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短編集71(過去作品)

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鏡の中の真実



                 鏡の中の真実

 朝目が覚めて、汗をグッショリ掻いているという思いを、誰もが経験したことがあるのではないだろうか。グッショリ濡れたパジャマが気持ち悪く、急いで着替えた覚えのある方は私だけではないだろう。
 目が覚める瞬間、「私には分かるのよ」と言っている人がいるとする。
「あ、それ私も……」
 と、まわりの友人から賛同の声が上がる。そんな光景を見かけたことが何度かあった。
 確かに私もその意見には賛成だ。特に夢を見ている時などその傾向は強く、夢の中で感じたりする。肝心なところでいつも目が覚めると思い込んでいるので、クライマックスにさしかかった時、潜在意識が働くのだろう。
 しかも夢とは不思議なもので、何でもありとはいかないようだ。
 例えば夢を見ているとおぼろげながら分かっていても、
「人間は空を飛ぶことはできない」
 という潜在意識が働くため、いくら飛ぼうとしても宙に浮くのが精一杯である。まるで空気が水のような感覚となり、必死で平泳ぎを繰り返すといった無駄な努力しかできないのだ。
 学生時代、SFやホラーが好きな友達がいて、よく話をしたものだ。
 人間というのが好奇心の塊であり、潜在意識というものを感じる動物であるがゆえに、ホラーやSFなるジャンルの小説がウケるのだ、というのが友人の持論であった。私も大いに共感し、いろいろな意見を戦わせ、時には夜を徹して話したのも今となっては楽しい思い出である。
「夢とは普段の潜在意識が見せるものなんだよね」
 と私が言うと、友達は半分を首を傾げながら、
「確かにそうなんだけど、僕は少し違う考えも持っているんだ」
「違う考えを」ではなく「違う考えも」というところが友人らしい言い回しであり、そういう言い回しをする時の彼の意見は大体において特筆すべきことが多い。
 さっそく友人が質問してきた。
「夢っていうのは眠っている時のどのあたりで見るか分かる?」
「そうだなあ、いつも肝心なところで目が覚めるから、少なくとも最後の方なんだろうね」
「そうそう、それもごく短い時間らしいけどね」
 友人は何が言いたいのだろう? その時はまだ予想もつかなかった。
「ところで目が覚めてから、現実に引き戻されるまでに時間は掛かる?」
「夢によって違うが、楽しい夢を見た時は、いつまでもぼんやりしている気がするんだけど、辛い夢を見た時はすぐに我に返るかな?」
 それは私に限ったことではないはずだ。
「そうかな? もし夢というのが潜在意識の成せる技だとするのであれば、もう少し複雑なものであってしかるべきだと、僕は思うんだけどね」
 友人の目が一瞬光った。口元を怪しげに歪め、自信に満ちたような笑みを浮かべていた。
そこから発せられた言葉は……? と感じたその時、私はいつも夢から覚める。
 そう、友人との夢談議は今でも私の夢の中で生き続けている。しかも肝心なところでその夢は途切れ、現実に引き戻された時、夢であったことに気付くまでに少々時間が掛かるのだ。
「やはり、今日もいつものところで夢が覚めたか」
 最初はそう感じていた。
 以前は時々しか見なかった友人との夢を、最近は頻繁に見るようになったためだろうか? 夢についての考えが違ってきたのはこの時だった。
「ひょっとして、肝心なところまで夢の中で見ているのではないだろうか?」
 というものである。
 実は見ているのだが、夢が覚めていくにしたがって記憶の奥に追いやられ、そのまま見たことを封印してしまう。それがなぜだかははっきりと分からないが、そこに夢談議の確信があるような気がして仕方がないのだ。
 それにしても今さらこの夢を頻繁に見るようになったのはなぜなのだろう? 最近少し鬱状態になってきたからだろうか。元々躁鬱症の気がある私は、早くその時期は終わってくれることを願っていた。
 周期的にやってくる躁と鬱、時期的にはそろそろ抜けてもいい頃であった。
 そんな頃である。私の夢にも少しずつ変化が現れてきた。鬱状態の今、とっくに忘れ去ってしまったウキウキできるような夢を見始めたのである。
 それは出会いの夢である。まさしく絵に描いたような夢、潜在意識が見せたといっても過言ではない。
 その夢は純愛から始まる。知的に見える彼女は話しても知的であった。お互い恥ずかしがり屋で、隣にいるだけでドキドキし、手を握ることすらままならない。
 なぜこれほどはっきりと覚えているかというと、あまりにも自分の理想に適っているため、リアルであるということもあるが、それ以上に正夢である気がして仕方がないからである。
 起きてからも夢の内容が頭の中にインプットされたままである。正確に言えば、頭の奥深くに格納されず、はっきりとした意識の範囲で留まっている、と言ったところであろうか。
「楽しい夢を見たから、今日は気分がいい」
 いつもそう思いながら出勤していく。そして実際に現れると信じている。まだ見ぬ彼女に思いを馳せながらの通勤に、苦痛感などあろうはずがない。
 入社してからまだ一年も経っていないが、最初の三ヶ月を思えば、だいぶ毎日を早く感じるようになった。
 未だに毎日が勉強の繰り返しであるが、それも業務を一応習得した上でのことであり、見るものすべてが新鮮で、まわりばかりを気にしていた研修期間とは比較にならない。
 通勤にしても一年目ということもあり、他のどの社員よりも早く来ることが使命つけられているが、最初の頃に感じた苦痛も今は昔、慣れてきたこともあってか苦にならなくなっていた。
 まだ夜の明け切らない真っ黒な空ではあるが、東の方から少しずつ昇ってくる朝日が次第に空を白々と染めていく。初冬の朝七時前というと少し吹いただけの風でも身体に沁みる時期があるが、ちょうどその日もそんな感じだった。
 駅へと向かう足も自然と速くなり、ほんのりと赤くなっているのではないかと思えるほどの頬を押さえると、しっかりと冷たい。
 やっとその頃になると仕事に慣れてきたおかげで精神的にも余裕ができ、出勤時においても視線は絶えず前を向いているだけであったのが、まわりを見ることができるようになっていた。
 学生時代からあまり朝食を摂っていく方でなかった私は、まるでそれが当たり前のように出勤だけが目的の朝の生活だった。
 しかし駅を通るたびに気になっていることがあったのだが、気持ちに余裕のない私にはそれが何なのか、しばらく想像もつかなかった。想像すらしようとしなかったのかも知れない。
 この街で初めて迎える冬、今年はいつもの年より早めの冬の到来で、厳冬を思わせるような木枯らしが吹いていた。
 どちらかというと暑がりで、冬より夏の方が苦手だったが、こう急に寒くなり始められてはいくら私でも対応が遅れてしまう。そんな時に駅前のロータリーで営業している喫茶店から香ばしいコーヒーの香りが木枯らしに乗って漂ってきたのだ。
「これだったのか」
作品名:短編集71(過去作品) 作家名:森本晃次