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心理の裏側

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 クラシックの音が電子音と同じでどこから聞こえているのか分かりにくいということは無意識に感じていた。一度終わった音が違うところから聞こえてくるのも無理もないと思っていたのに、同じところから聞こえてきた時、愛華はすぐに、
「ああ、終わったところから聞こえているように思うけど、実は違うところから聞こえているだけのことなんだわ」
 と納得した。
 だが、納得する気持ちが深まるにつれて、音が本当に終わってくれるのか、疑問に感じられていたのは、二度目の最初から聞こえてきた音が籠って聞こえていたからである。
 反対側からは、もうすぐ終わりそうな音が聞こえていたが、その音は乾いた響きをもたらしていて、遠くまで響かせる音ではなかったが、小刻みな心地よさが耳をくすぐった。しかし、籠ったように聞こえるその音響は、気だるさとも相まって、いつまでも続いていそうな気がしたので、その思いからか、終わったはずの場所を気にしている自分がいることに気付いた。
 今度は音は鳴らなかったが、音を気にしている時に感じたことがあった。
「左右同時に、まったく違うことができる人って、すごいわよね」
 と自分に語り掛けていた。
 それは音楽の基本であり、ピアノやギターなどのメジャーな楽器を弾くには、必要不可欠な技術である。
――どうして、皆そんなに簡単にできるのかしら?
 愛華は誰にでもできるような感覚でいるが、それは錯覚ではないだろうか。実際にできているのは音楽をやっている人だけで、それ以外のその他大勢の人は、誰もできないのではないか。できないことを誰も問題にしないから、できないのは自分だけなんだという思いこみをしてしまっていたが、それは仕方のないこととして片づけられることなのか、疑問だった。
 音楽ができないのと同じで左右の感覚もまともに感じることができない。音楽ができる人、つまりは左右で別々のことができる人が皆左右で同時にしっかりと感じることができるのだろうか、愛華はできていると思っていた。
 もちろん、人に聞いてみたことはなかった。聞ける相手がいないというのがその理由なのだが、愛華は聞くのが怖い気がした。
 夕凪の時間が過ぎて、いつの間にか西日も建物の陰に隠れてしまい、吹いてきた風が木枯らしを思わせるほどになってくると、急に手が冷たくなってきた。思わず手を口元に持っていき、
「ハー」
 と息を吹きかけてみたが、思ったよりも効果がなかった。
 冷え込んできてはいたが、日が翳ってきて、さらに風を感じるようになってから、それほど時間は経っていないはずなのに、底冷えを感じるのは、ひょっとすると風邪でも引きかけていたからだったのかも知れない。
「そういえば、ボーっとしてきたわ」
 と思い、それをすぐに意識しなかったのは、普段から夕方のこの時間、身体のだるさを日ごろから感じていたからではないだろうか。
 気が付けば身体が小刻みに震えていた。小刻みさは寒さを感じて震えている時と若干違っていて、寒さによる身体の震えは、自分ですぐに意識できるほど、大げさなほどの震えに身体全体が反応してくるのに、この日の震えは、いつ震え出したのか自分でも意識できないほど、自然体の中での震えだったような気がした。
 だから、気が付いたら震えていたなどという表現になるのだが、震えを感じてしまうと、最初は震えの原因が何なのか考えようとしたが、すぐに考えるのをやめてしまった。考えるだけ無駄だというよりも、考えることに意味を見出さなかったからだ。
 それは、最初から震えの原因が分かっていたからだというよりも、考えれば考えるほど迷ってしまい、頭に残ってしまうことで、余計な体力を使うことが分かっていたからに違いない。
 いつの間にか掌をこすり合わせていたのだが、右手を握りしめて、左手を添えるような感じに途中から変わっていた。どうして変わったのか分からなかったが、
「左右で手の感覚を感じてみたいと思ったからかも知れない」
 と思った。
 普段から、左右で手の感覚を感じることはできないと思っていたのは、寒さの中で、片方の手が温かくなって、もう片方が冷たい状態の時に、手を合わせると、明らかに温かさと冷たさを感じることはできるのだが、片方に意識を集中させると、もう片方の手の感覚が分からなくなってしまうことを知っていたからだった。
「あらたまって集中しようとすると、できないこともあるんだ」
 と初めて感じた気がする。
 それまでの愛華は、自分の身体が何かを感じる時、感じたことを意識できるものだと思っていた。そして、どのような感覚なのか、想像した思いと誤差はないものだと思っていた。
 だが、左右の手を重ねるというような、自分の身体の二つの部分で同時に感じることはできないと思っていたが、厳密ではないと感じた。
 漠然と両方を同時に感じることができないと思っていただけで、それぞれ別々に感じようとすると、感じることはできるものだと思っていた。
 しかし、実際には逆で、
「片方を単独で感じることができないのであって、同時に感じようとすればできないわけではない」
 と言えるのではないだろうか。
 愛華は、そのことをハッキリと感じられるようになったのは、思春期になってからだった。小学生の頃に感じた時は、ここまでハッキリと感じたわけではなく、漠然とした感覚が違和感として残ったことなのだが、思春期になって意識したことで、却ってその時に意識したものではなく、過去に意識したものだという思いを持った。
 思春期というのは、そういう感覚を与えてくれる時期ではないのだろうか。本当は思春期のちょうどその時に意識し始めたにも関わらず、意識した瞬間から、
「以前から、思っていたことだったような気がする」
 という矛盾した感覚に襲われる時期なのかも知れない。
 この感覚は何かに似ていないだろうか?
 愛華はそれが何なのか、すぐに思い出せたのだが、思い出すのに一瞬ではなかったことで、すぐに思い出せたという感覚はなかった。
「そうだわ。デジャブだわ」
 デジャブという現象に違和感があったのは、元々であったが、この時にすぐに思い出せなかったという意識も一種の違和感だったような気がする。
 デジャブというと、
「初めて見たり聞いたりしたはずなのに、以前にどこかで経験したことがあるような気がする」
 という感覚である。
 錯覚だと言えばそれまでなのだろうが、錯覚を起こすには起こすだけの原因のようなものがあっていいはずである。錯覚だと思った次の瞬間、その原因を探してしまうのが、人間の本能ではないかと愛華は思っていたが、以前にデジャブを感じた時、本当に原因を探そうとしたのか、思春期になってから思い出そうとした時、思い出そうとしたという意識を感じることはできなかった。
 それが、
「意識の矛盾」
 なのかも知れない。
 意識の矛盾というのは、あまりにも漠然とした表現であり、今までにも感じたことがあったり、これからも何度も味わうことだと思うと、意識の矛盾を感じた時、成長した自分が何を感じるのか、大いに興味があった。
 過去に感じた時もひょっとすると、今感じたのと同じように、
作品名:心理の裏側 作家名:森本晃次