心理の裏側
そもそも空の色を思い出すということもなかったのだが、橙色の空を思い浮かべても、さほどの驚きはない。
――そんなものなんだ――
というイメージがあるだけで、背景が一色であることに特に違和感がないと思っていた。
空をじっと見ていると、さすがに濃淡はあった。上から下にかけて、次第に濃くなっていることに気が付いた。しかし、
――おかしいわ――
と感じた。
その理由は、
「日が落ちているのだから、下の方が明るい色になるはずなのに」
という思いがあったからだ。
そう感じてからもう一度思い浮かべてみても、やっぱり下の方が濃い橙色であることに間違いなかった。
――どうしてなのかしら?
何度試みても一緒であろう。
愛華は、それ以上、空の色について考えようとは思わなかった。
愛華は最終的にプログレッシブな音楽を作曲できるようになればいいと思いながら、借りてきたCDに耳を傾けていた。そのうちに小学生時代の公園で見た光景を思い出すこともなくなってきた。それは音楽が自分の中でしっくりと嵌ってきたからだと思う。もはや音楽に集中するのに、公園の光景の思い出は必要なかったのだ。
絵画
愛華が芸術に興味を持ったのは、音楽だけではなかった。絵画にも興味を持ったのだが、それはプログレッシブロックを聴くようになってから、少ししてのことだった。
プログレッシブロックの音楽は、隼人にCDを借りて聴くのがほとんどだったが、そのCDも実際には販売用ではなく、自分用に加工したものだった。
だが、彼はCD(当時はレコード)ジャケットをプリンターでカラー印刷して、カバーとしてつけていた。そのジャケットがいかにも幻想的なものが多く、音楽の魅力を大いに引き出していた。
ほとんどのジャケットは写真画像ではなく、絵として描かれたアートだった。それを見た愛華は音楽の魅力とともに、アートの魅力にも見出されたような気がした。それまで自分の中で封印してきた絵画への魅力に目覚めたとすれば、その時だったのかも知れない。
CDを貸してくれた隼人は、高校時代は美術部に所属していた。今では絵画をすることはなくなったが、アートの魅力に目覚めた愛華は、さっそく隼人に話してみることにした。
さすがに、
「先生になってほしい」
と言って切り出すのはいきなりだと思ったのだが、なるべくなら教えてもらえればそれが一番だと思っていた。
「お兄さん、いつもCD貸してくれてありがとう」
というと、
「いやいやいいんだよ。他ならぬ愛華ちゃんの頼みだからね」
と言って、優しく微笑んでくれた。
その笑顔は今まで知っている惰性の中でも一番で、従兄弟とはいえ、
「家族のようなイメージを持っているからではないか?」
と感じたからかも知れない。
愛華にとって両親は、
「近くて遠い」
という表現が一番の人で、特に父親は顔すら半分忘れかけているような存在だった。
クラスメイトの男性に対しては、正直毛嫌いしか感じていない。特に思春期になってからというもの、顔からはニキビの汚らしい吹き出物ができていて、その視線はいやらしさに満ちている。女性を見る目を思い出しただけで寒気が襲ってくるほどで、アレルギー一歩手前だったような気がするくらいだ。
そんな男性への恐怖感に近いものが、父親の顔がシルエットでしか浮かんでこない印象に相まって、自分の中で男性という人種の存在を否定する気持ちになっていたとしても、それは無理のないことではないだろうか。
かといって、そんなことを相談できるほど仲のいい女友達がいるわけでもない。しかも思春期の女の子たちも、どこか背伸びしたいのか、化粧を施したり、学校を離れると、学校での恰好とはかけ離れたいでたちで、街に繰り出したりしている。最初はその心境がどこから来ているのかよく分かっていなかった。
愛華自身、化粧を施したり、自分を綺麗に見せようなどという欲は一切持っていなかった。その心境がどこから来るものなのかということも、理解不能だった。
そこへもってきての男性不振である。
「愛華ももう少し垢抜けないと」
と言っているクラスメイトもいたが、心の中では、
――余計なお世話だわ――
と思っていた。
もちろん決して口には出すことはなく、苦笑いをしているだけだが、相手のクラスメイトもきっとそんな愛華の気持ちを分かっていて。敢えて余計なことを口にしているのではないかと思っていた。
それは、半分はいやがらせであり、半分は自己満足ではないかと思っている。
いやがらせというのは、そのまま言葉通りなのだが、自己満足というのは、思春期特融の、いや、思春期から以降の、大人になったという気持ちの表れとしての感情ではないだろうか。
相手におせっかいすることで、自分がまわりを見て、中心にいることができるような人間であることを自他ともに認めてほしいという考えに他ならない。
愛華はそのあたりは理解しているつもりだった。そんな自己満足をするクラスメイトを軽蔑する気にはならないが、自分にはできないこととして、切り離して考えることができた。
愛華は決して自分が中心にいるような人間ではないことは分かっている。ただ、目立ちたいという気持ちがないのかと聞かれれば、そこには疑問を感じる。確かに、
「目立ちたいという気持ちがないのか?」
と聞かれると、答えに窮するに違いない。
ハッキリした性格でありたいと思うようになってきた愛華には、自分にはないことであれば、一瞬にして即答していることだろう。しかし、
「ハッキリした性格でありたい」
と思うようになってから、逆に答えに窮したり、曖昧にしか答えたりできないことが増えたような気がした。
――私の考えていることが間違っているのかしら?
と考えたが、愛華は逆の発想を持つようにもなった。
「他の目立ちたがりな女の子たちと自分とでは、そんなに変わったところというのもないのかも知れない」
という感情である、
愛華は、
「人と同じでは嫌だ」
と思うことで、人との差別化を図っているつもりでいた。
だが、まわりの女の子が化粧を施したり、目立つ格好をするというのも、
「人と違って自分がその中で一番でなければ嫌だという考えの表れではないか」
と思うようになった。
一番になりたいという感覚があるかないかというだけで、他の人と何ら変わりがないのではないかと思うと、愛華は自分の中で何か一つ目からうろこが落ちたような気がした。
しかし、だから余計に、彼女たちと一緒にいようとは思わない。自分と彼女たちには自分が考えているよりも大きな結界が存在しているのではないかと思うからだ。
結界というのは、超えることのできないものではあるが、向こう側はハッキリと見えているものである。行くことができないという意識があることで、距離は感じるが、本当は背中合わせにしか過ぎないということは、小学生の頃から分かっていたはずではなかったのか。