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心理の裏側

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 その日、愛華は本当に夢を見たのだろうか? 自分では夢を見たように思えたが、目を開けた瞬間には気づかなかったが、意識がハッキリしてくるうちに、次第に頭痛がしてくるのを感じていた。
 今までの愛華には、目が覚める時に頭痛を感じた時というのは、夢を見ていたという意識を感じたことは一度もなかった。だから、
――頭痛がする時、夢を見たことはないんだ――
 と思うようになっていて、どうして頭痛が残ってしまったのかを考えたこともなかった。
 ただ、この日は、
――夢を見ていたような気がする――
 という意識が頭の中に残っていた。
 明らかに今までとはまったく違った感覚である。
 目が覚めるにしたがって頭痛が次第に強くなってくる感覚は、今までの目が覚めた時に感じる頭痛と変わりはなかった。このまま目を覚ましてしまえば、次第に頭痛は収まっていくことは分かっていたが、完全に目を覚ましてしまいたくないと思うのは、、
――もう一度、このまま眠ってしまうこともできるような気がする――
 という思いがあったからだ。
 さらにこの日は、目が覚めた時、
――今何時頃なのかしら?
 という思いもあり、気が付いているのかいないのか、意識は朦朧としていた。
「いつになく」
 という表現がピッタリくるのか分からなかったが、意識が完全に戻るまでにはかなりの時間が掛かると思われた。
 そんな感覚は今に始めったことではなく、目を覚ますまで意識がどこから来るのか分からないと思うに違いなかった。
「夢っていったいどこから来るんだろう?」
 そんなことを考えたこともあった。
 どうしてそんなことを考えたのかというと、
「夢というものは、目が覚める少し前の数秒間で見るものらしい」
 という話を聞いたからだった。
 この話を聞いたのはどこでだったのか、思い出すことはできない。ひょっとすると聞いたわけではなく、以前にどこかで読んだ本の中に書かれていたことだったのかも知れない。愛華は何かを見たり聞いたりしたことを思い出した時、それがどこで見たり聞いたりしたのか思い出せない時の方が、重要だったような気がする。それはまるで、
「逃がした魚は大きい」
 ということわざのようなものではないだろうか。
 思い出せないだけに、気になってしまい、どうしても追いかけて思い出そうとしてしまう。それこそ人間の心理なのだろうが、思い出せないことには、それなりに思い出せない理由があるような気もする。
「思い出してはいけないこと」
 そんな自分にとってのタブーがどれほど存在するのかと考えた時、愛華は余計なことを考えてしまうのだ。
 身体に気だるさを感じることは結構あるが、頭痛を感じることはそれほどなかった。
 以前は、
「結構頭痛があったような気がする」
 と思ったものだが、ある時から頭痛をあまり感じることがなくなってきたことに気付いたのだが、それは、
「頭痛がする時というのは、夢を見ていなかった時だ」
 と思うようになってからのことだった。
 それだけ、愛華は自分が夢を結構見ていたと思っていたのだろう。
 その思いが、
――夢ってどこから来るものなのだろう?
 と感じた時と重なったからではないだろうか。
「夢というのは、潜在意識が見せるもの」
 とよく言われているように思う。
 ただ、それも本当によく言われていることで定説になっていることなのかも、最近では疑っていた。
 愛華にとって夢というものを自分で納得させるための一番の発想は、
「夢というのは、潜在意識が見せるもの」
 というものであった。
 これは愛華だけではなく、他の人も同じだと思っていたが、その発想自体が愛華の思い上がりによるものだとすれば、夢に対する考え方が根本から変わってくる。
 もし、この考えが皆共有しているものであったとしても、一度でも、
「自分が傲慢なのではないか?」
 と思った時点で、夢に対して不可思議な印象以外に、存在自体に不信感を感じてしまうような気がした。
――想像することを自由だと思っているはずなのに、傲慢というのは、少し違うんじゃないかしら?
 と否定した自分もいた。
 想像を否定することは絶対にやってはいけないことだと思った愛華は、すぐに夢に対して疑問を感じた自分を傲慢だと感じることを否定したのだった。
 夢というものが、潜在意識のなせる業だという考えを傲慢だと考え、否定するようなことは愛華にはできない。逆にもっと柔軟に考えればいいという思いもあった。
 別に夢というものを一つの経緯から生まれるものだと限定する必要もない。潜在意識から生まれるものも夢、それ以外にも眠っていて見たのであれば、それも夢と言えるのではないだろうか。
 そもそも夢というものの定義とは何だろう?
「眠っていて見るのが夢」
 というのであれば、それは狭義の意味での夢というべきである。
「何か目標を追って、それを目指すのが夢」
 という考えもある。
 夢という言葉には汎用性があって、起きて見る夢もあるという意味で、広義の意味では他にもあるのかも知れない。ただ、目標を持つというのは、眠っていて見る夢でよく見るものだということであれば、目標を持つことも夢と言ってもいいだろう。
 そういう意味では、目標を持つ夢というのも、他の人が介在することのない、たった一人で抱くものだと言えるのではないだろうか。
 人から言われたり、人が達成しているのを見て、それを羨ましく感じ、自分も目指してしまうことを夢というのだろう。愛華の場合は、あまり人を意識することはないつもりだったが、人が成功したりするのを見ると、素直にその人の身になって一緒に喜ぶなどということのできない性格だった。
 自分が成功し、人から祝ってもらえるのは嬉しいと思っている。むしろそれを目指していると言ってもいい、本当であれば、成功している人を見て、
「私もいずれは」
 と思えば、人の成功を素直に祝ってあげられるのだろうが、愛華にはどうしてもできなかった。
 人の成功を祝うという気持ちになるには、成功者の気持ちにならなければいけない。成功もしていない自分がそんな気持ちになることを愛華は、
「反則だ」
 と思っていたのだ。
 人への妬みはあまりいいことではないのかも知れないが、それが自分の中での糧になるのであれば、それはいいことだと思う。人からどう思われようが、愛華は自分の考えを押し通す方だった。
「頑固な性格」
 と言っておいいのだろうが、妬みの気持ちが少しでもあるのであれば、人に合わせることの方が自分を偽っていることになり、いずれ自分を許せなくなるのだと思うようになっていた。
 愛華は今年高校に入学したばかりで、まだ思春期と言ってもいい時期であった。中学時代までの平凡な毎日をあまり意識もせずに淡々と過ごしてきた。特に中学三年生の夏前くらいからは、高校受験というものに集中し、人と関わることもなくなっていた。
 学校では皆今までと変わらない様子だったが、明らかに何かが違っているのは分かっていた。どこが違うのか具体的に言えるほど分かっているわけではないが、緊張感という言葉とはまた違った雰囲気があった。
作品名:心理の裏側 作家名:森本晃次