短編集70(過去作品)
サディスティックな時の真里菜は、体型まで変わって見えてくる。くびれた腰も、はち切れそうな胸も、すべてが筋肉でできているようにさえ見えてくる。黒のバンテージが似合っていそうで、とても、会社でOLをしているなどというイメージは湧いてこなかった。
怯えが走る時の真里菜も身体中が筋肉になったように見える時であった。強すぎる感情が破裂しそうな身体を支えきれないかのようだった。真里菜のことばかりを気にしていたが、百合子の中でも自分の胸がどうしようもなくはちきれそうに痛むことがある。そんな時は何も考えずにゆっくりしているだけしかないのだと思うのだった。
――真里菜が二重人格で、時々百合子を見ていて怯える時がある。男性に対しての時と女性の時では、真里菜の態度は明らかに違う――
という観点から考えて導き出される答えは一つだった。
「真里菜は女性に対してはSであり、男性に対してはMである」
という考え方だ。男性のイメージを持った百合子に対して急に怯えを走らせるのは、百合子の中に男性を感じるからだった。それを考えると、サディスティックでレズビアンで、さらには二重人格の真里菜はとらえどころのない女性だというとこるに着地してしまうのだ。
百合子は真里菜の本当の恐ろしさを知ったような気がして、背筋が凍るのを感じたのだった。
ただ、実際には真里菜も百合子の本当の恐ろしさをちょうど同じ頃に感じていたのを知らない。真里菜は百合子に近づこうとしていたのは、百合子にも分かっているし、まわりから見ても明らかであった。だが、ある一定の距離から近づくことができないでいた。それは百合子のまわりにバリアが張り巡らされているような雰囲気ではない。近づこうとする、急に目の前から消えているのだ。しばらくはまったく視界から消えていて、いつの間にかまったく想像もしていなかったところに現れるという感覚であった。
とらえどころがないのは、真里菜というよりも百合子の方だった。真里菜の正体にはいろいろな性癖が共有していることで、一見とらえどころがなさそうだが、要は隠微なところに関して関連しているところが結びついているだけなのだ。百合子の場合には、男性っぽいという雰囲気を除いては、別におかしなところはない。性癖が変だということもないのだ。
百合子はもちろん分かっていない。ましてやまわりも分かるはずがない。知っているのは真里菜だけだった。
ひょっとして時々見せる真里菜の怯えたような表情は、本人に意識がないだけで、本当に百合子のとらえどころのなさに身体が反応しているからなのかも知れない。
意識がないのは恐ろしい。たまに起こる怯えを真里菜本人は意識していないのだが、感覚は明らかに残っている。しかも何に対してなのか分からないが、怯えたことだけが感覚として残っているのだから、これほど気持ち悪いものはない。
この思いは真里菜独特のものである。他の人には決して味わうことのできない感覚で、それが真里菜の性癖に関係があるのかも知れない。性癖を自分で知っていて、それを表に押し出すことで、自分を表現しようと思っているとすれば、性癖が及ぼす本人に対しての反動もあってしかるべきであろう。
計算高いだけに、頭は決して悪くない。論理立てて物事を理解する性格に違いない。その許容範囲は広く、たいていのことが理論で片づけられてしまう。それが彼女の自慢であり、驕りである。驕りが強ければ強いほど、怯えも大きいようだ。
ただその怯えも目の前の相手にしか分からないもので、他の人には気付かれないようになっている。実に不思議なものである。
百合子と真里菜、磁石でいうところの反発しあう同一極のようでもあるが、共有している部分も多い、そんな二人の関係は、つかず離れずの適度な距離を保っていることで、ひょっとすると、お互い離れることのない関係だと思っているのかも知れない。その思いは真里菜の方は変化しているようだが、百合子は不変のものであった……。
追いかける
後ろを見ると真っ暗な
伸びたる足元影たなびいて
百合子が先日ストーカーまがいのことをされた相手である桜井は、その日から、百合子に対してぎこちなくなったように感じるのは、気のせいだろうか。元々挙動不審なところがあり、会社の人たちからも気持ち悪がられていた。
もちろん、百合子も桜井を気持ち悪いと思っていた。それはドジなところがあるからで、挙動不審な人間にドジっぽいところはつきものだと思っている。まるで気持ち悪い人間の典型のようであった。
そんな桜井に一度だけとはいえ、ストーカー行為をされてから数日は、恐ろしさを抱え込んでいた。真里菜が心配そうに見ているのを知っていたが、誰にも話せないと思った。特に真里菜には知られたくないと思い、隠そうとすればするほど何かを悟られそうで怖かった。
真里菜には勘が鋭いところがある。しかも、話をしていると誘導がうまい。かといって黙っていて会話がないと、これほどつらいものはない。なるべく真里菜に関わらないようにするしかなかった。
痛いところをつかれると、きっと精神的に辛くなり、そのまま鬱状態に陥ってしまうかも知れないと思った。それこそお互いに反発しあいながら、共有する部分をたくさん持っているという仲、独特の感覚なのであろう。それを思うと、足が攣った時などのような気付かれたくないという思いに似ているように思う。下手に気にされると、却って気を遣ってしまうからだ。
会社でも一人の桜井が、プライベートで誰かといるというイメージなど湧いてこない。ましてや女っ気など彼のまわりから感じることもできず、その思いがさらに気持ち悪さに拍車をかける。
百合子が一番気にしているのは、桜井にあの日、電車の中で目の前に立っていた男性に感じてしまっていたことを気付かれたのではないかということだった。
今までに感じたことのない感覚をあの時に初めて感じた。何か新しい自分を発見したような不思議な気分に浸っていたのを、一時間も経たないうちに桜井の登場で、気分を一気に縮められたのだ。百合子からすれば、桜井に対して嫌みの一言も言いたいくらいだが、まさか言えるはずもない。言ってしまえば、百合子が保っていた自分の立場を自らが崩してしまうことになるからだ。
桜井のことを気にしないようにすればするほど、気になってくる。気にしないようにすれば確かに気が楽なのだが、一度忘れてしまうと、思い出した時の反動が恐ろしい。一気に落ち込んでしまい、鬱状態になりかねないからだ。
今までに百合子は何度か鬱状態に陥ったことがある。その都度、
――鬱状態に陥った原因って何なのかしら?
と思ってきたが、最近になって分かるようになってきた。
辛いことや嫌なことから目を逸らそうとして、自分が楽になろうとした時、本当に気が楽になりすぎて、我に返った時の反動から、鬱状態に陥ることが多かった。鬱状態に陥ってすぐの時は、何が何か分からずに辛いことも感覚がマヒしてしまっているので思い出すこともないが、鬱状態そのものがまるで自分ではないようで、何が辛いのか分からなくなってしまう。
作品名:短編集70(過去作品) 作家名:森本晃次