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呪縛からの時効

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 鬱状態というと、一定した、ある意味安定した精神上矢井田と思っていた。底辺で蠢いている状態ではあるが、そこに浮き沈みは存在しないと思っていたのだが、浮き沈みを意識したことで、その感覚が、
「鬱状態を抜ける瞬間を分からせてくれるターニングポイントなのかも知れない」
 と感じた。
 阿久津はトンネルから抜けるところも、何となく分かっていた。明と暗を感じさせるトンネルの中で、それまでの一定していた明と暗の感覚が次第に早くなってくるのだ。それはまるで胸の高鳴りが早くなってくるようなドキドキ感を思わせる。
「いよいよ出口だ」
 と思うと、黄色掛かっていた暗の部分が次第にさらなる暗さを思わせる。
 それが、鬱状態に感じた夜の安心感に繋がる気がした。
 つまり鬱状態の出口へのキーポイントは、
「鬱状態の時に感じる夜の安心感」
 ではないだろうか。
 トンネルの出口を感じた時、それまでの息苦しさが解消される。
 汗を掻きそうになっていたが描くことのできなかった自分の葉だから、急に汗が滲み出し、額から流れ落ちる汗に心地よさを感じると、どこからか風が靡いてくるのが感じられた。
 密閉された車の中で、風が吹いてくるなどありえないことなのに、間違いなく風を感じた。今まで感じることのなかった感覚が、一気に戻ってきたような思いで、五感ですべてを感じているのではないかと思えるほどだった。
 阿久津は駆け抜けるトンネルの出口が広がってくるのが見えた。容赦なく入り込んでくる明かりは、眩しさを伴っているはずなのに、暗さも一緒に感じているような気がした。出口は見えているのだが、まだトンネルを抜けていないわけだから、まだそこは鬱状態の中にいるのだ。
 だから、出口に見えている眩しいはずの明かりも、明と暗に別れていても当たり前のことだ。むしろ分かれていなければいけないと思えてくる。
 トンネルの出口を見ていると、そこから目が離せなくなっているのに気付いた。しかし、それでいて、横の蛍光灯の明かりを意識しているのも事実だ。
 つまりは視界がその時だけ人間の限界を超えていて、百八十度展開されているように思えた。
――そんなことはありえない――
 という思いがあったような気がしたが、何がありえないことなのかということはすぐに忘れてしまうようだった。
 それだけ人間の限界を超えた視界の広さを保てる時間はあっという間のことで、記憶できる範囲まで満たっていないのだろう。
 阿久津はそんなトンネルの中の状況を自分の精神状態に結びつけ、鬱の出口を見ているということに気付くと、目からウロコが落ちたような気がした。
 目の前に飛び込んできた鬱の出口、ドキドキしているのはなぜなのだろう。ホッとする気分が一番なのだが、それに次いだ気持ちがドキドキした感覚なのだ。なんとも不思議な感覚であった。
 鬱の出口を抜けると、普通の明るさが戻ってきたと思ったが、一瞬、暗さを感じる。その暗さに不安を覚えながらも、その次に襲ってきた眩しさに、それまでの鬱状態を忘れることになる。
 つまり、
「不安というのは、次にやってくる忘却を演出するために、必要不可欠な要因である」
 と言えるのかも知れない。
 ただ阿久津の場合の忘却は、鬱状態を抜ける時に限ったわけではない。意外と節目節目の大切なことを忘れてしまっていることも多く、覚えていないのを何度悔やんだことか、阿久津は自分を呪ったりもした。
 肝心なことを覚えていないということを、人にはなかなか話せないものだ。特に目上の人、親であったり、学校の先生であったりには、決して話してはいけないことだと思っていた。
 親は分かっていないようだったが、さすがに学校の先生には分かったようだ。中学時代の担任の先生は阿久津に対して、
「お前、すぐに忘れてしまう癖があるだろう?」
 と言われた。
「忘れるっていうのは、癖なんですか?」
 不思議に感じた阿久津は間髪入れずに聞き返した。
「ああ、少なくとも俺はそう思っている」
 と、先生独断の意見のようだ。
 その根拠を聞いてみたいとも思ったが、下手な言い訳をされても、聞き苦しいだけなので、阿久津は敢えてその理由を違う形で聞いてみた。
「でも、それって、それこそ人それぞれなんじゃないんですか?」
「ああ、そうだよ。人それぞれさ。それに俺が癖だって言っているけど、考え方も人それぞれ。同じようなことを頭に思い浮かべていても、言葉の使い方によって、まったく違った意味になったりもするよな。癖という言葉だって、俺は広義の意味で使っているんだが、普通に考えると、まったく違った発想になってしまうはずなんだ」
 と先生は言った。
「人それぞれって言葉、都合いいですよね」
 と阿久津は悪ぶって、皮肉を言ってみた。
 これくらいの皮肉は先生になら、平気だと判断したのだ。
「確かにそうだよな。でも、都合のいい言い方があってもいいじゃないか。すべてを悪い方に考えてしまう時だってあるんだから」
 と、先生はまるで阿久津の心の奥を見透かしているような言い方をした。
 阿久津は、一瞬たじろいだが、その反動で姿勢を戻した時、何か開き直れるような気がした。
「そうですね。ネガティブになっていくと、悪い方にしか思考が回転しなくなりますからね。そうなると早く逃れたいという思い一色になってしまいます」
「そうだろう。だから鬱状態になった時というのは、そこを抜けると躁状態が待っているのさ。つまり、信号の赤から黄色を経由せずに、いきなり青になるのさ」
「そういえば、信号って、青から赤になる時は黄色信号を経由するのに、逆は黄色信号を経由しないんですね」
「それは、止まる前に止まる準備をさせるためなんじゃないか? 発進する前にはそれが必要ないからさ」
「でも、鬱状態と躁状態を繰り返しているのであれば、躁状態から鬱状態に入る時には黄色信号のような一拍何かニュートラルのようなものが存在しているということなんでしょうか?」
「俺はそう思うな。俺の場合だけかも知れないんだけど、鬱状態から躁状態に移行する時は結構分かるんだけど、躁状態から鬱に入る時って、意外と分からないものなんだ。君は違うかい?」
「僕は、躁状態から鬱に入る時も予感めいたものはあると思うんですよ」
 というと、
「でも、いつ入るかって予想はつくかい? あくまでも入るという予兆はあっても、いつ頃に入り込むかって目に見えて分かるわけではないだろう?」
 確かに先生に言われる通り、鬱状態から躁状態への移行は、トンネルをイメージすることでその時期を知ることができる。しかし、躁状態から鬱への移行は、予感があるだけで、具体的に何か比喩できるものがあるわけではないので、時期の話をされると分からないとしか答えようがない。それを思うと、先生の話のたとえとして出された信号機の話は、具体例としては、実に的確なものだと言えるのではないだろうか。
 先生の話は興味をそそられて、少しの間頭の中にあったが、
「喉元過ぎれば熱さも忘れる」
 という言葉があるように、いつの間にか忘れてしまっていた。
作品名:呪縛からの時効 作家名:森本晃次