小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

心理の裏側

INDEX|5ページ/27ページ|

次のページ前のページ
 

 もしそうであるとすれば、一番無防備な瞬間に、夢を見ているということになる。そういう意味では目を覚ます瞬間に無防備になるというのも理屈には合っているのではないだろうか。愛華は夢を見るということが自然現象なのか、それとも人間の習性のようなものなのかを考えていた。
 もう一人の自分の存在を否定しないのであれば、それは自然現象ではないだろうか。人間の習性であるとするならば、誰もがいつも夢を見る時に感じることだろうと思うからだ。人間の習性とは、しょせん、いや、たかが人間という一種類の動物が感じるものであり、万物に共通する自然現象には、到底適うわけはないと思うからだ。
 愛華は、もう一人の自分の存在に、一つ恐ろしい発想が浮かんでいることに気付いた。
 もう一人の自分の出現が、夢から覚める瞬間と、現実世界に引き戻される間の時間であるとすれば、もう一人の自分の存在は、
「死後の世界から来た自分なのではないか?」
 という思いだった。
 人間は死んだらどこに行くというのだろう?
 テレビドラマなどではいろいろな発想が飛び交っていて、そのどれもがあり得ることのように思えるし、信憑性もあるのだが、すべてが本当なわけはない。真実は一つなのだろうから……。
「いや、真実が一つだということは誰が決めたんだ?」
 そう思うと、真実という言葉とは別に、事実という言葉があることに気が付いた。
「事実は確かに一つしかないのだが、真実は必ずしも一つではない。真実と事実を混同してしまうから、ややこしくなるのだが、逆に頭の中でややこしくならないのは、無意識に事実と真実を同じもののように考えて、真実も一つだと思い込んでいることにあるのではないか」
 と、愛華は考えていた。
「じゃあ、事実が現実世界で、真実は夢の世界だとすれば、辻褄が合うのだろうか?」
 と考えてみた。
 それも少しおかしい気がする。真実が一つでないのであれば、気になっている夢があれば、その続きだって見ることができるはずだ。
「ひょっとして、続きを見ることはできないと思っているだけで、本当は見ることができたのだが、その夢を覚えていないことから、見ることができないと思い込んでいるに過ぎないのではないか」
 と考えてみた。
 疑うことばかりを考えている愛華だったが、疑うことからどんどん発想は深まっていく。疑うことをしなければ、そこから先に進むことはできないということに気付いたのも、思春期になってからのことだった。
 人間には必ず思春期が訪れる。これはなくてはならないものだ。いろいろな弊害もあるのだろうが、それを乗り越えて大人になっていく。そう思うと、
「思春期というのも、自然現象なのではないだろうか?」
 と思うようになっていた。
 そして、思春期も夢や真実と同じで、一つではない。ただ答えは一つなのかも知れないが、そのプロセスが違っている。答えと思っている同じところに行きつくのかも知れないが、何が答えなのか、いつ分かるというのだろう?
「死んでから?」
 そう思うと、もう一人の自分の存在も死後の世界の自分だという発想に行き着いて無理もないことである。
 答えが一つではなく、さらにプロセスが一つではないというのは、算数のようではないか。
「算数は答えは一つだよ」
 と言われるかも知れないが、愛華はそうは思っていない。
 算数であっても、答えは必ずしも一つではない。表現が違うだけで答えはいくつもある。こじつけと言われればそれまでだが、複数回答こそが、夢というメカニズムを解き明かす答えなのではないかと考えていた。
 もう一人の自分を演出しているのが現実世界の自分であるのか、それとももう一人の自分が、現実世界の自分を演出しているのか分からない。分からないことが恐怖に繋がる。だからこそ、
「もう一人の自分が出てくる夢は、怖い夢なんだ」
 という思いに至るに違いない。
 夢の世界と現実世界がまるで異次元世界のように、
「声は聞こえるが、姿が見えない」
 というものだとすれば、もう一人の自分の出現は、
「声」
 ということになるのではないだろうか。
 声を通して共通性を保とうとするのは、もう一人の自分が、自分で存在を知らせようと思ったからに違いない。
 紙一重である夢と現実の世界を、
「交わることのない平行線」
 というものが、永遠に続いているとすれば、夢は死ぬまで見続けることになる。
 それも、現実世界との背中合わせによってである。
 では、人は死んだら、背中合わせの世界をどこに作るというのか? 愛華の想像はとどまるところを知らなかった。
 愛華は自分の夢の中で、
「今って何時頃なんだろう?」
 と感じた。
 目が覚めかけている瞬間であるという認識はあった。目を覚ます瞬間というのは、自分で目を覚ますと認識できるものだ。
 もっともほとんどの場合、アラームが鳴って気付くものだ。
「あっ、もう起きなければいけない」
 と、心の中で呟くのだが、呟いた時には、自分がすでに現実世界に戻っていることを意識していた。
 ただ、アラームが鳴ってから、
「これは夢なんだ」
 と気付くわけではなかった。
「もうすぐ目が覚める」
 と思った瞬間に、アラームに驚かされる。
 この間は誤差にしてもごくわずかな瞬間で、どちらが先なのか、微妙な時間であろう。
 しかし、愛華には紛れもない感覚が残っていた。
「明らかに夢だと思った瞬間の方が早かった」
 と感じるのだ。
 そう思うのは、アラームの音が次第に大きくなってくるからで、夢だと感じた同じ瞬間だったり、ましてや夢だと思ったのが、アラームによるものだったりした場合には、最初からその音は大きく響いていたに違いないからだ。
 だが、
「待てよ。夢の中で音が響いたという感覚は残っているけど、音自体の感覚って残っていないわ」
 と感じた。
 それは会話においても同じで、知っている相手であっても、相手の声が本当に自分の知っている相手の声だったのかどうか、考えたこともなかったのだ。
「夢って幻影なのよね」
 という言葉も聞き覚えがあった。
 確かに夢を見ていて、痛いとか音などを感じたことはなかったが、もう一つ感じたことがなかったのは、色だった。
 恐怖シーンを見たという夢を覚えていることがあって、目の前で血が噴き出している生々しいシーンを見たという記憶も残っている。鮮血が噴き出しているという記憶が残っているのに、夢で色を感じたことがないというのも意識としては残っている。この矛盾した考えをどう解釈すればいいのか、愛華は考えた。
「何も色がなければ分からないというものでもないわ」
 例えば血にしてもそうである。
 人が目の前で刺され、身体を震わせながら、断末魔の表情を浮かべている。その顔は苦痛に歪んでいて、胸に突き刺さっているナイフからは、真っ黒でドロドロしたものが噴き出していた。
 サラサラしたものではない。ナイフを抜き取れば、きっと噴水のようにほとばしる液体が散布されるに違いないが、色は真っ黒だ。しかし、血の色が赤いという認識があるからこそ、逆にモノクロで見えているであろう夢のシーンは余計に生々しく見えるのではないだろうか。
作品名:心理の裏側 作家名:森本晃次