短編集71(過去作品)
作品自体には、それほど変わったところはない。むしろ平凡な家庭に起こる普通の事件なのだ。作家のイメージの方が先走ってしまって、作品はさほど高く評価されることはなかったが、私は好きだった。
「大人の小説だよな」
派手なトリックやアクションがあるわけではない。ストーリーは淡々と進行するのだが、読んでいて、気が付けばかなり読み込んでいると思う時もあれば、まだここまでしか読んでいないのかと思わせる部分もある。それが同じ作品なのだから、不思議である。
起承転結はしっかりしている。潔癖症というよりも細かいところや目に見えないところにまで気配りが取られている作品に思える。
「一度読んだだけではきっと分かる人はいないだろう」
私は三回は読まないと分からない。他の作者の作品であれば、再度読み直してみようなどと思ってみることはない。何しろ子供の頃から国語が苦手で、文章を読むのが嫌いだったからだ。いかに作品をイメージを沸かせてくれるかが、私にとっていい作品なのかどうかのバロメーターであった。
「こんな小説を書けたらなあ」
と思ったこともあるくらいで、最初は読みあたりがいいので、簡単に入り込むことができる。
実際に書いてみたことはないが、書けそうな気がしたのは、この作家の作品を見たからだ。書くということはかなりのエネルギーを使う。書けるようになるまでが一苦労で、いろいろ試してみてやっと書けるようになったくらいだ。ただ、完成させたことはない。思い付きで書き始めるので、最後まで書けることはないのだ。書けることが嬉しくてたくさん書いてみたが、読み返すこともなく、ラストが結びつかずに、未完成の小説が何作品あることだろう。
自分の夢にその作家が出てきた。主人公がその作家で、シチュエーションはその作家が書いた作品だった。作品はごく普通なのに、作家が主人公になるだけで歪な世界観が作り上げられたのだ。
世界観という夢の中では、私の意思はしっかりと存在していた。きっと夢を見ているという意識があったからで、夢だから何でもできるというものではない。夢こそ自分の潜在意識が作り上げる世界観で、ある意味現実の方がたくさん予期せぬ出来事が起こる。夢を歪な世界観だと思うのは、現実至上主義が作り上げる妄想が、夢なのだと思うからで、夢が織りなす世界が潜在的な意識でしかないことに気付かない限り、夢は妄想でしかないのだ。
夢に出てきた作家の顔は私だった。性格には二十代の私が四十過ぎの私を想像し作り上げたイメージ、それなりにイメージには自信があった、夢の中で繰り広げられる作品を演じている私は作品に踊らされていることを分かっていた。
指紋を照合するシーンで、私は拒んだ。指に墨を塗るなど私には許せない。押さえつける刑事の手が汗ばんでいて気持ち悪い。吐き気を催しながら結局は文句も言えず、あまりにも気持ち悪そうにしている私に対し、露骨な嫌悪を示している。
「お前が犯人じゃないのか?」
と言いたげな視線を痛いほど感じながら、なるべく目を合わさないようにしながら、意識だけは過敏だった。百戦錬磨の刑事たちからすれば、私のような人間を犯人に仕立て上げることくらい簡単なことかも知れない。
果たして、私は犯人として自白に追い込まれることになる。短いようで長かった取り調べ中、私の心ここにあらずで黙秘を決め込んでいたが、一旦気を抜いてしまうと、それまで抑えられていた不安と恐怖が一気に襲ってくる。
「俺じゃない」
と言ってもすべてが終わったあとだった。
「楽になれる」
という甘い誘惑は刑事たちの勝手な思い込みで、私は彼らの前に現れることはなかった。楽になった瞬間に、縁が切れたのである。
夢はそこで終わった。それ以上は想像がつかないのだ。やはり夢は潜在意識が見せるもの、それ以上は現実でしかないのだ。
私が小説を書き始めようと思ったのは、社会人になってからだった。それも三十歳の少し前くらいで、仕事でも一番充実している頃だった。気持ちに余裕があったのか、何か趣味を持ちたいと思った。ミステリーを書いてみたいとも思ったが、そこまで頭が回らない。もう少しぼかした形の小説が書ければいいと思い、ブラックユーモアの小説を読み漁った。
ショートショートから短編小説がブラックユーモアの主流で、勢いをつけて読ませることがブラックユーモアには必要なことだった。数時間で何篇も読めるくらいで、読みやすさも条件の一つだった。一気に読むから読みやすく感じるのであって、ところどころ休みながら読むと、結構文章に引っかかってしまって、先に進めない。そんな話が「大人の小説」だと思っている。
ブラックユーモアは子供が読む方が、本当はいいのかも知れない。頭が柔軟で想像力に長けているからだが、読解力がついていけるかどうかが問題となるだろう。もう一度読み直してみようという気にさえなれば、きっと子供が読んだ方が、作者の意図しているところを読み取れるのではないかと思う。
作者も子供になったつもりで書くと、面白い作品が書けるかも知れない。それなのに、「大人の小説」と言われたり、子供には不向きだと言われるのは心外だ。玄人好みの小説と言われる分には嬉しいが、私の書く小説は、悲しいかな思っているようには書けないものだ。
三十歳になって小説を書いてみようと思ったのは、会社の帰りに立ち寄った図書館にあった。
図書館など大学の時、試験勉強に使用したくらいで、社会人になって立ち寄ることもなかった。そこに図書館があることも分かっていて、学生時代には何度も立ち寄っているくせに意識がないというのは、学生時代にいい思い出がないからだ。
試験前になって根を詰めるかのように図書館で勉強する。しかし勉強の仕方がよく分かっておらず、やみくもに暗記しようとしているだけだった。
暗記は苦手ではないと思っていたのに、大学の勉強では力技の暗記は通用しない。高校の時の勉強とは違っていた。
図書館で、本の背を眺めながら私は図書館の匂いに陶酔していた。本の匂いだけではなく建物自体が高尚な臭いを嗅ぐわせている。
図書館にいると、まるで自分が潔癖症になったかのような錯覚を受ける。アルコールの匂いを感じ、一緒に本の匂いまで感じると、本の匂いかアルコールの匂いに、それぞれ魔法の香織が含まれているように思えるのだ。
ブラックユーモアというのは、中途半端なジャンルである。厳密にはブラックユーモアというジャンルは存在しないのかも知れない。実際に存在する恋愛小説やSF、ファンタジーなどの大きなくくりの中に、サブの括りとしてブラックユーモアが存在する。
違うジャンルを読んでみようと思い、本屋で無作為に手に取った本の表紙の絵が気に入った私は思わず買って読んでみた。短編集であったが、その一つ一つがミステリーであったり、ファンタジーであったりする。その中にもブラックユーモア的な小説もあり、ジャンルとしては、ブラックユーモアだと思っても不思議はなかった。
作品名:短編集71(過去作品) 作家名:森本晃次