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呪縛からの時効

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 阿久津はそのことを分かっていたはずなのだろうが、意識していたわけではない。無意識の元に何かをいろいろ考えるというのは、阿久津の本能のようなものではないだろうか。ただ、
「いつも何かを考えている」
 という感覚は、普段からあるわけではなく、ある時突然に気付くものであった。
 その時がどういう時なのか、どういう法則があるのかなどということは分かってはいないが、何かの法則があることだけは理解しているつもりだった。
 香苗もそんな阿久津の性格はある程度分かっていた。
 分かっているからこそ、結婚しても彼の中にズケズケと入っていくような無粋なマネをすることはなかった。
 香苗が俳句をしていることは、阿久津も知っていた。香苗が近所の奥さん連中と仲良くしていることを嫌うこともなく、却って彼女がそれで充実した毎日を送れるのであれば、それでいいと思っているのだ。
 俳句に誘ってくれた奥さんは、近くの分譲住宅に住んでいる人で、俳句の会の人の半分以上は、分譲住宅からの人が多かった。仲良くなってみると、どうやら彼女たちの間には確執のようなものがあり、その確執は次第に香苗にも分かるようになってきた。
 数少ない賃貸マンションからの参加だった香苗は、同じ賃貸マンションからの参加の奥さんに慕われていた。その人は香苗に比べれば鈍感で、その確執をすぐには把握できないでいた。
 どこか天然なところもあり、その性格が香苗に安心感を与えてくれた。本人は自分が天然であったり、鈍感なところをそれほど意識しているわけではないところも、香苗には好感が持てた。
 香苗はそんな彼女を自分がフォローしなければならないという使命感のようなものを持っていた。先に自分の方が気付いてしまった他の奥さんの間の確執。そこには派閥のようなものが存在し、ひょっとすると、ここだけではないと思いながらも、あまり気持ちのいいものではないそんな関係を、気持ちの中で憂いていた。
 香苗はその奥さんを助けるつもりで、いつも一緒にいて、何かあれば、
「私が盾になってあげる」
 というくらいに思っていた。
 そんな思いをその奥さんはずっと知らずにいたようだが、それは奥さんが鈍感だっただけのことで、そんな奥さんでもさすがに、そのうちに、
「何かおかしい」
 と気付き始めたのだろう。
 何がおかしいのか、最初は分かっておらず、戸惑っているのが香苗にも分かった。
 その状況を香苗は、ほぼ正確に把握していたが、それが災いしたのかも知れない。
 香苗はその奥さんのことなら、何でも分かると思っていた。それは思い込みであり、思い上がりでもあった。
 その奥さんは、過去にも同じように人に助けられることがあって、結局はその人の気持ちを無視する形で、裏切ることになったようなのだが、香苗はそんなことを知る由もなかった。
 その奥さんは、本当に天然で、だからこそ、罪もないような表情で、容赦なくまわりを巻き込み、人を裏切る結果になってしまうのだろう
 香苗はその奥さんのことを助けてあげようという気持ちを表に出していた。それをその奥さんは本当に知らなかったのだろうか?
 もし知っているとすれば、それは確信犯だったということになる。もし確信犯だったとしても、その証拠はどこにもない。何しろ当の本人が、その意識を持っていないからだった。
 彼女のような女性をどう表現すればいいのだろう。香苗は後になって考えてみた。反省をすることはなかった。何しろ自分が悪いというわけではなかったからだ。
 彼女はさすがにまわりが自分たち賃貸マンションの住人に対して差別的な目を持っていることに気がついた。
 彼女は気が付いたのが遅かったからなのか、余計にそのことに過敏になった。その時彼女は、
「その状況を知らなかったのは、私だけだったんだ」
 ということを悟ったらしい。
 自分だけが取り残されたという意識が強く、その思いが焦りに繋がったのか、疑心暗鬼を強めた。
 この疑心暗鬼こそが、彼女の本性だった。
 疑心暗鬼になることで、まわりの人への過敏な反応が直接的に表に出ていって、その対象は、分譲住宅の奥さん連中だけではなく、今まで仲間だと思っていた賃貸マンションの奥さん連中にまで向けられた。彼女にとって、自分以外の人は皆敵に見えてしまうという負の連鎖が働いたのだ。
 そうなると、せっかく彼女を守ろうと心に決めていた香苗は、置き去りにされてしまったことになる。それどころか、彼女のために、まわりから沈黙の攻撃を受けることになり、まるで晒しもの状態にされてしまったのだ。
 まさか自分がこんな立場に陥るなど、想像もしていなかった香苗だった。
 いわゆる四面楚歌という状態になり、何をどうしていいのか、途方に暮れてしまった。誰かに助けを求めるようなことはしない。
 助けを求めた相手に裏切られたらという気持ちもあったからだ。
 まわりの誰も信用できない。疑心暗鬼になってしまったことで、自分すら信じられない。この思いが彼女を鬱状態へといざなってしまったのだ。
 鬱状態というのは、香苗は初めてではなかった。
 中学生の頃に一度味わったことがあった。あれは、苛めに遭っていた頃で、今でもその鬱状態を思い出すことはできた。しかし、その鬱状態からどのように復活できたのかということは覚えていない。
 中学時代というと香苗にとっては、
「子供だった頃」
 という意識しかない。
 鬱状態を抜けることができて、初めて大人への道が見えてきた気がしたというのが、香苗の思い出だったのだ。
 大人になったと感じてからの香苗は、それから毎日はあっという間に過ぎたような気がしていた。しかし、子供の頃のことを一足飛びに思い出そうとすると、かなり昔のように思えて仕方がない。
「まるでこれまでの人生を二回繰り返してきたのではないか」
 と思うほどの長さであった。
 阿久津とそのあたりは似ているのかも知れない。お互いにそんな思いをしたということを話したことなどあるはずもないが、阿久津の方としては、
「この思いは自分だけではない」
 という時間に対しての錯覚を感じていたが、香苗の方は、自分だけだと思っていたようで、このあたりでも感覚の違いはあったようだ。
 だからといって、それがすれ違いに結び付いたというわけではない。
 すれ違いというのは、どちらも感じるから、
「すれ違い」
 というのだと、阿久津はその時思っていた。
 しかし、どちらかしか感じないすれ違いがあることも、その後すぐに気付くことになるが、
「気付いてしまってからではすでに時遅く」
 ということになってしまうのだと分かるのは、阿久津にとって皮肉なことだったのだろうか。
 香苗が鬱状態になってから、阿久津は自分でもどう対応していいか分からなかった。自分の奥さんでありながら、どう対応していいのか分からないなど、自分でも情けないと思った。
 誰か、信頼できる人に相談できればいいのだろうが、そんな人はいない。だからと言って、一人で抱え込んで置けるほど、簡単な問題でもなかった。
 阿久津は、とりあえず様子を見ることにした。どうしていいのか分からない時は、
「まずは、自分ならどうされたいのか?」
 ということを考えた。
作品名:呪縛からの時効 作家名:森本晃次