呪縛からの時効
阿久津は香苗がそばにいてくれているという安心感があるから、他の女性を見ることができた。気持ちに余裕があったからだったが、今から思えば、
「逆も真なり」
だったのかも知れない。
つまりは今までの考えとして、
「香苗がいたから、まわりの女性がよく見えた」
と思っていたのだが、実際には、
「まわりの女性が綺麗に見えたことで、香苗を奥さんとして意識することができた」
と言えるのではないだろうか。
香苗を自分の中で引きたてるために必要だったもの。それは、仮想敵国と同じ発想ではないか。似たような言葉で、
「必要悪」
というものがあるが、これも阿久津には容認できるものだと思うのだった。
阿久津は香苗とは、離婚してからほとんど会ったことはなかった。離婚してからすでにそろそろ二十年近くになるのだが、最初の五年ほどはある程度結構時間が掛かったような気がしたが、それから今までは、結構あっという間だったような気がする。
「歳を取るにつれて、時間が経つのはあっという間ですよ」
と言われたことがあったが、若かりし頃には、
――本当にそうなのだろうか?
と思っていた。
だが、四十を過ぎると、その言葉が本当になってきた。
不惑と呼ばれる年齢になってきたが、惑うことがないなどというのは、妄想に過ぎないと思っていた。
ただ、その頃から時間が経つのは確かにあっという間だった。波乱も何もない毎日だったわけではない。今思い出しただけでも、結構いろいろなことがあった。そのほとんどは仕事関係のことで、微妙に内容は違ったが、仕事関係というだけで、
「またか」
と、次第にウンザリしてくるのを感じた。
あまり多いとマンネリ化するものなのかも知れないが、阿久津には他の人と同じような人生だとは思わなかった。
他の人がどんな人生を歩んでいるのか、そんな話をしたことがあったわけではなかったので、皆が何を考えているのか分からない。三十歳代まではまわりの人をあまり意識もしなかったにも関わらず、四十歳を超えると急にまわりが気になってきた。
それはまわりからの視線が気になるというよりも、あまりにもまわりから意識されないことに対しての意識であった。三十代までは意識されないことがいいことだと思っていたにも関わらず四十歳になって意識するようになったのは、それだけ自分が臆病になってきたのかも知れない。
このまわりを意識するようになった気持ちが、不惑とどのように結びついてくるのか分からないが、まわりを意識していると、それまで一人でモヤモヤしていたものが分かってきたのかも知れないと思うと、阿久津は四十歳からの人生を、
「第二の人生」
として、区別できるのではないかと思うようになった。
その頃になると研究も精神的に一段落がついて、三十代が終わるまでに、一つの大きな集大成のようなものが完成したような気がしていた。
目には見えていないが、そういう意識でいることが私生活でも四十歳という節目を感じさせる意識に繋がるのだと思うようになっていた。
妻と別れて十年が経過した頃、阿久津はそれまでの自分の人生を考えることが多くなってきた。そろそろ四十歳も後半になろうかとしている自分が、一度は上りかけたと思った人生の頂点から急に叩き落されたことを思い起こすと、三十代後半から今までというのがあっという間だったように思えてならなかった。
毎日を何もなく過ごしていた感覚は、仕事においては充実はしていても、何事もなく過ごせたことを幸運に思えばいいのか時々自問自答を繰り返したが、出るはずもない答えを求めているわけではなく、考えること自体が重要なのだと思うようになっていた。
阿久津の人生の中で今までで一番の頂点というと、やはり香苗との結婚生活であったろう。
「結婚がゴールではない」
ということは重々承知していたつもりだったのに、なぜこんなことになってしまったのか、後悔の念に押し潰されそうになった頃を思い出していた。
今となってみれば、懐かしい思い出であるが、その頃は本当に躁鬱症に悩まされ、毎日を流されるようにしか生きていなかった。それは今も続いている。どこにゴールを求めているのかなど考えることもなくなった。見えてこないゴールなど、目指すだけナンセンスだと思ったのだ。
「今日よりも明日。少しでもいい人生にしようなんて思わないのか?」
などと、ありきたりの話をするやつもいたが、そんな話は右から左だった。
当たり前のことを言っているようにしか聞こえない。自分が絶頂にいれば、その言葉の意味も理解しようと思うのだろうが、今の阿久津にはそんな話は、
「自己満足したいがために説教しているだけに過ぎない」
としか思えないのだった。
その説教というのも阿久津が聞いていないということを分かっているのか分かっていないのか、こちらが聞いていないのに、構わずに話をしている。だからこそ、相手のことを思って話をしているという自己満足に浸っているだけだとしか思えないのだ。
もっとも、こちらのことを思って話をしてくれているとすれば、阿久津の態度を見ると憤慨するに違いない。
「お前のためを思って話しているんだぞ」
と言われるだろう。
阿久津も分かってはいるが、売り言葉に買い言葉。
「そんなことは分かっているさ。余計なことを言わないでくれ」
と答えるだろう。
相手はさらに憤慨し、ここまでくるともう収拾はつかなくなる。阿久津は自分が相手の立場だったらどうなるかと冷静に考えることが、想像の仲であればできるからだ。
そうなってしまうと、ほぼ絶交という形になるに違いない。
「友達を失う時というのは、こういう時なんだろうな」
と思うと、一人友達をなくすと、連鎖的に自分のまわりから友達が去っていく姿が容易に想像できるのだった。
ただ阿久津は、この頃、今までに感じたことのないようなことを感じるようになっていた。今までであれば感じなかった小さなことを、感じるようになったというべきなのかも知れない。それは気持ちに余裕のある時でなければ感じることのできないと思い込んでいたもので、感じている自分を不思議に思っていたのだ。
自分が有頂天だった時期、香苗との新婚生活の頃を思い出していた。
自分の心には大いなる余裕があった。何でもできると思い込んでいた時期である。実際にいろいろなことに挑戦してみようという意思を持っていたのも事実である。研究以外の勉強をしてみたいと思ってもいたし、もっと通俗的な趣味のようなものを持ってみたいとも思った。
絵を描いてみたいと思ったことがあった。
それまでなら立ち寄ったこともない美術館にふらりと寄ってみたりもしたが、美術館の絵を見に行ったはずなのに、絵よりも美術館の雰囲気に溶け込んでいく自分を感じた。
天井の高さ、窓の大きさ、そして展示物のわりには無駄にだだっ広いとしか思えない空間に身を任さてみると、それまでは漠然としてしか聞いてこなかった物音が耳に残るほどの音で聞こえてくるのを感じた。
「これ以上大きな音だったら、却って印象に残らないかも知れない」
と感じるほどに、タイムリーな大きさだったのかも知れない。