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短編集70(過去作品)

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 ママさんが指摘してくれた通り、案ずるより産むがやすしだった。馴染みのお客さんは皆覚えていてくれて、懐かしさは次第にまるで昨日のことのようによみがえり、皆口々に懐かしさを口にしながら、本当に昨日のことのようにさりがなく接することができたのだ。
 店に入るのは週に四回。それ以外の日には、コンビニでアルバイトをしていた。店に入る日はコンビニの予定を入れず、昼間からママさんに付き合って、仕入れや開店準備の手伝いをした。
 今までは店が始まる時間に行けばよかったのだが、早く行くことで、スナックの裏側がどんなものか勉強にもなるのだった。
 ある日ははがきの宛名書きも手伝った。
「お店も時々イベントをしないとね、新鮮な空気を入れないとマンネリ化しちゃうでしょう?」
 と言っていた時に描かされた宛名書き、それは常連さんに対しての案内だった。
「家に直接送れない人もいるし、だからと言って会社にも送れない人がいるので、難しいものなのよ」
 なるほど、客商売ははがき一枚にも気を遣うものなのだ。そんな中で、私といつもお話しているお客さんがあった。肩書きには、
「取締役社長」
 と載っていた。
「この方、社長さんだったんですね?」
「ああ、佐竹さんね。そうよ、いつもさやかちゃんとお話しているものね。知らなかったの?」
「ええ、そんなお話をしたことがなかったので」
 趣味の釣りの話が主だったことを思い出すと、佐竹の顔が思い浮かんできた。
――やはり楽しいことを話題にしていると、こんなに楽しそうな顔になるんだわ――
 と思わせた最初の人だったように思う。会社の話も家の話も決してしようとはしない。私に気を遣ってくれていたのは分かっていたが、まさか社長さんだったなんて、驚きだった。
「スナックではいろいろな話題があるけど、家や会社の話題に触れたくない人も多いんでしょうね。ここは嫌なことを忘れるためも、男の隠れ家みたいな感じのお店なのよ。本当にお客様が癒しを求めてこられて、絶えず笑顔でいられるようなそんなお店にしたいと思っているのよ」
 そう言って、ママさんは私を見つめながら、目を輝かせて話してくれた。
 佐竹さんは、四十代後半くらいだろうか。小柄で痩せているので、雰囲気としては、社長さんのようには見えない。物静かなところがあり、それでも話題は豊富だった。女の子の好きそうな話題から、相手によっては時事問題まで、幅広く知っているようだった。
 数人で会話している時であれば、時々一人で考え事をしている。自分の世界に入り込んでいるように見えるが、それも嫌みな感じがしない。神秘的なところが、魅力的でもあった。
 会社や家庭のことは一切口にしない。家庭ではあまりいい思いをしていないので、この店に来ているのではないかと、私は思っていた。賑やかでもなく、かといって寡黙でもない。自分の世界を持っていて、どこにいても、変わらない雰囲気を感じさせる佐竹さんに、私は好感を持っていた。
 佐竹さんも私を贔屓にしてくれていた。私が休みの時は他の女の子と話をしているようだが、
「やっぱりさやかちゃんと一緒にいる時が、一番心が休まる気がするんだ」
 と言ってくれていた。
 店が終わって、佐竹さんと何度か食事に出かけたことがあった。食事といっても、近くのラーメン屋さんくらいであるが、お店と違った意味で楽しかった。お店ではどうしても客とホステスの関係、会話を楽しむための社交の場なのである。
 ラーメン屋では会話というよりも、お互いに存在感を楽しめるのが嬉しかった。一緒に同じものを食べて、お互いにニッコリと笑う。私は新しいお父さんができたような気分になっていた。
 父の目を思い出すと吐き気がしてくるくらいの気持ち悪さがあった。今では同じ家に住んでいてもほとんど顔を合わせることはない。特に父が不倫の告白をしてからというもの、お互いに気まずくなってしまい、お互いに顔を合わせないようにしていた。
 告白した時点で父もその覚悟はあったのだろう。そうでなければ父の方も私を避けるようなことはしないはずだからである。私への思いを断ち切るために、父はわざと私に告白し、自らの覚悟を示そうとしたのではないだろうか。そう思うと、私のことを考えていない身勝手な父に怒りを覚えるのだった。
 怒りを覚えながらでも、今まで父として慕っていた気持ちがあったことを思い知らされたことで複雑な気持ちにさせられた。今更ながらにそんな気持ちにさせられた苛立ちを誰にぶつければいいというのだろう。
 父に対する反動が強ければ強いほど、私は佐竹さんに惹かれていく。彼は人の気持ちを巧みに操る術を心得ているのではないかと思うほど、私が言ってほしいことを的確に答えてくれる。
「佐竹さんって、本当に女性の心を掴むのがお上手なんですね」
 と冷やかし半分に聞いてみた。
「そんなことはないさ。女性と一口に行ってもたくさんいるからね。皆一人一人性格も違うし。的確に答えができているのであれば、それはきっと私とさやかちゃんとの相性がいいからなんでしょうね。そういう意味では素直に、『ありがとう』と言わせてもらおう」
 返答も大人であった。表情一つ変えず、いつものようにニコニコしながら答えてくれたのも嬉しかった。変に表情を変えられると、私が戸惑ってしまうのではないかと思ったに違いない。佐竹さんの心遣いはそんな小さなところからも伝わってくるのだった。
「佐竹さんは子供の時はどんな感じだったんですか?」
「そうだね、僕たちの子供の頃は、皆表で遊ぶ子が多かったね。ちょうど、高度成長時代だったこともあって、光化学スモッグなんていう言葉もあってね、工場の煙を見るのが日常茶飯事だったよ」
 少し上を見ながら軽く目を閉じて昔を思い出しているのだろう。佐竹さんはさらに言葉を続けた。
「夕焼けを見ながら、少し大きな川を横目に、皆帰っていたものだよ。河川敷には野球場があり、大人たちが野球をしていた。子供の僕たちには羨ましかったよ。ちゃんとしたベースやマウンド、さらにはベンチまで完備しているんだからね。僕たちはといえば、金網に囲まれた狭い正方形の檻の中で野球をしていたからね。ベースもラインも自分たちで引いて作ったものだよ」
「野球をされていたんですか?」
「僕たちの子供の頃は、野球が主流だったね。サッカーや他のスポーツはまだまだ人気がなくてね」
「佐竹さんは上手だったんでしょうね」
「そんなことはないよ。でも、野球場で思い切り野球をしたくてね、川の向こうには工場があって、その工場の煙突から吹き出す煙に向かって思い切りボールを飛ばしたいと思ったものだよ。煙突の煙は鬱陶しいだけなんだが、それでも僕たち子供の目標にもなっていたんだ。夕日に野球に工場の煙突。僕の子供時代というと、そのイメージばかりが頭を巡っているようだよ」
 私は話を聞きながら、思い浮かべていた。
 テレビドラマや映画で見た世界がよみがえっては来るが、本当のイメージが湧くはずもなかった。それでも佐竹さんの話を聞いているだけで、自分もその時代に生まれてみたかったと思うのだった。
――どっちの時代が幸せなんだろう?
作品名:短編集70(過去作品) 作家名:森本晃次