呪縛からの時効
と思っていた。
特に戦国時代の武者や、戦争などで死んでいった人への気持ちを一言で言い表すには困難であり、思いを巡らせるというのも、傲慢な気持ちからなのではないかと考えたこともあった。
阿久津はよく夢を見ていた。
それは研究の夢がほとんどで、自分が研究している時代を見ていたのだ。
主人公は存在する。その人が主人公であるということは、
「気が付けばその人のことばかりを見ているからだ」
ということと、
「その人の考えていることが手に取るように分かる」
ということであった。
夢というのは、いつも漠然と見ていた。それは自分が夢の中に登場しないからだということであり、夢を見ているのは、まるでテレビドラマをモニター画面で見ているような感覚になっていたからだ。
阿久津は以前からテレビドラマが結構好きで、暇さえあればドラマを見ていた。何も考えずに見ていることも多く、漠然として見ているまま、内容も分からずに最後まで見ていたということも何度もあった。
ただの気分転換にしか過ぎないと思っていたテレビドラマだったが、阿久津はドラマを見ながら注目しているのは、意外と主人公ではないことが多かった。
天邪鬼なところがある阿久津は、ドラマを見始めた時から、あまり主人公には興味を持っていなかった。ミステリーものであれば、主人公の刑事や弁護士というよりも、犯人、あるいは、犯人として疑われた人に興味を持つことが多かった。それこそ、歴史の研究をしながら、昔の人に思いを馳せた時、思い浮かべるのが落ち武者であったり、敗軍の将であったりするのと同じである。
阿久津は人とは違った視点から物事を見る傾向にあった。阿久津の妻の香苗が最初に阿久津に興味を持ったのも、そんな意外性のある男性としての阿久津だったのだが、結局最後阿久津と別れるきっかけとなったのは、そんな阿久津の意外性に愛想を突かせたからではないかと、香苗は思っていた。
実は離婚を思い立った本当の原因を、香苗もハッキリと自覚することはできなかった。いろいろなパターンを考えて、総合的に見て、
「離婚するしかないんだ」
という結論に至ったのだが、その過程でさえ、香苗にはハッキリとした説明ができないでいた。
そういう意味では香苗の方としても、自分を納得させての離婚ではなかった。もし、阿久津がもっと誠意を見せる形で離婚を思いとどまるように説得すれば、ひょっとすると離婚という危機は逃れられたかも知れない。
しかし、ここで思いとどまったとしても、近い将来、また同じ発想が浮かんできて、同じことの繰り返しになるかも知れない。
離婚問題を何度も乗り越えられるほど、人間というのは強いものではない。
「あの時離婚しておかなかったのは、失敗だった」
という後悔が襲ってくるに違いないだろう。
阿久津は離婚したことを後悔はしていない。後悔しているとすれば、香苗の方ではないだろうか。
阿久津は離婚してから少しの間は放心状態になっていたが、一度吹っ切れてしまうと、離婚したという事実がまるで他人事のように思えるくらいになっていた。
「バツイチくらいなら、どこにでもいる」
という気持ちにもなれたし、まだまだ今後もいい人と出会えるような気がして仕方がなかったのだ。
男というものは、
「モテる時期なのかも知れない」
と感じる時が、人生のうちに何度かある。
女性がどうなのか、男性である阿久津には分からないが、少なくとも阿久津の場合は、自分がモテるような気がすると感じた時、実際にモテていたのだ。
モテると言っても、本当に恋愛に発展するほどのモテ方なのか分からない。ちやほやされる時期があるというだけで、自分の運命と思えるような女性が現れるという保証はどこにもなかった。
実際に阿久津がモテていると思った時期を自覚したことがあったが、それは香苗と交際中であり、香苗を交際しながら、他の女性とも付き合うなどというマネは阿久津にはできるはずもなかった。
阿久津は結構目移りが激しい方ではあったが、一人に決まってしまうと、他の女性を同時に好きになることができないタイプだった。
それは阿久津がそう自覚しているだけで、まわりも認めているというわけではなかった。まわりからは逆に、
「あいつは、気が多いから、浮気や不倫などを繰り返したりするんじゃないか?」
と言われていた。
阿久津は自分が、目移りの多いことは自覚していて、しかも一人に決まれば他は気にならないと思っていたこともあったが、それはあくまで自分の性格だと思っていた。
だから、お互いの気持ちという、まず最初に考えなければいけないことを考えていなかった。
自分が浮気をしないのは、自分の性格によるということだけで、倫理的なことや、善悪の判断から来ているものではなかった。
だから逆に言えば、その思いが変わってしまうと、浮気であっても不倫であっても平気でするということでもあった。
そのことを阿久津は自覚していなかった。
「俺はモラルや善悪の判断を無意識にでもできる人間なんだ」
と思っていたのだ。
そんな阿久津なので、香苗と離婚した時、罪悪感はなくなっていた。
香苗に離婚を言われた時、まず考えたのは、
「俺が悪いんだ」
といy思いだった。
それは、阿久津が離婚の原因に心当たりがあったわけではなく、いきなり相手にこちらが不利なことを言われた時、言い訳できるだけのハッキリとした理由がなければ、すべて自分が悪いと思うところがあったのだ。
阿久津は理屈っぽいところがあったが、実際に自分が当事者になって、問題に対峙した時、理屈よりも感情が先走ってしまうのだった。
先走った感情も、動揺を隠すことができず、どうしても不安が先に頭の中を擡げてしまう。そんな状態になっているから、判断もできず、自分で殻に閉じこもって、結局理屈で考えることができず、考えたとしても、それはあくまでも後手後手に回りかねない発想でしかなかったのだ。
理屈でしか考えることのできない人を、あまり好きになれない阿久津だったが、自分がまさか自分が嫌いな理屈でしか考えられない人よりも、それ以前に考えなければならない理屈すら考えることをしない人間だったということを分かっているはずもなかった。
阿久津は、考えられないのではなく、考えようとしないというところが、彼にとっての一番の欠点なのかも知れない。
離婚してからというもの、阿久津はしばらく女性に対して露骨な視線を向けないようにしていた。別に朴念仁を装っていたわけではないが、女性に興味を示さなかった。
女性というものを香苗にしか感じなかったわけではないのに、香苗がいなくなると、女性に対しての興味が失せてしまった。
――俺が女性に興味を持ったのは、香苗という存在があったからではないか?
と感じた。
話はまた歴史の話になってしまうが、
「仮想敵国」
という言葉が頭に浮かんだ。
軍隊の士気や、国家の治安維持を考えた時、仮想敵国というものを持っていることで、都合のいいことは証明されている。何か対象になるものがなければ、覇気は生まれないし、統制も取れないという考えだ。