川の流れの果て(2)
好き放題に喋る女房連中に売り物を渡してしまうと、吉兵衛は一緒に捌いていた秋刀魚の刺身を皿に盛り、お花がそれを又吉と甚五郎の座っている床几に運んだ。
「ありがとよ、お花坊」
「ありがとうごぜえますだぁ、お花さん」
二人がそう言った時、お花は又吉を見ていたかったらしいが、そう思うほどそちらを向けずに、「前からの馴染み客」の甚五郎の方ばかり見ていた。だがやはり、床几の傍を離れしなにちらりと又吉を見て頬を染めてから、「早くお米が炊けたか見なくては」といったような顔つきでその場を離れて、へっついの傍へぱたぱたと駆けていった。
又吉はなんてことのない顔をしながら秋刀魚をつまみ、「旨いでなぁ」と独り言を言ったが、甚五郎は脇から、「ええ娘じゃろ」と声を掛けた。
「へっ」
急に話しかけられて又吉は驚いたが、すぐに甚五郎の言う意味には気づいたのか、顔を真っ赤にして、「そ、そうですなぁ…」と頭を掻いた。
「でもな、若いの。嫁にもらうわけにゃいかんぞ、あれは一人娘じゃからな。一緒になるにゃ店を継がにゃ」
洗い物をしているお花には聴こえないようにと小声でそう言って、酔っぱらった吉兵衛は少し意地悪く、きししと笑った。すると又吉は更に顔を赤くして酒を飲んでいた湯飲みを慌てて床几に置くと、首と両手を振りながら、「そ、そんな大それたことおらしねえだ!」と大声で叫んだ。
又吉の声は店中どころか店の外まで聴こえてしまったので、奥の座敷に居た侍もちょっとこちらを覗いて「何ぞ、揉め事か」と声を掛けた。
「いやあ、お侍さま、なんてことねえ。ごゆっくりお飲みになってくださいなあ」
甚五郎はまたきししと笑いながらそう言ったが、又吉は、自分のあまりの大声と、それで周りが驚いたことにもびくびくして、決まり悪そうに背中を縮めて、若侍二人に向かってお辞儀をした。
又吉の様子に甚五郎も済まなそうに笑ったが、やがてこう話し出した。
「まぁそういきり立たないでおくれ。おめえさんを驚かしたのはすまねえが、ありゃええ娘じゃよ。おめえさんもなかなかのええ男じゃし、年寄りは自分の楽しみが少ないもんでな、つい口を出したくなるんじゃよ。そいじゃあな」
又吉は頷こうにも頷けない顔で、かといって首を振るわけにもいかず、曖昧に首を震わせながら、席を立った甚五郎爺さんに会釈をした。
「お花坊ー!銭は置いとくでなぁー!」
「あ、はーい!甚五郎さん、もう暗いですから、お足元にお気をつけてー!」
「はいよ、ありがとなぁ」
さっさと店を出て行った甚五郎爺さんを見送り、膝に刺身の皿を乗せたままぽけっとしていた又吉だったが、甚五郎爺さんの置いて行った銭を勘定しにお花が近寄ってくると恥ずかしそうにし、かといって何を言うわけにもいかないので、わざとそっぽを向いて、吉兵衛が包丁を使う姿に男として見惚れているような振りをしていた。
しかしどうやら気になって仕方ないらしく、又吉はもじもじと刺身の乗った皿の端をなぞりながら、お花が行ってしまうまで吉兵衛の方を向いていた。
しばらくすると又吉は一人で刺身を食べてしまい、何を喋っているのかよく分からない若侍のことなど気にしていないのか、ぼーっと川の方に顔を向け、葦が群れになった影の形だけがわずかに見て取れる川辺を眺めながら、酒を飲んで、帰った。
作品名:川の流れの果て(2) 作家名:桐生甘太郎