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短編集70(過去作品)

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 次の日、会社で会った時、彼の顔が一瞬淫靡に歪んだ。すぐに普段の情けない表情になっていたが、百合子はその淫靡な表情を見逃さなかった。淫靡な表情とは唇の歪みで分かる。いつの間にか百合子は男性の顔を、唇から見るようになっていた。
 昼と夜とで男性の顔が違うことも、男性の顔を唇から見るようになって気が付いた。夜の顔の方がクッキリ見える人と、逆に昼の顔がクッキリ見える人がいる。光の加減かも知れないが、百合子には純粋に昼と夜の違いによるものだということを、信じて疑わなかった。
 真里菜と桜井が一緒にいたらどうであろうか?
 これほど似合わないカップルもない。化粧や服装は決して派手ではないが、しっかり目立つことを忘れないコーディネイトを施し、頭の良さを醸し出すさりげない気遣いなど、したたかさをいかに隠しながら振る舞うかを心得ている真里菜、誰が見てもダサいという表現に、ドジで挙動不審の三点セットの桜井、百人が百人とも、
「似合わない」
 というに違いない。
 百合子と桜井でも似合うはずがなかった。真里菜と一緒にいる時と、百合子と一緒にいる時では、きっと表に出てくる性格が違っているに違いないと思うからだ。桜井は百合子と一緒にいれば反発する性格を表し、距離を適度に保とうとするに違いない。
 桜井という男、相手によって性格を変えるが、それは合わせるためではなく、合わせないようにするため、あるいは、一定の距離を保つために性格を変えると思えて仕方がなかった。
 考えがないドジな男だというイメージが強いが、ひょっとすると、思っている以上にしたたかな性格の男なのかも知れない。ドジを踏んでも、絶対に大きな失敗になれないところが、怪しいものだ。それを指摘するやつがいて、彼の中では、それほど深い意味で考えているわけではないようなのだが、
「運がいいだけさ」
 と言っているが、それも笑い方に余裕が感じられる。本当にドジなやつなら、もう少し焦ったような話し方をするのではないだろうか。その話を聞いた百合子は、そう感じたのだった。
――運がいいのも実力のうちというものね――
 と、彼の話を聞いて、運がいいという言葉が最初に出てきたこと自体、言葉に余裕が感じられるのだった。
 桜井の中に、余裕を感じたのは、その時だけだった。他の態度にしろ、言動にしろ、ドジな雰囲気がそのまま醸し出され、どれが本当の桜井なのか分からなく感じるかも知れない。それでも桜井という男にしたたかさを感じているのは百合子だけではないかと思うのだった。
 では、真里菜はどうだろう? 真里菜は勘もよければ、男を見る目、見抜く目を持ち合わせている。百合子に分かることが真里菜に分からないはずはない。真里菜が桜井を見る目を注意深く観察していたが、真里菜に他の男性を見る目との違いが感じられない。真里菜が本当に気付いていないのか、それとも気付いていることをまわりに悟らせないようにしているのかであるが、もし後者であるとすれば、その理由はいったいどこにあるというのだろう?
 そんな桜井の挙動不審の最たるものであるストーカー行為、これをどう解釈すればいいのか、相手が他ならぬ自分であることに百合子は少なからずの衝撃を受けている。他の人へのストーカーならまだ分かるのだが、桜井と百合子の間でストーカーが起こるというのは考えにくかった、それは百合子の妄想なのかも知れないが、桜井は真里菜のことが好きである。
 好きな真里菜が好きな相手、それはこともあろうに百合子ではないか、ある意味では恋敵、そんな百合子をストーカーするというのは、おかしなものだ。まさか機会を狙って、傷つけてやろうなどと思っているわけでもあるまい。
 それにしては、あまりにもお粗末な尾行だった。後ろをあまり気にしない百合子に見つかるのだから、本当にドジである。まるで見つけてくださいと言わんばかりではないか。
――それが狙いってわけじゃないわよね――
 百合子に対して何かの目的を持って自分の存在を知らしめるためにやっていることだとすれば、やはり桜井の行動はしたたかだと言えなくもない。桜井という男を百合子は果たしてどこまで理解しているのか、理解できるというのであろうか。考えていくだけで神経を使わされてしまう。
 百合子を追いかけているというよりも、百合子のことを知ることで、どうすれば、真里菜の心を掴めるのかという思いをずっと抱いていたのかも知れない。遠回りではあるが、恋に遠回りはつきものだと思い、地道な行動を取っているのではないだろうか。
 今のところ、すべては百合子の想像でしかない。事実は桜井がストーカーのような行為を行ったということだけだ。だが、あの時の男は本当に桜井だったのだろうかという疑問もなくはない。チラッと見ただけで、雰囲気は明らかに桜井だった。しかもあんなドジな人は桜井しか知らないという思い込みが、桜井に見せたのかも知れない。あの人はまったく百合子の知らない人で、気配を感じて後ろを見ると、偶然その男が百合子の視界に飛び込んできただけだとも言えなくはない。
――私って、そんなに被害妄想なのかしら?
 被害妄想というだけではなく、他の人から見れば、自尊心が強すぎるからだと言われても仕方がない。
――自尊心の強さということはありえないわ――
 もし、自尊心の問題であれば、何も相手を桜井だと思う必要はない。もっとマシな人はたくさんいるではないか。どうしてわざわざあんな冴えない男を想像しなければいけないのか、自分で感じておかしくて苦笑してしまった。
 桜井と百合子を結びつけるものは何もないはずだった。冴えない男性を好む女性も中にはいるが、百合子はそんな女性ではない、冴えない男性を好む女性には二種類いると思っている。一つは、母性本能の強い女性で、
「私がいなければ、この人はダメなんだ」
 と思うパターンである。
 もう一つは、冴えない男性を彼氏に持つことで自分に優位性を持たせ、優越感に浸りたいと思っているパターンであろう。この二つだけだとはもちろん言えないが、大別すると、たいていはこの二パターンのどちらかに含まれるに違いない。
 百合子には、そのどちらも感じられるものを持ち合わせていない。それなのに、なぜ桜井をそんなに気にするのか、やはり心のどこかで彼の行動は表面上だけのことで、実際は違うのではないかと思っているのではないか。ただ、それが彼の二重人格性を証明しているのであれば、なかなか踏み込めず、ある程度の一定の距離を保つことを余儀なくされていることになるのだろう。
 桜井の表情は、ストーカー行為のあったあの日から、まったく変わらない。何事もなかったかのような表情は却って気持ち悪く、
――本当に何もなかったんじゃないかしら?
 と百合子自身が自分の記憶に不安を覚えるくらい、あの日のことがまるでなかったかのようだ。
作品名:短編集70(過去作品) 作家名:森本晃次