡を見ながら、ふと不思議なことに気が付いた。
「鏡って、左右は逆に見えるのに、どうして上下が逆さまに見えないんだ?」
という思いだった。
それに気づいたのは、まだ子供の頃で、小学生の頃だったように思う。
クラスメイトも鏡の話題に触れることはない。まわりでそんな話をする人も見かけない。誰も不思議に思っていないことが不思議だった。
しかし阿久津は、
「本当は誰もが不思議に思っているけど、話題にすることがタブーだということを知っているんじゃないだろうか?」
と感じた。
タブーというのはそれを口にすることで自分に災いが降りかかることだと阿久津は思っていたので、決して自分も人に言ってはいけないことだと思った。自分の顔が歪んで見えるのも、誰にも知られたくないことであった。タブーと平行して考えると、そのどちらも口にすることは許されない。
しかし、自分の顔が歪んで見えることは別にして、上下が逆さまでないことを誰にも聞けないというのは苦痛だった。阿久津は最初鏡を見るのを、
「自分の顔が歪んで見えることを人に知られたくないからだ」
と思い、嫌いになったと思っていたが、実際にはそうではない。
「タブーを口にできないことの方が、よほど辛い」
と思ったことで、鏡を見ることを恐怖に感じるようになったのだ。
そのことを阿久津は子供の頃から自分の心の奥にじっと蓄えていた。あまり封印しすぎたことで、
「なぜ鏡を見るのが嫌だと思ったのか?」
ということの原点が分からなくなってしまっていた。
実際に自分の顔を鏡で見たのはいつが最後だったのだろうか。思い出そうとするが思い出せない。
「ひょっとすると、無意識に見ていて、それを見ていないと後から記憶を捻じ曲げているのではないだろうか」
と考えるようにもなった。
自分の意識の中で鏡を見るということがどれほど苦痛なのかを分かっているから、見ることに苦痛のないようにどうすればいいかということを、これまで生きてきて、ノウハウとして身につけたものだったのかも知れない。
そう思うと阿久津は自分のこれまで歩んできた人生の半分は、
「無意識でいたように感じるが、その中で納得できなかったことを納得させられたり、納得できないことでも、納得したかのようになれたのではないか。その思いが無意識に生きるという状況を作り出したのかも知れない」
と、感じるようになった。
そんな毎日だから、
「あっという間に過ぎてしまった」
と感じるようになったのだろう。
鏡に対しての不思議な感覚は、その意識を鏡に集中させているだけで、他にもあったかも知れない。いつか何かのきっかけでそれを知ることになるかも知れないが、その時は鏡に対しての不思議な感覚を思い出したことで、自分にとっての何かを発見したような気がして、怖さを伴うことで、複雑な心境になっていた。
後輩に連れていってもらったスナックで一人の女性と知り合った。彼女は見た目は化粧も濃いので、今までの阿久津であれば敬遠したくなるようなタイプだったが、どこかなれなれしい態度に、不思議と嫌な気がしなかった。
ケバケバしく見えていた化粧も、贔屓目に見れば幼さを隠そうとしている雰囲気が感じられた。
そもそも今まで女の子を贔屓目に見たりすることなどなかった阿久津だった。相手に過度の期待をしてしまうとどういうことになるのかは、元妻の香苗で身に染みて分かっていたはずだ。
香苗に対して、
「何でも俺のことは分かってくれているんだ」
という思いが慢心になってしまったことで、それが彼女に対して、最初はお互いの信頼関係だと思っていたのに、本当は自分の慢心であり、自己満足に過ぎなかったことが分かると、女性に対しての過度の期待が自分を苦しめることになるというのを自覚しているつもりでいた。
そんな感情からか、それまで香苗という女性が一番自分のkとを分かってくれていて、世界の全員が自分の敵になっても、彼女がいてくれると思うだけで、自分は何とかなると思っていたほどだったのが、いつの間にか、
「近くて遠いという関係を一番身に染みて感じさせる相手」
としての存在になってしまったことが、今の阿久津にとって、トラウマとなって残ってしまったのだ。
そんなトラウマが十年以上も自分の中で培われてきたら、それを取り除いてくれるような女性は二度と現れないだろうと思った。もしいたとしても、気付くはずはないと思ったのは、心の奥で、
「気付いたつもりになった相手は、きっと自分を欺くに違いない」
と思わせたのは、今でも香苗を好きだという矛盾した考えが自分の中にあったからだ。