短編集71(過去作品)
私が経験したのは、田丸よりももっと小さかった頃で、小学校に上がってすぐくらいだった。
友達はどうしたことか火遊びをしていて、家に火がついてしまったのだ。小学生に上がったばかりの頃の子供がなぜ火を使っていたのか分からないが、きっとお兄さんか誰かと花火か何かをしていて火がついてしまったのだろう。
その火の元が、友達だということになった。
「子供の火の不始末で、しかもこんなに小さな子が」
と話題になったが、こちらも幸いなことにけが人も出ずに済んだ。家も保険で何とかなったというし、火の元のことも次第に皆忘れていったようだ。
お兄さんたちが何も分からない弟に責任を押し付けたという噂もあったが、お兄さんたちもまだ小学生。あまり深くこだわらない方がいいということで、誰も火事の話題に触れることはなくなった。
それからの私は、用心深い性格になった。
ちょっとした不始末で大火事になりかねないからだ。一人暮らしを始めてからは、家を出る時にはすべての電気を切るだけでは物足りず、コンセントから抜くようにしている。
かといって私が石橋を叩いて渡るほど、すべてのことに用心深くなったわけではない。気が付いたところだけに気を付けるようになったのだ。
田丸のように、マナー違反の連中に対して怒りを覚えるようにもなっていた。実際に注意をしたことは何度もある。たいていは、相手も自分が悪いという自覚があるのか、すぐに改めてくれるが、中には怒りをあらわにする人もいる。そんな人は無視しておけばいいのだ。
大声を出して叫んでみたところで、相手は孤立無援なのだ。まわりは何も言わないがきっと私の味方のはずである。そう思うと、スッキリした気分になっていた。
――スッキリした気分になりたいために田丸も怒っているのかも知れない――
と思ったが、それを考えるということは、自分にも跳ね返ってくるということだったのだ。
私も潔癖症とは違うのかも知れないが、共通点も少なくないだろう。そんな中で、
「潔癖症と私とは、本当に違っているんだ」
と思ったのが、田丸に出会ってからだった。田丸という男の潔癖症には「ド」が付くほどのものがあり、誰も寄せ付けないであろう雰囲気が醸し出されていた。自分にも他人にも厳しいというところがそれを示していて、さらに後から生まれた正義感に燃える性格が火に油を注いだのか、彼は誰からも相手にされないようになっていった。
孤独というものは、最初に感じると本当に辛いものだが、それに慣れてしまうと、何とか耐えれてしまう。慢性化してしまうと、今度は何かの拍子に孤独が一気に押し寄せてくることもある。
そんな時、どれほど自分がまわりを見えなくなっているかが、押し潰されない秘訣だと思うようになっていた、孤独はずっと引きずっていかないといけない。どこかにターニングポイントがあり、耐えられるかどうかでその後の人生も決まってしまう。耐えれるということはそのまま孤独とともに生きていくことであり、まわりとを遮断したことになる。
「これって、本当にいいのかな?」
友達はいても、孤独感を引きずっている。孤独という定義はどこまでなのか、私には考えあぐねるところがあるが、孤独だと思った瞬間に、まわりを受け付けてはいけないという壁を作ってしまうのだ。
壁など作ってはいけないはずである。それなのに作ってしまうのは、無意識に本能が働いて意思にともなわない考えが私を支配するからなのかも知れない。そんな時の意思は無力であって、逆らうことを許さないのだ。
そんな思いを抱いている時に知り合ったのが田丸だった。彼との出会いは私にはセンセーショナルだったはずなのに、出会った時のことをあまりハッキリと覚えていない。いつから仲良くなったのかすら分からない。それはきっと彼が人を寄せ付けないオーラを持っていて。友達だと思っていても相手は決して思っていないのではないだろうか。そのことを相手は意識してはおらず。なぜか孤独を感じさせる田丸が他の人と少し変わっているという風に思っているだけなのかも知れない。
「孤独って、何なんだろうね」
と呟いた時の田丸を見た時、私は氷のように冷たい目というのが本当に存在するのだと思ったのだった。
人が自分の机に触ったというだけで、いちいちアルコール消毒をしたというフレーズをあるミステリーで読んだことがあった。小学生の頃だったが、それまでは潔癖症という言葉すら知らなかったのだ。
「潔癖症という性格が犯罪を呼ぶんだ」
という人がいたが、潔癖症な人はまわりから嫌われるので、被害者になったと聞くと、誰もが当然だという顔をするだろう。しかし、実際はそれを逆手にとっての自殺だったのだが、性格を前面に出しながら、裏では巧妙なトリックが隠されていた。
表に出ているものすべてを信じてしまうと、必ずどこかに歪みが生まれる。誰もが歪みに気付いていても、原因にたどり着くことができない。原因こそが動機となるのだ。
ミステリーが好きな私も、最初は作者の意図が分からなかった。派手な機械的なトリックに目を奪われ、実際の心理トリックに引っかかってしまった。読み終わっても自分が引っかかったことに気付かない。気が付いたのは、八年後に再度読み直した時だった。
妹の読むミステリーと私が読むのは違っている。私の読む小説は、大正から昭和初期のミステリーで、時代が生んだストーリーに思いを馳せたものだ。昭和後期から平成にかけての小説は、私の興味をそそるものはなかった。
妹が読む小説を私も読んでみたが、確かに文章は巧妙に描かれている。長い年月でミステリーが成長していった証拠であろう。嫌いではないが、醍醐味に欠けると言ったところか、一冊読めば満腹上体。それ以上はいいと思えてくる。
同じ潔癖症を主人公にしたミステリーが、昭和初期にあったようだ。その作家はあまり知られておらず。戦争中に描写を審査され、発汗禁止になったこともあった作品だ。
元々作者自体が得体の知れない人だったようで、編集者の人も作者の人となりをほとんど知らない。
コンクールで入選し、デビューしたのはいいが、一年中旅をしている人で、原稿はいつも郵送で送られてくる。編集部はそれでもよかったが、取材を申し込まれても、
「さあ、今どこにいるのかも分かりませんからね」
と、答えをはぐらかすしかなく、冷や汗を描くこともあった。
「切ってもいいんじゃないか?」
編集会議で、彼を切るという話が上がったこともあったが、担当は猛反対した。
「他の編集者が、うちから切られるのを、今か今かと待っているんですよ。みすみす他に持っていかれるのも癪じゃないですか」
本当は自分も嫌気がさしていたが、それ以上にこのまま他の編集者を喜ばせることは、もっと嫌だった。
作家というのは、結構変わっている人が多いが、そこまで神出鬼没な作家はいない。遅滞なく原稿が送ってこられるので、誰も文句をいうことはできない。原稿料についても揉めたことはないし、少し不安はあるが、困ることはなかった。
噂ではその作家は潔癖症だという。人に会おうとしないのも、人といて汚れるのを嫌だと思っているからだという話が裏では蠢いていた。
作品名:短編集71(過去作品) 作家名:森本晃次