短編集71(過去作品)
私だけではなく、兄にも同じことを言っていた。
「ミステリーもいいが、勉強もするんだぞ」
と、兄は父親のようなことを口にした。一生懸命にやっているのだから、水を差す必要はないのにと思ったが、兄は兄で心配しているのだった。少し慎重すぎるのが兄の欠点であり長所である。そんな兄を私は頼もしいと思っていた。
短所は長所のすぐ隣にあるというがその通りかも知れない。いいことばかりを気にしていれば悪いことも気になる。それは短所と長所が隣りあわせだからなのかも知れない。
兄と私は似たところがあると言われるが、どのあたりがなのだろう。最初に言い出したのは妹だった。一緒に育ってきたのだから信憑性はあるのだが、妹にも言葉にするのはなかなか難しいようだ。
兄としては私も妹も可愛いと言ってくれる。三人兄弟は多いのか少ないのか分からないが、兄は、
「たった三人の兄弟」
と表現する。他の人とは違うのだということを強調したいのだろう。
兄と私は、小学三年生の頃までは別のところで暮らしていた。家庭の事情だということだが、別居だったのかも知れない。兄と少し年齢が離れているのも、そのあたりに原因があるという。兄は完全に父親に似ていて、私は母親に似ている。だから分かるのだ。普段は仲が良く、お互いに敬意を表するところはキチンとしている。
しかしいったん仲が拗れると、仲直りまでにはかなりの時間を要する。お互いに敬意を表しているはずなのに、我が強いのだ。
「自分あっての相手」
お互いに似ていない性格だと思っていたが、悪いくせだけが似てしまった。お互いに頑固なこともあり、しかも私には歩み寄りができないタイプだ。相手が少しでも歩み寄りを見せてくれたら、そこから先、歩み寄るのは自信があるのだ。
兄も同じらしい。お互いに謝ってしまえば済むことを照れ臭さなのか、意地なのか、私が意地を張っている時は、兄が照れ臭い時で、私は照れ臭いと思っている時、兄が意地を張っているような気がする。
ちょっとズレればきれいに噛み合うはずである。私にとって兄は尊敬に値する相手であり、一番難しい相手でもあった。
仲直りをしてからは、
――何、意地を張っていたんだ――
と思えてならない。きっと兄も同じに違いない。
「意地の張り合いほど時間の無駄はない」
と言っている兄自身が意地を張っているのだ。
しかし、兄は他人に対して意地を張ることはない。親に対してもない。あるとすれば私か妹に対してだけだ。六つの年の離れた妹に対して、どんな意地を張っているのかと思うが、妹に対して可愛らしさを感じることの照れ臭さなのかも知れない。妹に対しては意地を張るというよりも、意地を張っている妹の相手をしているという感じであった。年が離れていることが照れ臭さを生み、意地を張っているように見えているのかも知れない。
私はそれをずっと分からないでいた、照れ臭さは顔には出るが、意地を張っているのは顔に出ない。顔に出ないのは兄の特徴だと思っていたが、兄もやっぱり同じ人間だということである。
私は兄と同じ学校に通ったことがない。小学三年生まで別々で暮らしていたので、私が兄の小学校に転入した時は、すでに兄は中学生になっていた。
最初に見たのが中学生の兄である。自分はまだ子供だったのだ、
「お兄さんだよ」
と言われても、相手は大人にしか見えない。兄の性格からすると、私を最初に見た時は、警戒していたのではないだろうか。社交的な兄ではあるが、初対面の人には警戒心をむき出しにする、そういう意味で、兄と接する人は両極端なイメージを植え付けられることになるのだ。
私にとって兄は大きな存在だった。大きな存在である父親と似ているのだから当たり前のことだ。
私は両極端なうちの堅苦しい方を兄に感じていた。近寄りがたい雰囲気で、
――兄でなければ、友達になることはないだろう――
と思わせる相手であった。
もう一つの極端な見え方は、兄が社交的で、馴れ馴れしいくらいだということだ。相手が誰であれ声を掛け、友達を作る雰囲気で、ひょっとすると、数年後の私の性格がそれだったのかも知れない。
やたらと友達を作って収拾がつかなくなってしまい、友達を作ったことが後悔に繋がる。高校まで暗い性格だった私が大学に入って弾けたのだ。
そんな性格の人間は私だけではない。他にもたくさんいて、ひどい時にはどれが自分なのか分からなくなる。まるでお祭りによくある。ミラーハウスのようである。
周りには無数の自分がいて、どれもが同じ顔をしている。いや、していると思い込んでいるのだ。よく見ると、いくつかは違った顔をしていたり、違う方向を見ていたりと、知らない世界がそこに広がっているのかも知れないのだ。
兄が私を見る目が変わってきたのはいつ頃からだっただろう。大人として認めてくれたのか、明らかに私に対して心配をしなくなった。それ以前は、いつも兄の心配そうな表情に視線の痛さを感じていた。その視線の先に私は父親を見ていたのかも知れないが、兄と父ではまったく違っていることに気付いたのもその頃だったのだ。
兄と父を重ねて見ていた自分が恥かしく感じる。兄には父にないものがあった。私もその年になるまで分からなかったが、なぜ分からなかったのかと不思議に思う、兄にあって父にないもの、それは「若さ」であったのだ。
若さにはその時だけにしかないものがある。その点、年の差は絶対に狭まることも広がることもない。年を取るというのは不思議なもので、
「年は取るものではない。重ねるものだ」
という思いにさせられたのだ。
重ねた年齢は年輪である。年輪に似ている指紋は重なっていくものではないが、成長をしないものなのだろうか。生まれてから変わってしまえば、指紋照合の信憑性はなくなってしまう。私は指紋の中に、年輪を重ねて見ているのかも知れない……。
純粋に
クリスタルなる潔癖の
脆くもありて大切なものなり
学生時代には感じたことのなかった「潔癖」を感じたのは、三十歳近くになってからだった。大学を卒業し就職した頃は、
――几帳面にしなければいけない――
と思いながら、なかなかついてしまった大雑把なくせは抜けるものではなかった。
神経質でありながら、大雑把というと、あまりいいイメージを持たれることはないだろう。実際に社会人になりたての私は、そんな性格だった。ただ、仕事を真面目にコツコツとこなしていたので、大きく表に出ることはなかったが、上司の中には、
「あいつには細かい仕事は任せられないな」
と思っていた人も少なくないはずだ。
特に私の仕事は細かいところを要求される部署だった。
企画部という名前の部署は宣伝部も兼ねていて、私は宣伝よりも、企画を立てる方の部署だった。商品のキャッチフレーズを考えたりするのも宣伝部というより企画部で、幅広い分野に足を踏み入れていた。
二十代前半は、思い付きが功を奏して、思いつくことが結構採用されたこともあったりした。しかしそのうちにネタが切れてくると、なかなか浮かんでこないもので、苦労をさせられたものだ、
作品名:短編集71(過去作品) 作家名:森本晃次