短編集71(過去作品)
「それが思い出せないの。見たという人から話を聞いているとその時はイメージが湧くんだけど、他の時に思い出そうとすると、モザイクが掛かったみたいにどうしても思い出せないんです。不思議ですよね」
私には京子の話が半分理解できた。内容は違うが似たような思いを私もしているからである。
私の場合は、逆のパターンと言ってもいいくらいで、やはり後日友人から言われたことがあるのだ。
「この間、お前が一人で寂しく歩いているところを見たぞ」
「それは何時頃だい?」
学生時代のことである。その頃は彼女もいて、それなりに忙しい日々を過ごしていたはずなので、そんなことを言われる覚えはなかった。
「一昨日かな? 昼二時過ぎ頃だったと思うが」
一昨日の昼の二時過ぎ頃へと頭がフィードバックする。
「声を掛けてくれればよかったのに」
軽く言ってみたが、
「いやいや、それができないほど哀愁が漂っていたんだよ」
「一体どこで見たんだ?」
「駅前のロータリーの角」
駅前のロータリーの角? 確かに言われて見れば一昨日の昼二時過ぎ頃というと、そのあたりに出没していたことは間違いない。
しかしその時自分一人ではなく、ちょうど付き合っていた彼女とデートしていたはずの時である。一人でいた時などなかったし、ましてや話し掛けにくいほどの寂しい雰囲気など、最近の自分には考えられないことであった。
もし、友人の言っている話の場所か時間でも違っていれば、何かの間違いで片付けられるのだが、場所も時間も間違いないのであれば、自分もそこにいた記憶があるので、笑って済ませることもできない。
さすがに友人には笑ってごまかしたが、自分自身の中で長く尾を引いたことは間違いなかった。
もし、自分にその時彼女がいなくて、一人寂しく歩いていたら、どんな顔で歩いているだろうかと考えた。そして目を瞑ると浮かんでくる私の顔は友人が見たという顔そのままに違いない気がして仕方がない。たぶん、話し掛けるにはあまりにも哀愁が漂っていることであろう。
それでも最近は忘れていた。社会人になり、その土地を離れることで心機一転、呪縛から逃れられたような気がしていたのだ。
京子の話がきっかけで思い出したのだが、友人から話を聞いた時の衝撃がよみがえってきたのも無理のないことだった……。
「でもたぶん、その時の私はとても素敵な顔だったんだろうな?」
遠い目をカウンターの奥へと向ける。私が友人から聞いた自分の顔を想像したのと同じことを、今京子はしているのだ。
「そうだろうね、女性は恋をするときれいになるっていうからね」
「でも、それって本当なのかしら?」
「僕は本当だと思うね。精神的な面が女性ホルモンの分泌を良くするのかも知れないね。そして何よりも、その時にフェロモンを醸し出しているんだろうね」
「そうね、ひょっとしてその時に変わる顔や雰囲気が、男性にとって一番女性がきれいに見える時なのかも知れないわ」
京子のいうことももっともである。女性の顔の基準は、あながち男の感性で決まると言っても過言でないかも知れない。それは意識する女性の側からも言えることであって、「きれいになりたい」というのは男性を意識するがゆえのことである。
今の京子はどうであろうか? 私は京子を見つめた。穴の開くほどというのは大げさかも知れないが、それに気付いた京子が私を見つめる目には潤みが感じられる。
「何てきれいなんだろう?」
私は今までこれほどきれいな目に出会ったことがない。どちらかというと、顔の配置でまず目から見ていく私が、しばしその視線から離れることができなかったのだ。金縛り状態の私のその時の表情が一体どのようなものであったか想像もつかないが、間抜けな顔でないことを祈るしかない。
まだあどけなさの残る顔と潤んだ目で見つめられた私は、言葉が出てこなかった。しばしの静寂を切ったのは、京子の方だった。
「今度、遊園地にでも行きませんか?」
「いいですねえ。遊園地のデートですね」
デートという言葉にまったく抵抗のない京子は、
「私、結構遊園地にいる夢を見るんです。それも一人じゃなく、男性と……」
「ほう、それはどんな男性?」
「それが、よく覚えていないんです。夢の中ではしっかり認識しているんでしょうけど、目が覚める瞬間に忘れてしまうんですね、きっと……」
遊園地でデートとは少し意外な気もしたが、学生時代であれば頭に浮かばなくもなかった。さっそく日にちの調整をし、週末の土曜日に行くことにした。
その日はまだ月曜日であった。週末まではまだ数日あったが、それから土曜日まで見た夢がすべて遊園地の夢だったというのは、かなり京子を意識し始めた証拠であろうか。
しかもその夢というのが、どうも続きものだったような気がしてならない。一日目の最後が二日目につながり、二日目の最後が三日目につながる……。果たしてそんなことがあるのだろうか?
夢の中が百として、目が覚めるにしたがってそれが九十になり五十になる。結局、どんな印象深い夢であっても、最後はほとんど覚えていないのが現実だとするならば、毎日同じ夢を見ていて、記憶に残るのが続きの部分だというだけであるならば、辻褄はあっているような気がする。
しかしそれにしてもこれほど付き合っている女性を気にするなど今までにはなかったことだ。
そして当日になり、約束通り遊園地での初デートとなった。
人を待たせるのが嫌いな私は、約束の時間より十五分は必ず先に待っていることを心掛けている。その日も約束の時間より十五分前に着くように出かけ、交通機関に乱れなく、予定通りの十五分前には待ち合わせ場所に到着した。
待ち合わせ場所のメッカとして知られるところなので、朝十時という待ち合わせにもかかわらず、かなりの人がおのおの自分の場所を確保するかのように、相手が来るのを待っている。
私の感覚では、「男性が女性を待たせるのは、マナー違反」というポリシーがあるので、待っているのは男性の方が多いのではと思いがちだったが、意外にも女性が目立つのに驚いている。しかもそのほとんどが中学生くらいの女の子で、十歳近くも違う男性の私としては、まるで浮いているように思え、遠くから見ていることを想像するだけで少し恥ずかしく思える。
しかしこのシチュエーションが、結構リアルに感じるのはなぜだろう? 想像すると懐かしさを感じ、今までにも同じような思いをしたことがあるようだ。しかもその時にどれだけ自分に落ち着きがなかったまで思い出すことができる。それは、何となくだが自分が誰かに見られているという錯覚に襲われるためだということも、なぜか覚えているのだ。
果たして実際ここで待っている私もそんな錯覚に襲われている。それは実際に待っている自分が感じていることなのか、それを見ている側から感じることなのか、までははっきりと区別がつかない。
作品名:短編集71(過去作品) 作家名:森本晃次