短編集71(過去作品)
指紋
指紋
残りたる
指の先には光りける
渦巻きたるは無二のものなり
――指紋――
それは現在生きている人に無二のもので、犯罪捜査を行う上で、重要な証拠の一つとして昔から使われていたものである。昔に比べれば指紋照合の技術も格段に進歩していることだろう。それでも現在の科学はDNA鑑定で証拠固めを行うこともあり、指紋照合がどこまで信憑性があるのか、刻々と流れていく時間の中で、徐々にその差は狭まっているのかも知れない。
私は最近疑問に思っていることがあるのだが、現代人の中では無二のものであろうが、歴史を遡れば同じ指紋が存在する確率というのは増えるのであろうか? そう思うと、人口が増加している今の世の中、本当に同じ時代に生きている人が無二であることは間違いないことなのだろうか?
同じ時代に生きている人と言っても、例えば老人と、最近生まれたばかりの赤ん坊でも、同じ時代に生きていることに変わりはない。老人はやがていなくなるし、赤ん坊はこれから何十年と生きていく。その間にいなくなる人もいれば、生まれてくる人もいるのだ。一人一人が年齢も違えば寿命も違う。赤ん坊のまま、病気でいなくなる人だっていないわけではないのだ。
そう考えると、時代がかぶっている人には絶対に同じ指紋が存在しないのだとすれば、それは目に見えない何かの力が介在しているとしか思えない。人はそれを神と呼ぶだろう。私も神としか呼びようがない。
指紋ひとつを考えてもいろいろな発想が浮かぶものだ、一人で考えていても時間を感じることなくあっという間に過ぎていった過去が、まるで一瞬前だったように思うことだろう。意識することなく時間を超越するタイムマシンとは、そんな気分にさせられるものではないのだろうか。
私こと、沢村哲也は、今年で四十歳になった。中年の域に達していることを意識しながら、精神的にはまだ二十歳代前半に思うことがある。
「気が若いんだよ」
というお世辞を言われることもあるが、学生時代と違って社会に出てからは、毎日を平凡に過ごしていただけかも知れない。
仕事を一生懸命にやればやるほど、人生を平凡に過ごしているように思えてならない。仕事中は仕事のことしか考えていないので、我に返ると何をしていたのか分からない気分になるからだろう。
「平凡な人生を歩むことが、実は一番難しいんだよ」
という話を聞いたことがあるが、仕事をしている時に実は何も考えていないのではないかと思うと、その言葉に説得力を感じるのだった。
そういえば、昔推理小説で、「三重渦状紋」というのが存在するというのを読んだことがある。一本の指には一つの渦が普通なのに、その人には渦が三つあるというのだ。その指紋が呪いの紋章として存在することで、心理的に追い詰められていく。
そんな小説を読んだが、子供の頃に読んだものなので、恐怖だけが頭に残り、作者の意図をしっかり読み込めなかった。今読めば分かるのだが、やはり最初に読んだ時の印象がどれほど深いかが小説の醍醐味だとするならば、最初に本意を感じることができなかったのは、残念で仕方がない。
子供の頃といえば、指紋でいろいろなことがあった。
小学生の二年生くらいの頃だっただろうか、家に空き巣が入り、指紋を取られた。黒い墨を落とした板の上をローラーで伸ばしていくのを見ていると、職員室で見たプリント作成を思い出した。ちょうど先生に呼ばれて職員室に入った時だったが、何で呼ばれたのかを覚えていないのに、プリント作成のイメージだけは強かった。プリント作成のイメージがあったので、呼ばれたことを覚えていないのだろうが、それほど大したことではなかったのだろう。
刑事さんは無言で、私の手に墨を塗る。テキパキと速やかな行動を見ると、さすがだと思う反面、
――しょっちゅうやっていて、すべてが事務的に進んでいるんだろうな――
と思わずにはいられない。
「どうぞこちらに」
と言われて紙の上に手のひらを広げるようにして押し付けると、さらにその上から刑事さんの手が押さえつける。痛さは感じないが、押さえつけられるという行為は、圧迫感があって嫌だった。
私の家は家業をしていた。家の中に事務所があり、金庫からお金を抜かれていたのだ。
犯人は捕まったらしい。内部犯行のようで、
「飼い犬に手を噛まれるとはこのことだ」
保険にも入っていたので、それほど心配はしていなかったというが、犯人が内部だったことはやはり父親にはショックだったようだ。もちろん、状況から考えると内部犯行の確率はかなりあったらしい。金庫の場所を知っている人間でなければ、ここまで鮮やかに犯行には及ばなかっただろう。
犯人はそれなりに下準備をしていたという。アリバイを作っていたのだ。しかし、アリバイも横から突くと簡単に剥げるもので、しょせんお金で買収したアリバイだったようで、刑事の追及にアリバイ工作をした人が折れたようだ。
「共犯として立場が同じなら、それほど簡単にはいかないだろうが、お金だけの薄っぺらい関係だったら、プロが突けば簡単だな」
と父親が話していたが、もちろん子供の私に意味が分かるわけはないが、もう少し大きくなって小説を読むくらいになると、言葉の意味も分かるようになってきた。
そんな時に読んだ「三重渦状紋」の話。私が指紋に対して興味を持ち始めたのは、その頃からだった。
指紋とは違うが、手相も人それぞれである。指紋と聞いて、「手相」を思い浮かべて、
「占ってもらおう」
などと思う人も少なくないかも知れない。
「それは手相だって」
というと、
「あ、そうだった」
と慌てて頭を掻く人の姿が思い浮かぶ。
確かに手相と指紋の違いは明らかだが、印象的には似ている。
まず、場所が近いこと。さらには、まったく同じものは存在しないということ。ということは、指紋にも手相と同じような法則があって、それぞれ診断ができるのであろうか?「指紋占い」や「指紋判断」などという言葉は聞いたことがないが、私のそらないところで存在しているのかも知れない。
――世界は広いからな――
何が占いになるか分からない。指紋を占いとして使っているところも結構あるかも知れない。
指紋を見ていると、年輪のようにも見える。しかし、年輪とは明らかに違っている。それは指紋というのは渦になっていて、「一筆描き」だということだ。年輪は日が当たる部分の成長が激しく、溝が密になっている。まるで天気図を見ているようだが、指紋も同じなのだろうか。何かの法則があるとすれば、そこには私の知らない世界が広がっているようで、興味もあるが怖さもあるのだった。
捕まった犯人とは、私は意外と仲良くしてもらっていた。正直、
「おの人が犯人だなんて」
というのが本音で、両親も同じことを感じたようだが、
「あの人がねぇ。人は見かけによらないわ」
「せっかく目を掛けてやったのに」
と、リアクションは冷たかった。理由はどうあれ、やったことに対して、ストレートな反応でしかないのだ。
作品名:短編集71(過去作品) 作家名:森本晃次