心理の裏側
父の姉の家に招かれるわけではない。叔母さんの家は子供がもう大きく、高校生になっていたのであまり構うことはなかったのだろうが、受験生ということもあって、デリケートな心境を見計らってのことなのか、自分の家庭に愛華を迎え入れることはなかった
だが、愛華はそれでよかった。
最初は愛華のお迎えの帰りに買い物をして、家で料理を作ってくれていたが、それも一か月ほどのこと、それ以降は、叔母さんの方の事情が変わったとかで、先に夕飯の用意をしてから、愛華を迎えにくるようになった。そのおかげで、叔母さんは部屋の前までしか来てくれない。
「ここでいいわね」
と言って、いつもカギを回すのは愛華だった。
最初は寂しさもあったが、次第に慣れてきた。慣れというのは恐ろしいもので、それでもいいとすぐに思えるようになるのだから、すごいと感じる。
愛華は一人の部屋に帰ると、食事の匂いはもうしなかった。いつも夕飯の時間になればレンジでチンするだけなので、レンジから出す時に少し匂いがするだけだった。
愛華は、小学生の高学年になって、もう叔母さんが来てくれなくなったことで帰りは途中まで友達と一緒だった。低学年の頃までは叔母さんが来てくれていたことなど、友達には関係のない様子で、そのことに触れることがなかったのは、愛華にはありがたいことだった。
友達とは途中までしか一緒にいない。
「バイバイ、また明日ね」
と言って別れてからは、十分くらい一人で歩いて帰ることになる。
お互いに別れるまではどこにでもいる小学生の会話をしながら和気あいあいと帰っているのだが、別れたとたん、まったくの無口になる。その様子を愛華は自分で見ることができないが、慣れてくると、自分の様子を想像することはできるようになった。想像も次第に長期になってくると、最初の頃に感じていた無口な自分が、本当に暗い状態であることに気付くようになってきた。
それでも、別に深い意識を持たないのは、
「まったく別人のような暗さも、他の小学生にだっていることなんだわ」
と、自分だけが特別な存在ではないということを意識し始めたからなのかも知れない。
そんな頃、十分ほどの道のりが、次第に長く感じられるようになり始めていることに気付いていた。感情としては、
「いつも何かを考えているのに、気が付けば家についているという感覚だわ」
という思いなので、歩いている時は別の世界にいるような感買うだった。
だから、時間の感覚などあるわけでもなく、そんな時間が長くなったり短くなったりするということの方が、愛華には違和感だったのだ。
しかし、その感覚が違っていると感じたのは、二人が別れてから途中に公園があるのだが、最近になって、その公園を横切って返るようになったからだった。
それまでは公園を横切った方が近いわけではないのだから、普通に道なりにいけば済むことだった。
――どうして、公園なんか横切るようになったんだろう?
心境の変化がどこかにあったというわけでもなかった。
心境の変化があったのだった、愛華にはその意識が最初からあったはずだ。その時に気付かなかったとしても、公園を横切るということが意識として残った時、何かを思い出してしかるべきだったからだ。
愛華は何かを思い出すということはなかった。
公園からは、奇声のようなやかましい声が聞こえてくるだけで、同じ子供なのに、そんな声を鬱陶しく感じられた。
それはきっと、自分と違って恵まれた環境で育っている子供だから、まわりを意識することもなく、迷惑などという言葉を意識せずに発している言葉なのだと思った。
「子供は遊ぶのが仕事」
という大人はたくさんいるが、こと自分の子供のこととなると、母親は神経質になるというもので、
「あんまり大きな声を出しなさんな」
と言って叱っている。
ただそれは自分の対面だけのことであり、心底子供を思ってのことだとは到底思えなかった。もしそうだったら、もっとメリハリをつけて叱りつけているからに違いないからだろう。
公園に佇むようになったのは、
「このまますぐに家に帰りたくない」
と思うようになったからだった。
確かに家に帰っても何かがあるというわけではないので、急いで帰る必要もないが、公園に何か思い入れがあるわけでもないのに、いつの間にか寄り道するのが日課になっていた。
「いつか、寄り道したいと思ったことがあったからなのかな?」
と感じた。
寄り道という言葉が気に入ったのも事実だったが、それまで寄り道という言葉に悪いイメージがあった。寄り道というと、無駄なことだというイメージがあった。
「無駄なことはしない方がいいに決まっている」
それを教えてくれたのは、もう会うことのない父親だった。
父親はあまり家にはいなかったが、家にいる時は何かをするわけでもなく、ただボーっとしているか寝ているかという姿しか見たことがなかった。そんな態度が母親の怒りを買ったことから、離婚に結び付いたと思ったからだったが、父の口癖は、
「別に何でもいいじゃないか」
というものだった。
母親もその投げやりな言い方に、すでに何かをいう気力はなくなっていたようだが、実際には、自分が家庭を支えなければいけないという使命感から、いちいち父親に目くじらを立てることもなくなっていたのだろう。
だが、両親が離婚して母親と二人で暮らすようになると、今度は母親の無理があからさまに感じられるようになった。
「私が気を遣ってあげないと」
と感じているのは、子供としては我ながら健気だと思うようになっていた。
そのせいもあってか、愛華は母親とそれまで以上に距離を取るようになった。本当であれば二人きりなのだから、もっと距離が近づいてもいいのだろうが、それを許さないのが世の中の厳しさだと子供心に感じていた。
いや、この思いはもう少し大人になって感じたことだった。ただ、母親に対して気を遣っていたのは事実であり、子供の心境としては、
「近寄りがたい存在」
と感じていたに違いない。
自分でも戸惑っていた心境の中で、母親へ気を遣わなければいけないという思いと、近寄りがたい心境の双方をひっくるめると、
「家にいたくない」
という思いに至ったとしても、それは無理もないことであろう。
公園を通りかかる時間帯というと、まだ日は西の空に沈んでいない時間帯で、季節的には秋だったはずで、そろそろ寒くなりかかっていた時期であった。風の冷たさと日が差す場所との間での気温差を感じていたような気がした。
最初はただ通り過ぎるだけだったが、最近はベンチに座るようになった。ベンチに座るようになってから、それまで感じたことのなかった足のだるさを感じるようになったのは、まだ汗ばむほど季節に身体の重たさを感じた時だった。
夕方の時間は、砂場や滑り台を中心に、男の子がいつも遊んでいた。毎日いる子もいるが、たまにしかいない子もいる。だが、どの子も一貫して愛華を意識した人はいなかった気がする。