短編集70(過去作品)
父は分かっているのかも知れない。そうやって私を苛立たせることで、自分の中の欲望を相手が受け入れないようにという苦肉の策なのかも知れない。
父が私に対して、不倫をしていたことを今頃になって話したのも、その思いがあったとすれば納得がいく。
――それにしても自分勝手すぎないかしら?
あまりにも自分中心の考えに怒りを覚えた。しかし、私は怒りの中に父に対する男としての思いを見ることで、その感情を無視することができなくなってしまった。
――彼氏がいるのに、私は何を考えているんだ――
と思った。しかも相手は血の繋がった父親ではないか。
実直な彼氏と付き合い始めたのは、不器用だが朴訥なところが私の心に響いたからだ。父も朴訥で、不器用なところがあるが、それは彼氏ができるより前から知っていたことだった。
母がいなくなり、父は家に帰ってきた。今から思えば、不倫をしていたことに対して、目が覚めたような気になったからではないだろうか。
――不倫は悪いことなんだ――
実直な考えが、目を覚まさせた。不器用なので、キチンと相手と別れられたのかどうかは疑問であったが、それでも、家庭の方が大切だと、やっと気づいたのだろう。
母に対して悪いという思いがどれほどあったのかも疑問である。家に帰ってきた父は、母のいない家でしばらく、放心状態のようになっていた。それだけ母の存在がこの家で大きなものだったことに気付いたに違いない。
最初はどうしていいのか分からずに、会社と家の往復だけのようだったが、そのうちに子供たちとも会話をするようになった。私はあまり長い会話はできなかったが、それでも、会話と会話の間にできた間は、雰囲気を悪くするようなものではなかった。会話の合間、父の視線に痛さを感じていたが、次第にそれも心地よさを感じるようになった。
――いつも見つめられていたい――
という気持ちは、次第に強くなっていった。
父のことがよく分かるようになったのは、私が父と真剣に向き合うようになったからだろう。いくら相手の性格を見抜こうと努力しても、こちらを正面から向いてくれている相手に対して、こちらも正面から見つめないと分かるものも分からない。父に対しては。その条件がピッタリ嵌ったと言えるだろう。
その感情は普通であれば、恋愛感情に直接結びつくものだ。血の繋がった父親であれば、禁断の恋と言えるだろう。
――あってはならないこと――
と、分かっているつもりだが、お互いに惹き合うものがあるのも事実で、事実を曲げることはできない。お互いに実直であるがゆえに、気持ちに正直でいたいという感情が強いのだろう。
私は大学生になるまで、父をむしろ嫌いだった。母が自殺したのも、直接的に関与したわけではないにしても、父の態度が母を自殺に追い込んだと思っていたからだ。
とは言っても私は母を擁護するつもりはない。どんな理由があるにせよ。いきなり家族の前から姿を消し、散々心配を掛けておいて、最後にはまったく知らない人と心中するのだから、訳が分からないという思いでいっぱいだ。
その気持ちは口には出さないが、弟の勇作も強く持っているようだ。母が死んだ時の事情を理解できる年ではない。母親が恋しい年頃にいなくなり、見つかった時には永遠に帰ってこないと分かってしまった。葬儀の時に私と一緒に大人たちの間で震えながら小さくなっていた弟を私は忘れられない。私とは違った意味で震えていたし、怯えていたに違いない。
親戚の人たちはなるべく平静を装っていた。悲しいことをどうしてそんなに平静を装えるのか分からなかったが、それだけ親戚と言えど、他人事なのだと思ったものだ。ただ実際には他人事というよりも、下手に悲しんで場を重くする必要はないと思ったのかも知れない。確かに不可解な事件で、話題性としては想像が豊かになるものなので、暗い雰囲気になることはないだろう。
それよりも親戚の人たちの私と弟を見る憐みの表情が印象的だった。弟が震えていたのは、それが原因なのかも知れない。
「どうしてか分からないけど、おじちゃんたちが怖い」
と勇作は私に話していた。
「お姉ちゃんも同じことを想っていたわ」
と私は答えたが、憐みの中に好奇の目が隠されていることで私はさらに親戚の人たちを信じることができないために震えていたのだった。親戚の中には真剣に心配してくれる人もいるが、しょせん自分たちだけのことで精一杯。その時は分からなかったが、生きていくということは、そういうことなのだ。
私は母の葬儀から変わったと思う。あまり人のことを詮索したり、人に関わることをしなくなった。噂話が好きな連中の近くには行かないようにした。下手に聞いてしまえば、聞いただけで、何かを背負ってしまう気がしたからだ。だから、私はまわりの情報には本当に疎くなってしまった。それでもいいのだ。友達が減ったとしても、人の噂の責任を負う方が私には苦痛を伴うと感じたからだ。
母の夢を私は最近よく見るようになった。死者が夢枕に立つと言われるが、母が死んでから十年以上も経っているというのに不思議なものだ。
目が覚めると、頭の上に立っている母の姿。まさしく夢枕だった。
夢枕に立つというのは、何か未練を残し、あの世に行けずに彷徨っている人が、一番伝えたい相手の夢に出てくるものだと聞いたことがある。それが本当だとするならば、母は何か未練を残したまま、十年以上の彷徨っているのだろうか。
私は死後の世界のことは分からない。知っている人などいるはずもないが、だからこそ、勝手な解釈で理解しようとする。十年も経っているという理屈はこの世だから理解できるというもので、あの世では、それほど経っていないのかも知れない。
死んだ人の生前の事情によって、死後の世界では、人の時間が生前のような時系列ではないのだとする理屈は、死んだ時間が、あの世では最初の時間となることで、ある程度辻褄が合ってくるのかも知れない。
いつ死んだかによっても、その人が何歳で死んだかによっても、あの世では大きな影響を持っているのだとすると、人それぞれに時間が違っても不思議ではない。さらにこの世にどれだけの未練を残したかによっても変わってくるとすれば、あの世はこの世と密接に結びついていながら、私たちの想像も及ばないような別世界なのかも知れない。
かといって、まったく違う世界にも思えない。この世と同じような世界が広がっていて、ひょっとすると、死んだ人も自分が死んだということを知らない人もいるかも知れない。
彷徨っているのは、自分が死んだことに気付いていない人もいるかも知れない。特に自殺した人は、本当に死んだという意識が強いようにみえて、あの世がこの世とそれほど違わない世界であれば、自殺者が一番自分が死んでいないかも知れないと思うかも知れない。
自殺には勇気がいる。死んだつもりでも、本当に死に切れるのかが不安なはずだ。あの世がこの世とそれほど変わらない世界であれば、自分が生きていると思っても不思議はない。
作品名:短編集70(過去作品) 作家名:森本晃次