小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

呪縛からの時効

INDEX|14ページ/28ページ|

次のページ前のページ
 

 思い浮かんできたことは、
「放っておいてほしい」
 という考えであった。
 今までに辛いことや苦しいことがあると、誰かに相談したいという思いはあるものの、自分から相談するのではなく、人から言われるということを嫌ったのは、
「相手から見下されているように見える」
 と思ったからだった。
 本当であれば、相談して相手に助言されることの方が、相手に見下されているように感じるはずである。自分の弱みを自分から露呈するのだから、相手につけこまれたとしても、それは無理もないことではないだろうか。
 それなのに阿久津は、自分から相談した場合は相手から見下されているようには思えなかった。それは最初に自分から行動を起こしているからだろう。自分から相談しているのでなければ、相手に攻め込まれているという考え方である。これは阿久津の中で、基準が自分にあるのではなく、一般論で考えているからであった。
 本当であれば、逆に思えるのだろうが、
「自分から相談しているのは、自分がこの状況を攻めているからだ」
 と思っているからだった。
 あくまでも自分の弱みを見せているわけではないという考えは、傲慢だとも言えるだろうが、傲慢という考えに逃げが入ってしまうと、まわりの人には感じることのできない矛盾を、当たり前のように感じてしまうのだろう。
 阿久津は、それでも鬱状態の香苗のことを誰かに相談するようなことはなかった。きっとまだどこかに楽天的な思いがあったからではないだろうか。
 阿久津は、いつもどこか楽天的である。しかし、一度悪い方に考えてしまうと、底なしの負のスパイラルに突入してしまう。まわりには分からないかも知れないが、それは阿久津にとっての「鬱状態」だったのだ。
 阿久津も香苗も両方とも鬱状態を持っている。ただ、その現れ方が違っているのだ。香苗が鬱状態に陥ったことで、阿久津も鬱状態に入ってしまった。しかし。その状態をまわりは鬱だとは思っていない。そうなると、
「阿久津が奥さんを放っておいてしまっているのではないか」
 としか、まわりには見えていないことになる。
 香苗や阿久津を知っている人には、香苗が同情的に見えてしまう。その分、阿久津は、
「薄情な人」
 というイメージを植え付けられ、本当はそうではないのにひどい見え方をされて、実に気の毒なことである。
 だが、二人のことをあまり知らない人には、ひょっとすると、阿久津の鬱が見えるのではないだろうか。阿久津が鬱状態だと思うと、その原因を作ったのが香苗だと知り、いくらまわりからは鬱状態に見えたとしても、阿久津のことを鬱だと思った人には、香苗が鬱状態には見えてこない。
 それは、二人が平等に見えているからだろう。二人を両方知っている人は、見た目の目立つ鬱に陥っている香苗のことを気の毒に思い、どうしても阿久津が何も考えていないようにしか見えてこない。それが阿久津の不幸なところであり、気の毒なところでもあるのだろう。
 阿久津は、香苗が鬱状態の時、まわりの人に一切相談をしなかった。そのせいもあってか、まわりからは、薄情に見られていたことだろう。
 しかし、そのうちに香苗が阿久津に別れ話を持ちかけるようになってきた。その頃には香苗の精神状態に、変化が見られ始めた。まわりにはほとんど分からないようだったが、それは彼女なりの開き直りだった。
 開き直った結果、彼女の出した結論として、
「あなたとは、離婚したいと思っているの」
 という、阿久津に対しての離婚の相談だった。
 相談というだけに最初はそれほど固い決意には見られなかった。そのため、阿久津もそこまで深刻に考えておらず、むしろ開き直った香苗を見て、
「鬱のピークは越えたんだ」
 と思い、半分ホッとしていた。
 それが、阿久津には最後までネックになってしまったのだが、香苗の心境は最初から離婚以外にはなかったのだろうか。
 阿久津は香苗を見ていて、以前に自分も鬱状態に陥ったことを思い出していた。ただ自分の場合はそれが一時期慢性化してしまったが、いつの間にか治っていたことも不思議に感じていたことだった。
 あれは、高校時代だっただろうか。原因はハッキリと覚えていない。ただ、何をするのも億劫で、いわゆる「ものぐさ」になってしまったのだ。
 起きるのも億劫、シャワーを浴びるのも億劫、学校に行くのも億劫。食事すら億劫だった。
 しかし何よりも億劫だったのは、他人と話すことだった。
 元々人と話をするのが苦手だった阿久津だったので、まわりからは彼が鬱状態に陥っていることに気付かない人も多かっただろう。人から注目されることなどほとんどなく、いい意味でも悪い意味でも、彼は前に出ることはなかった。
 だからと言って、無難に生きていたわけではない。いつも何かを考えているような少年で、その少年が成長し、思春期を超えた頃に起こった鬱状態だった。
 だから鬱状態に陥った時に、何かハッキリとした原因があったわけではない。確かに自分の思い込みから付き合っていると思っていた女の子がそうではないと分かった時、ショックだったのは間違いないが、だからと言って鬱状態に陥ったわけではない。むしろその時は、
「穴が合ったら入りたい」
 という意識の方が強く、失恋などという次元ではなく、それ以前に自分がそんなことを考えたことに対して恥辱の思いが強かったのだ。
 つまりは、
「忘れてしまいたい」
 という感情に包まれて、鬱状態に陥っている場合ではなかったと言ってもいいだろう。
 阿久津はその時から、
「絶えず何かを考えている」
 と思うようになった。
 それ以前からも、いつも何かを考えていたのかも知れないが、自覚したのが恥辱のために、人を好きになった自分を忘れてしまいたいと思った時だったに違いない。
 目立ちたくないという意識が芽生えたのもその頃ではなかったか。元々目立たない性格だったので、それほど意識したところで何かが変わったわけではないと思っていたが、絶えず何かを考えるようになって、それまでの自分が、
「目立ちたがり屋な性格だったのではないか」
 と感じるようになった。
 目立ちたがり屋に対してあまりいいイメージを持っていなかったので、意識することを無理に抑えていたのだった。
 そんな阿久津が鬱状態に陥った時、実は、
「このまま鬱状態に入るんじゃないか」
 と事前に自覚していたのを覚えている。
 思春期の頃から、阿久津はよく足が攣ることが多くなった。
 眠っていて、急にやってくる痛みに、声を出すこともできずに一人で苦しんでいる。あの痛みはきっと味わったことのある人でなければ、想像だけでは感じることのできないものに違いない。
 実際に味わったことのある人がどれほどの多さなのか分からないが、誰もそのことに触れようとしない。
「きっとタブーなんだろうな」
 と阿久津は思っていた。
 足が攣るのは、本当は眠っている時に限ったことではない。実際に起きている時に足が攣ったこともあったが、足が攣る時のほとんどは、寝ている時だった。
 何かの法則性があるわけではない。確かに筋肉痛になっている時が多かったような気がするが、筋肉痛になった時だけが痛みが発症する時でもなかった。
作品名:呪縛からの時効 作家名:森本晃次