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短編集71(過去作品)

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 例えば片方の手のひらが氷のように冷たく、かたや、もう一方が暖かい手の平だったとする。両方の手を擦り合わせた時、どう感じるであろうか? 暖かいと感じた時、果たしてもう片方の手を冷たいと感じることができるであろうか? もし感じることができたとしても、果たしてそれがどちらの手であるか、瞬時に感じることは、なかなか難しいであろう。
 私はこのシチュエーションの中でそのことを感じていた。
 今も誰かに見られているような錯覚に陥っている。夢を見ている自分であろうか? そんなバカなことがあるはずないが、忘れてしまった夢を思い出そうとしている自分に気付く。
そう、まるで相対する鏡の真ん中に自分を置き、鏡に映った無限の自分を見ているような気がし、そのうちにどれが本当の自分かさえ分からなくなってくるかのように……。
それが夢の全貌であった。最後まで見た夢は私にとって初めてだった。いつも肝心なところで目が覚め、どんなにその結末を考えようとしても、目が覚めるにつれ、次第に薄れていく記憶に追いつくことができず、結局断念せざるおえないのだ。
しかしその日は違っていた。夢というものは一番知りたいところまで見てしまうと、これほど現実との境がなくなるものかと今さらながら思い知った。
そんな思いが続く中、迎えたデート当日であった。寸前まで夢の感覚が残っていたが、実際会うとそんな思いはどこへやら、楽しい一日が私を待っていた。
もちろん、夢の内容を京子といえど誰にも話すことはしなかった。会って話をするうちに、夢の内容が薄れていくのを感じたが、心の中で「同化しているのでは?」という思いも捨て切れなかった。
 誰かに見られているという思いも心のどこかにあり、不安に思っている反面、手放しでデートを楽しんでいる自分にも気付く。元々二重人格では? と思っていた自分の性格である。一途に考えるよりも却って気楽でよかったかも知れない。
「私、誰かに見られている気がするの」
 一瞬、京子に怯えの表情が浮かんだ。
「えっ?」
 一通り楽しんだ後、一段落したくて腰掛けたベンチの正面には、きれいな花壇がある。その中央には大きな花時計があり、時間を見るとそろそろ夕方近くになっていた。
 そういえば、すでに東の空と西の空の明るさの違いが現れていて、風も冷たく感じられる。
 何となくお互いの間に不穏な空気があった。
「えっ?」
 しかし逆に京子は聞き返したのだ。私の聞き違いだったのだろうか? いや、たしかに聞いた。言った本人に意識がないのだろうか? しばしお互いの顔を見合わせていたが、それも長くは続かず、なぜだか込み上げてきた可笑しさに自然と顔が緩むのを感じた。
「ふふふ」
 微笑む京子を見ていると、今さっき感じたはずの不穏な空気は消え去り、聞き違いで済ませてもいいような気になってくる。
「『コスモス』に寄ってみようか?」
 私が声を掛けると、頭を垂れ少し考えていたが、すぐに頭を上げると、左右に首を振って否定の意志を表した。
「今日はどこか呑みにでも行きませんか?」
 確かにいつも同じパターンというのも芸がない。毎朝のように会っているところに今さら行く必要もあるまい。しかもお互いの「コスモス」は平日にあるのだ。
「どこがいい?」
「私あまり呑みに行ったことないし、よくわからないので、お任せします」
 以前会社の同僚に教えてもらった店で、アベックが多く、一度は自分もカップルで行くことを切望していたお店が頭に浮かんだ。そこはウエスタンバーみたいな店で、値段も安く、気軽に立ち寄れることで人気がある店だった。初デートにはもってこいかも知れない。
 さすがに平日はサラリーマンのスーツ姿が目立っていたが、休日ともなれば、年齢層がぐっと下がりアベックも多い。いや、スーツを脱ぎ、カジュアルな服装になっただけで、若く見えるのかも知れない。
「私こういうお店初めてなの」
 店内に入るや否や、周りを見渡すその姿で、言われる前から想像はついた。
「そうなの? 気に入ってもらえたかな?」
 驚いたフリをしてみたが京子にそれが分かろうはずもなかった。同い年くらいのカップルに潤んだ目を向ける京子がいじらしく感じ、店の選択に間違いがなかったことを再確認できた。
 元々あまり呑める方ではない私だが、アベックという今までにないシチュエーションの中、自然とアルコールの回りも早くなっていた。
 いつもであれば、これくらいで酔うはずもないと思えるほどであった。最初は素面と変わりないが、二杯目くらいから一気に酔いが回ってくるタイプの私なので、最初から気持ちよくなっていた今日は、明らかにいつもと違っていた。
 アルコールのまわりが早いと確かに呂律が回らない。舌が痺れたような感じになり、息が切れている。たいした量ではないはずだという思い込みが、却って雰囲気に酔っている自分を認識できなくなり、気が付けばマシンガンのようにまくし立てながら話している自分に気付く。
 あまり呑んでいない京子の頬がほのかに赤く染まっている。どんな話にでも身を乗り出すように聞き入っている京子を見ていると、自然と話題も出てくるもので、そこに沈黙の入り込む余地はなかった。
 一体私はどんな話をしているのだろう? 次々に出てくる話題に記憶がついていかず、最初の頃の話題はすでに記憶の彼方へと葬り去られていた。酔いの回りの早さを感じさせられた。
 すでに周りの連中の話し声が雑音としてすら気にならなくなっていた。篭って聞こえてはいるが、わずらわしさは感じない。高い山に登った時に感じる鼓膜の張りのようなものだが、唾を飲み込んでも一向に戻らない。これが酔っ払った時のいつもの特徴だった。
 おもむろに辺りを見渡す。酔いのせいか、気が付けば細目で見渡している。
 先ほどより客が増えてきているのが分かったが、それがまだ時間的に宵の口であることを示していた。
 先ほどから背中にムズムズするものを感じていた。酔いのせいか、ムズムズがどこから来るのか分からなかったが、まわりを見渡しているうちに、それが背中に当たる誰かの視線であることに気が付いた。
 おもむろではあったが辺りを見渡す行動が無意識とはいえ、本能によるものであるという気がして仕方がない。
 少しずつ酔いが覚めてくるのを感じた。
 背中に送られていた視線がどの辺りからかという範囲も、酔いが覚めるにしたがって狭まってくる。しかしあくまでも感覚的なことであって、確定ではない。
「あれ?」
 視線を送ったその先に見えたであろう幻影を確かめようと、私はそのまま横を向いた。「どうしたの?」
 そこにはおかしな行動をとった私を不思議な目で見つめる京子の姿があったが、その顔に不安などはなく、きょとんとした表情で私を見つめているだけだった。
 心の中で、「まさかそんなこと」と思いながら感じたことを封印していたが、幻影は残像として、しばらく瞼の奥に焼き付けられていた。
「いや、別に……」
 と答えはしたが、果たしてどこまで自然に楽しめたのか、はっきりとは分からない。自分に意識はなくとも、相手が感じることなので、少し不安ではあった。
 それまで結構私からの話が多かったので、却って良かったのかも知れない。自分のこと
作品名:短編集71(過去作品) 作家名:森本晃次