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短編集71(過去作品)

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気になっていたことが何だったのか、その時初めて分かった気がした。学生時代、ほとんど毎日寄っていた喫茶店を思い出した。友人と行く喫茶店以外に私一人が落ち着けるようにとキープしていた喫茶店があるが、そこにいた女の子は今も元気でコーヒーを入れているのだろうか?
真っ赤なエプロンがトレードマークで、私が現れるとホッとしたような表情から、全身で喜びを表現していたと思っていたのは、まんざら思い込みだけではなかったのかも知れない。
今も目を瞑ると思い出す、学生時代のよき思い出である。
そんな私が目の前にある喫茶店を意識したのだ。そのまま黙って通り過ぎるわけにはいかないだろう。赤レンガで組み立てられた外装は、私の好みにもピッタリで、中から香ってくるコーヒーの香ばしい香りに伴って、甘いハムエッグの香りが漂ってくるのを感じたのは錯覚ではなかった。店の名は喫茶「コスモス」という。
アルプスの羊が首から提げているような大きな鈴のカランカランという音が店内に響くと、想像通りのハムエッグの甘い香りに思わず顔が綻ぶのを感じる。鈴の音もさすが大きいだけあって、低音ではあるが、湿気の多い店内にもかかわらず、乾いた音を響かせていた。
「いらっしゃいませ」
 中年の女性がカウンターから声を掛けてくれた。
 さすがに赤いエプロンの女の子を想像していた自分が恥ずかしくなり、思わず苦笑してしまった。しかし店内は私が想像していた通り落ち着いた雰囲気で、それだけでも満足であった。
 店内に客はおらず、一瞬ホッとした。せっかく落ち着いて店の雰囲気を味わおうかと入ったのに、下品な笑い声や無神経な携帯電話での会話などがあっては興醒めしてしまう。
とりあえずカウンターへと座った私は店内をゆっくりと見渡した。
「じゃあ、モーニングセットをお願いします」
 ママが出してくれたおしぼりで手を拭きながら、さらに店内を見渡したが、やはり思った通り落ち着けそうな雰囲気だ。
 一通り見渡して前を向いた私に、ママが微笑みかける。私の表情に浮かんだ満足感が分かったのだろうか? 思わず目を細めている私を優しく見つめているようだ。
 奥の方から何やら扉が開く音が聞こえてきた。どうやらそこはトイレのようで、木でできた扉の上の方に掛かった木彫りの板には「WC」と記されていて、まるでコテージを思わせる。
 手を拭きながら出てきたのは私と同じ位の歳であろうか? 真っ赤なカーデイガンを着た女性であった。彼女は私を見かけると軽く会釈をかけてくれ、その顔にはエクボができるほどの笑みが浮かんでいる。
 反射的に会釈を返した私だったが、果たして彼女のような屈託のない笑顔が浮かんだかどうか怪しいものだ。ひょっとして引きつった笑顔だったかも知れない。
 しかし彼女のシンプルな笑顔につられたのであれば、決して引きつった笑顔にはならないだろうと思い、意識して笑顔を取り繕おうとはしなかった。笑顔は作ろうとすれば却ってぎこちなくなってしまうものに違いないからである。
「お隣、いいかしら?」
「どうぞ、どうぞ」
 声を掛けてくれたのもうれしかった。今日初めて会ったはずなのに、以前からずっと知り合いだったような錯覚を覚えたのはその時だった。
 よく見ると彼女の座ったテーブルの奥の方に文庫本が置かれていて、それを彼女が手に取っている。断りを入れるまでもなく、彼女の席が最初からそこだったのに私は初めて気が付いた。
「ねえ、ママ。さっきの話だけど、やっぱり私がおかしいのかなあ?」
「私には経験ないけど、そんなことはないと思うわ」
 手際よい作業の傍ら、ママが彼女の話に相槌を打つ。どうやら話の途中で彼女がトイレに中座し、さらにそこへ現れたのが私だという構図のようだ。
 どんな話なのだろうかと聞き耳を立ててみたくなった。幸いにも私がいるのにもお構いなしに、二人は話を続けた。
「でもあなたはその人を知らないの?」
「はい、友達から言われても全然意識がないんですよ」
 ママの質問に女性が首を傾げながら答えている。
「でも友達はあなたがその人と話しているところを見てるんでしょう?」
「ええ、確かにそうらしいんですよ。その時間にその場所、そこにいるのは間違いなく私なんだけど、一人でいたはずの私が、友達の話では誰かといたことになってるのね。それも見かけるのは初めてじゃないらしいよ」
 そう言ってまた彼女は首を傾げた。
「不思議な話ね。ところでその見かけたって言う友達の話で、あなたが会っている人っていうのは、いつも同じ人なの?」
「ええ、そのようです。だから不思議なんですよ。いつも同じ人と会ってるという話を、いつも同じ人から聞くなんておかしいですよね?」
「でもまんざら嘘を言ってるんじゃないんでしょう?」
「とても真面目な人で、そんな冗談を言う人じゃないんです。逆に質の低い冗談を言う人にはっきりと怒って見せるのも彼女なんですよ。それだけに私に言おうかどうしようかと真剣に悩んでくれたみたいで、話を切り出すにも時間が掛かったくらいなんです」
「そうなの。私にはそういう経験ないし、聞いたこともない類の話なので何とも言えないけどねえ」
 完全に私の存在など眼中にないといった感じで話し込んでいる二人だったが、その横で聞いている私も知らず知らずに話に引き込まれたような気になっていた。
 私には彼女の話が何となく分かる気がした。彼女ほど頻繁ではないが、不思議な話は私にもあったので、いちいち頷く自分に気が付いていた。
「それはあるかも……」
 思わず口から出たのも成り行きだったからかも知れない。
「え?」
 最初に反応したのは、カウンターの女性の方だった。話の腰を折った形になってしまってまずかったと思っている私に対し、好奇心いっぱいの目で見つめられるとそこから出てくる言葉はなかった。その目は潤んだように見え、もし彼女に対して一目惚れがあったとすればその時に芽生えたものであろう。
「はっきりした話の内容を理解していませんので、詳しいことは言えませんが私にもあったような気がしますね。同じような体験が」
 すると彼女はじっと私を見つめ、
「そうでしょう! 他の人に言うとバカにされるような気がしていたので、ママだけに話すつもりだったですよ。ママなら信じないまでも黙って話を聞いてくれそうだったからですね」
「まるっきり信じないわけじゃないけど、なかなか実感が湧いてこないわね」
 ママの意見はもっともである。私としても、彼女の話を聞いたから思い出したようなものであって、普段であれば、私自身が信じられない話として頭の奥深くに封印していることである。
「そうですね、私もこんな話は誰にもしたことないですね。というよりも漠然としているんですよ。話を聞いていて、似たような思いをしたことがあるのを思い出したようなもので、普段は忘れています」
 そう言って苦笑する私に彼女もはにかんだように、
「実は私もそうなんですよ。ここに来てママに話そうかと思っていても、実際、ママを目の前にすると、なぜか内容を忘れてしまう。はっきり覚えていて話すことなど、まれですね」
作品名:短編集71(過去作品) 作家名:森本晃次