心理の裏側
という性格を、ずっと前から感じていたということをいまさらながらに感じるようになっていた。
「今、何時頃なんだろう?」
目が覚めた時、いつも最初に感じるのはこの感覚だった。
これも夢の世界に自分がいたのかどうなのかを思い出すためのことだったと思っている。夢と現実世界、その狭間にあるであろう世界、それぞれにもう一人の自分がいかに関わっているのか、絶えず考えていることを意識しないわけにはいかなかったのだ。
愛華が最近感じているのは、
「目が覚めた時に感じる時間に差がある」
という意識だった。
夢を深く見ていたとしても、目が覚めるにしたがって、今が朝なのか昼頃なのか、夜なのか、それくらいは分かっているつもりだったが、最近では朝だと思って目を覚ましたはずなのに、実際には夕方だったりすることが多い。
小学生の頃までは、完全に規則的な生活をしていたのだが、中学の二年生の頃になると、受験勉強という「言い訳」もあってか、
「眠い時に寝ることにしている」
というのが、愛華のポリシーになっていた。
ひどい時には眠気が襲ってくれば、学校の授業中にでも平気で寝てしまうこともあり、先生に注意されて目を覚ますこともあった。
「あなたって意外と大胆ね」
と先生から言われ、まわりがクスクス笑っているのを感じるが、その笑いは決して心から笑っているものではなく、失笑であることは分かっていた。
きっと、誰もが、
「他人事ではない」
と思っていたに違いない。
中学二年生というと、まだまだ受験勉強を始めるには早すぎる時期と言えるだろうが、迫りくる受験勉強を、避けて通ることができないことくらい、皆分かっているはずのことである。
それだけに、
「眠い時に眠るようにしている」
という愛華の考え方は無謀に思えるが、迫りくる受験勉強のことを考えると、切実ならざるおえない自分も感じてしまうのだ。
そんな愛華を見て、誰が本気で笑うことができるというのか、愛華はまわりがそろそろピリピリしてくるのを感じていた。
その頃から、
「夢を見ていた」
という感覚が増えてきたような気がする。
実際に覚えていないだけで、確かに夢は見ていたと思うのだが、それを思って考えてみると、
「眠っている時、本当は絶対に夢って見ているんじゃないかしら?」
と感じるようになった。
夢を見ていないと思っているだけで、本当は夢を見たという意識すら、目が覚めた瞬間に忘れてしまっているのだ。やはり結界のようなものが存在し、現実世界に戻ってくるためには忘れなければいけない夢というのも存在しているのかも知れない。
そこにもう一人の自分がいかに関わっているのかまでは分からないが、確実に関わっているに違いないと愛華は感じていた。
音楽
愛華は音楽も好きだった。自分で演奏するわけではないが、聴くのは好きで、特にクラシックに関してはよく聴いていた。それでも小学生の六年生の頃までは好きだとは思いながらその曲の作曲家はおろか、曲の名前も知らなかったのだ。
「クラシックというと、作曲家を知らないのと、曲名を知らないのとでは、どっちがマシなのかしらね?」
と愛華は小学生の時の音楽の先生に尋ねた。
小学生というと、担任の先生が卒業まですべての教科を教えるものだと思っていたが、実際には五年生から後は、専門の先生がいた。それは音楽だけではなく、図工の先生も同じだった。要するに高学年になると、芸術的なことは専門の先生に任せるようになっていたのだ。
ただそれが愛華の学校だけのことなのか、それとも他の小学校も同じなのか分からなかったが、
「そんなものなんだろう」
と思い、必要以上に考えないようにしていた。
小学生の頃の愛華は、芸術が大嫌いだった。
音楽はもちろんのこと、図画工作においても同じで、作文などのような文芸に関してもまったく嫌いだったと言ってもいい。小学生なのだから、一度くらいはどれかの科目で先生から少しくらいは褒められることもあるだろうに、愛華の場合はまったくなかった。自分でも嫌いだと思っていたからなのだろうが、一度嫌いだと思うと、とことん嫌いになるのが愛華の性格だった。
芸術の中でも一番最初に嫌いになったのが、音楽だった。
歌うのも嫌い、楽器の演奏も嫌い、楽譜を見るなど、まるで外国語を見るかのようなまったく別世界の譜面を見ることなど、最初から毛嫌いするに十分だった。
愛華にとって、図工に関しては、絵画は嫌いだったが、工作はどちらかというと好きな方だった。特に木工細工などは家でもベニヤ板などを買ってきて、庭で黙々と何かを作るという時期が続いたこともあった。
「へえ、芸術が嫌いなくせに、木工細工なんかするんだ」
と、親からまるで他人事のように冷やかされたが、別に臆することもなかった。
元々、嫌いではない親であったら、他人事のような冷やかされ方をしたら、恥ずかしさからか、嫌になるものであるが、
「嫌いな親から少々のことを言われようと、別に気にすることはない」
と、割り切っていたのだ。
愛華の両親は愛華が小学三年生の時に離婚した。その理由が何であるかなど知る由もなく、愛華にしてみれば青天の霹靂だったのだが、時間が経つにつれて、最初から分かっていたような気もしていた。
考えてみれば、家族で一緒にどこかに行くということもなく、いつも自由ではあった。他の家族のように、親からどこかに連れて行ってもらったなどという「自慢話?」を聞かされても、羨ましいという気持ちにはならなかったが、親と一緒にどこかに行くという気持ちがどんなものか、想像してみることはあった。
しかし、実際にないのだから、想像のしようもないというものである。家族が皆一緒になって食事をしたという経験もほとんどない。それは家での食事であれ、外食であれ同じことだった。
愛華の家は共稼ぎで、愛華はいわゆる、
「カギっ子」
だった。
家の鍵は愛華が自分でも持っていて、いつも誰もいない部屋に帰る。学校から帰る途中、どこかからおいしそうな匂いがしてくるのをいつも感じていた。
「ハンバーグだわ」
と勝手に思い込んでいたが、家でハンバーグを作ってもらった経験があったわけではない。
あれは、友達の誕生日会の時だっただろうか。あまり友達の家にもいかない愛華が唯一思い出として残ってることだった。別に親から、友達の家に行くことを止められていたわけでもないが、友達に誘われても行く気にはなれなかった。
むしろ、誘われた時こそ、行く気にはなれない。
なぜなら、友達が誘うということは、
「きっと、幸せな家庭を見せつけられるに違いない」
という思いが先にあったからだ。
家族団らんなどという意識はほとんどない。両親が離婚する前まではずっと共稼ぎで、家族全員がすれ違い状態だった。さすがに小学生の低学年の頃は、愛華一人では危ないと思ったのか、父親のお姉さんが時々愛華の送り迎えに来てくれて、家で夕飯の用意をしてくれていた。