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短編集71(過去作品)

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 私が子供だったと言われればそれまでだが、確かに理由はどうあれ、盗みはいけないことだ。それは認める。しかし、すべてを否定することはしたくない。それは両親の言葉にもあるではないか。
「せっかく目を掛けてやったのに」
 この言葉の裏には、
「俺の目が節穴だったんだ」
 というのが隠れていることを分かっているのだろうか。分かっていて言っているのだとすれば、私にはその気持ちは分からない。
 理由に関しては詳しくは聞いていないが、切羽詰ってのことで、同情の余地もないわけではないという話を後から聞いた。その人は、無罪とはいかなかったが、懲役はなかったということで、執行猶予がついたのだった、子供には執行猶予などというのは理解できないので、無罪放免だと思い、心の中で半分はよかったと思ったものだ。もう半分は、
「悪いことをしたのに罪に問われないのは、他の人と比べて不公平ではないか?」
 という思いがあったからだ。しかし、その人とはそれから一切会っていないこともあって、大人しく暮らしているのだと思うことで、とりあえずはよかったと思ったものだ。
 私にとって、この事件は半分トラウマのようだった。あまり大きな事件として心に残っているわけではない。ちょうど同じ頃、ハチに刺されて病院に担ぎ込まれたことがあったが、同じくらいの印象である、刺されたのもスズメバチなどの死に至るハチではないことで、まわりが大げさだっただけで、意外と私は冷静だった。
 事件自体がトラウマとなったわけではない。イメージとして私の中に残ったのは、指紋を取られるシーンだった。
 匂いはほとんどないという話だったが、私の中では、
「これが墨の匂いなんだ」
 という独特の匂いを私は覚えている。
 それは、書道の時間に感じた墨の匂いとは違うものだった。同じものを使っていないだけなのかも知れないが、手に塗る墨の匂いは、もっと濃かったように思う。
 まわりの雰囲気で匂いまで違って感じるということは、成長するにしたがって分かってきたような気がする。
 書道の時間が私は嫌いだった。私が不器用なのがいけないのかも知れないが、いくら注意しながらやっても、手に墨がついてしまうのだ。ついてしまった墨を何かにぬすりつけるようにして、その場をやり過ごす。そんな行為が自分のことながら、嫌だったのだ。
 そういう意味では図工や美術の時間も嫌だった。絵具はこびりついてしまって取れない。こちらは書道の墨よりも厄介で、なかなか取れるものではない。
――もし、手に絵具がこびりつくようなことがなければ、絵画が好きになっていたかも知れない――
 と思う。
 私は芸術的なことが好きで、本当なら絵も描いてみたいという願望もある。単純に下手だという気持ちと、絵具がへばりつくのが嫌だという気持ちさえなければ、芸術的なことが好きな私は、絵を描くことに抵抗はなかったことだろう。
 絵が下手な理由も分かっている。絵画の基本である。バランス感覚と、遠近感がうまく取れないのだ。遠近感とバランス感覚は結びついているところの絵画の基本中の基本だ。それだけにどちらかが苦手なら、絵画に対してはかなり苦労するのは伺えるであろう。
「書道だって、芸術の一つさ」
 なるほど、文字を図形のようなものだと思えば、バランス感覚、遠近感、どちらも必要なものだ。見ていて派手な絵画と、単色で地味な書道とでは、私はやはり絵画の方に走ってしまうかも知れない。
 絵画に造詣の深い友達がいて、一緒に美術館に何度もつれていかれた。しかし私に絵が分かるはずもなく、必死に解説してくれる友達の話を、ただ頷きながら聞いているだけだった。
 絵画に親しんでいるのは、他にもいた。それぞれで絵画に対して考えが違う。静かなものをゆっくりと描くのが好きな友達と、動きのあるものを「点と線」で合わせて瞬間でとらえるのを絵画の醍醐味だと思っているやつと、それぞれだ。正反対のことを言っているように思えるが、話を聞いてみると、共通点があるような気がした。少なくとも根本にある基本は同じものなのだ。
 指紋と手相の違いを思い出して、苦笑いをした、書道にしても絵画にしても、私は比較するのが好きなようだ。
 比較といえば、小学生の頃、私は算数が好きだった。数字の遊びに夢中になった。一つの式から答えは一つだが、一つの答えから式はいくつにもなる。要するに答えは一つでも、解き方は幾通りもあるということだ。
 先生も話していたが、
「算数はどんな解き方でもいいから、答えが導き出せる解き方をすればいいんだ」
 ということである。
 私にとって算数は、勉強の中の「逃げ」だったのかも知れない。算数だけは成績がよかったが、国語も理科も社会も最低だった。特に国語は苦手だった。
 まず、文章を読むのが嫌で、問題から先に読んで、設問の周りだけを見てすぐに答えてしまう。正解なわけがない。設問者は、全体を読まないと答えが導き出せない問題を作っているからである。子供の頃の私に理解できるはずもなく、回答はチンプンカンプンだったことだろう。
 国語には決まった答えはない。文章の読解力が要求され、言葉が何を差しているかを示すのが国語だったりする。大人になると、自分でも文章を書いてみたいと思うようになるのだが、その頃の私は、他の人の書いた文章をあれこれと考えること自体がナンセンスだと無意識に感じていたのかも知れない。もしそうだとすれば、大人になってからの自分と結びつくところがある。それは自分の中の幹になる部分の性格によるものなのかも知れない。
 社会も苦手だったが、高学年で勉強した歴史には興味を持った。
――過去があって現在がある、現在があって未来がる――
 という基本的な考えの元、私はもう一歩先に進み、
――現在はすぐに過去になる。未来はすぐに現在になる。過去は過去なのだ――
 流れという観点から時間を見るようになっていた。
 時間の流れは一定であり、それは奇しくも、算数でいうところの整数が、決まった基準で並んでいるのと同じ考えではないか。私にとって基本となる考えは、「数字」を中心に培われているものなのかも知れない。
 父親の会社は、泥棒事件があった以降も変わりなく営業を続け、順調に成長していった。途中何度か不況の煽りを食って、経営不振に陥りそうになったこともあったようだが、その都度打った手が功を奏して、利益を出したままの成長を遂げてきた・
「俺というよりも、社員皆の意思が会社を盛り上げていこうという気持ちがあったからだな」
 と話してくれた。社員に裏切られたこともあったが、もしあの時に悪いことをした社員に対して非情なことをしていれば、皆会社を離れて行ったかも知れない。その時の父親の寛大な判断がその後の会社では不可欠な「人の和」を作り上げたと言っても過言ではないだろう。
――お父さんはそれを予想していたのだろうか?
 後になってそれを聞くと、
「そうじゃないと、ここまで会社は成長しないんじゃないかな?」
作品名:短編集71(過去作品) 作家名:森本晃次