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一生勉強、一途に文芸道~小説と私~

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 感想にも書いた通り、私の予想は今現在、ことごとく裏切られている。今朝は朝食を中学生の末娘と向かい合って食べながら、涙してしまった。
娘が面白そうに
ー感動しました!
 と言い、からかわれていると知りつつも、いつものように怒る気力さえなかった。我ながら、どうもここまで感情移入するとは意外でもあった。
 私としては、逆境で一人、孤独に生きてきた「夜伽をしない特別な妃」である烏妃と皇帝がまとまるとばかり思っていたし、信じてきたのだ。
 しかし、この皇帝がヒロインに心を寄せながらも、けして一線を踏み越えようとしないところ、他の大勢の妃たちをも大切に遇しているのは確かに今までの巻を読み通して知っていたから、意外な展開ではあっても、
ーそうか、やはり寿雪が好きでも、他の妃たちとも仲睦まじく過ごしているから、仕方ない結果だよな。
 と、どこかで茫然と納得もせざるを得ない。
 ここまで書いてきて、ふと思い出した出来事がある。
 もう数年前になる。とあるサイトで自作の小説を連載していたときのことである。もちろん、無料のネット小説だ。
 江戸時代を舞台にした小説で、かなりの長編だった。そこそこには好評で、たくさんの方が読んで下ったこともあり、連載のし甲斐も読者からの手応えを得られる歓びも頂けた。
 中にはこの作品を通じてファンになったと毎日のように感想を連ねたメッセージを下さる方がおられた。
 その方のことは今でもよく憶えている。作者よりも作品を気に掛け、愛して下さっているような文面からは本当に拙い作品を愉しんで読んで下さっていると、心からありがたと思った。また、そのような方と出会えて作者冥利に尽きる幸せだと思っていた。
 ところが、その作品の最後の更新を終えた日、いつものようにサイト経由のメールが届いた。私はいつものように浮き浮きとした気分でメールを開封した。
 かなり長い文章であったが、読む中に私は冷たい水を背中にかけられたように心がしんと冷えてゆくのを感じた。
ー意外な結末に言葉もありませんでした。私としては、もっと別の形で終わって欲しかったし、そうなると信じていました。
 正直、こんなに心を揺さぶられた小説には今まで出逢ったこともありませんし、心に残った作品もありません。何故、こんな結末なのかと怒りを感じます。
 読後にこんなにもモヤモヤとした怒りともつかない気持ちにさせられた小説もこれが初めてです。とても嫌な気持ちです。
 大体、こんな意味のことが書かれていた。
 有り体に言えば、これを読んだ瞬間はショックで、少し落ち着いてくると今度は怒りがわき上がった。
 何故、ここまで言いたい放題、言われなければならないのか?
 結局、この読者さんとの縁はここまでだった。
 別段、表だった諍いがあったわけではない。読者さんの感じ方というのはそれこそ向こうの自由なのだし、あくまでも私という私的個人を糾弾されたわけでもない。
 ただ、ここまで言われて今まで通りに付き合うのは私としては難しかった。
 少ししてから、同じ人から謝罪のメールが届いた。
ー読み終えた直後のモヤモヤとした気持ちのまま、思いつくままに書いた感想をよく読み直しもせず送ってしまいました。後で読み直して自分で、失礼なことを言ってしまったと後悔しました。
 そんな内容だったと思う。
 私は返信を送った。
ー作品の感想は人それぞれですし、感じ方は読者さんの自由です。私も正直、最初はショックを受けましたが、もう、気にされないで下さい。
 まさに、今日の私が目下、読んでいる小説に感じた想いがかつてその読者さんが私に感じたものと同じなのだろう。
 自分が同じ立場になって、そのときの読者さんの想いが切実に理解できた。
 ただ、分別ある大人としては、やはり、その方も後で言っておられたように、やはり感情に任せて書き殴った文章を読み直しもせずに作者に送りつけるーというのは、いささか早計であったのではないか、とは思う。
 もしかしたら、その方と似たような感想を抱かれた人も読者さんの中にはまだいたのかもしれない。しかし、大きく異なる点は「思ったとしても、実際にそれを伝えるという抗議行動に移すかどうか」という点だろう。
 もう、かなり昔の出来事なので、こんなことがあるまで私自身、忘れていた。
 これも自分の体験談で、お耳汚しの話ばかりだと叶うなら今少しだけおつきあい頂けるとありがたい。
 もうかなり前になるが、単行本を出したときの話である。アマゾンでも販売していて、ある日、自分の商品ページを見た私は愕然とした。
 ☆は三つだけれど、かなりの酷評レビューがあった。
 その人いわく「残酷すぎる」「障がい者差別だ」と、誹謗中傷まがいの言葉が並べ立てられている。これが作品の時代考証だとか作品そのものについての批評なら、謙虚に受け止めるところだが、どうもこの人の感想は違うような気がした。
 このときは先のネット小説サイトの比ではないショックだった。動揺した私は出版社に事の次第を報告し、相談した。
ーかなり穿った、斜めから見た読み方をしている人ですね。こちらでちょっと対応を考えます。
 と言って下さり、しばらくして対策方法が伝えられた。
 ちなみに、そのときに担当編集者の方からのコメントが実に印象的だった。
ー優れた作品というのは何も読後感が良いかどうかで決まるわけではないのです。ハッピーエンドであるか、バッドエンドであるかは関係ありません。その点、あなたの作品は我々の予想をことごとく裏切る結末でした。途中まではこうなるだろうと予測して読んでいたら、最後の最後で予想を大きく覆す結末だったのです。確かにハッピーエンドではありませんが、気にする必要はありません。これだけは憶えておいて下さい。秀作とは読後感の良い作品ではない。読み終わっても読み手の心に残る作品が優れた作品というるのです。これからも頑張って書いて下さい。
 励みにもなり、勉強にもなる言葉だった。
 これもかなり前なので忘れていたけれど、まさに「後宮の烏」こそ、そのような人の心に残る秀作といえるのかもしれない。
 さて、その時、私自身も個人でアマゾンに
ー誹謗中傷レビューを削除することはできないのか?
 訴えたが、これは無理だという。どんな酷評されていても、「あくまでも感想にすぎない」ので、その貴重な感想を勝手に削除はできないというのである。
 結局、そのレビューはそのままにしておくことしかできなった。
 以降、私は二度と自分の作品ページは見ないことにした。どんなに言葉のつぶてを浴びても応戦できないなら、見ないようにするしか心を守るすべはない。
 これ以降、たとえ商業出版されている小説であっても、感想レビューを書くときは作者に対して最低限の礼儀は守って書くことを心がけるようになったことは言うまでもない。
 言葉というのは、この例に限らず、いつでも大きな影響力がある。古来は言葉は「言霊」といい、一度口にした言葉には魔力めいたものがあり、現実になってしまうと考えられていた。だからこそ、不吉な言葉は口にしてはならない、縁起の良い言葉だけを口にしなければならないともいわれてきた。