短編集70(過去作品)
ストーカーというのは、相手に自分の気持ちを悟られたくないと思っていて、なるべく表に出さないようにしているために、無理をしてしまい、精神に異常をきたした時に起こる病気のようなものだと百合子は思っていた。実際にその思いは消えることはなかったが、先日のストーカー、つまりは桜井という男の気持ちも分かるということになり、それが悔しい思いに繋がっていくことにまたしても、情けなさを感じるのだった。
――情けなさ過ぎて、涙も出ないわ――
元々、涙を流すことのない百合子だが、涙など最初から自分にはなく、その分が血液になっているのではないかと思っていた。献血にいけば、
「これだけ濃い血液なら、こちらとしてもありがたいですね」
と血液センターの人から皮肉(?)を言われたものだった。ただ、それがその時は皮肉だとは思わなかった自分は、何かに燃えていたのかも知れないと思ったが、時間が経ってしまえば、すべてが過去のこととしてどこかに置き忘れてきたように思えてならないのだった。
真里菜を見ていると、不思議に男性の気配を背後に感じることはなかった。百合子もそれほど男性経験があるわけではないが、大学時代に男性をとっかえひっかえしていた友達がいたが、明らかに彼女から、男性の臭いがしてくるのだった。それはタバコを吸う人間、そしてその近くにいる人間が醸し出す臭いに似ていて、すぐに身体に染みついてしまうもののようだった。
だが、それは本人に分かるものではないらしい。まるで鏡でしか自分を確認できないかのように、臭いも分からないものだった。
百合子にとって女の色香を感じるのは、男の臭いのする女性だった。自分などまだまだだと思っていたが、まさか真里菜もまだまだだというのだろうか?
その代わり、真里菜の身体からは別の臭いを感じることができる。それは男性の臭いとは違って、臭いというよりも酸っぱい感じの臭いだった。臭さよりも強烈に感じられるが、それが男性の臭いよりも、ひどいものではないことを百合子は知らなかった。
――それにしても、この臭い、嫌いじゃないわ――
と思ったが、それは真里菜に悟られてはいけないものだと思うのだった。真里菜に悟られるようなことがあれば、すぐに付け込まれるに違いない。付け込まれたら最後、ずっと付きまとわれる気がして仕方がなかった。
――それにしても、あの妖艶な雰囲気、嫌いにならないのはなぜかしら?
どこか懐かしさすら感じる。
――そうだ小学校の頃だ――
百合子が小学三年生の時、小学五年生だった女の子が近くに住んでいたが、何かといえば百合子を家に呼んで、一緒に遊んでいた。それまでは公園で男の子と遊んだりするのが好きだった百合子なのに、急に友達から、しかも女の子から遊びに誘われて戸惑いもあったが、なぜか断ることができなかった。彼女は百合子の言うことは何でも聞いて、百合子に命令してもらいたいくらいであった。百合子は彼女に逆らうことをしなかった代わりに、一緒にいる時の自分が優位に立っていることに満足していた。ついつい相手との優位性を比較したくなるのは、その頃からの影響が大きいようだ。
百合子にとってその時の友達は、相手よりも優位に立てるのだが、どこか命令調なところがあって自分の方が、圧倒されていることを分かっていた。分かっていたのだが、どうしようもなく、言われるままに一緒にいたという経緯である。
その女の子は小学五年生にしてはませていた。あの頃は意識をしていなかったが、今思い出しただけでも、口には出せないような恥かしいことをさせられたりした記憶がある。意識がなかったのは不幸中の幸いだったが、まだ幼い身体には何がいいのか分からなかった。彼女は分かっていたようで、それが今でもませていたと思うゆえんでもあった。
その頃から百合子は男の子と遊ばなくなった。男の子と一緒にいるのが、急に恥かしくなったのだ。それを話すと、
「私も小学三年生の頃は、男の子と遊ぶのが恥かしかったものよ。あなたも私と同じ素質があるのかも知れないわ」
と、彼女は言っていた。
最初に「オンナ」を感じたのは、彼女だった。中学に入る頃には百合子と連絡を交わすこともなくなったが、小学五年生になった百合子は、すでにクラスで一番背が高くなっていたが、女性的な身体とは程遠かった。
それでも身体は女になるもので、初潮も迎えて、それがやけに照れ臭かった。驚きよりも照れ臭さがあった。初潮の話は彼女を見ていれば分かったことで、大人の仲間入りだと聞いていたのに、大人のオンナに変わる雰囲気がないことが照れ臭かったのだ、
照れ臭いというよりも、本当であれば恥かしさを感じることが大人の女への入り口のはずなのに、それがなかったのだ。
大人になっているのは背の高さを考えれば分かる。それが次第に女性ホルモンと男性ホルモンのバランスが崩れ、男性ホルモンが多いのではないかと思うようになったのは、高校に入ってからだった。
やたら、女の子にモテたからだ。本当は男性と付き合いたいという気持ちがあったが、それを押し殺してしまわないと、その状況に耐えられないと思ったのだ。
女の子は私から見ても羨ましかった。自分にないものを持っているという思いがあるからだ。彼女たちの百合子を見る目は男性を好きになる目とは違っていた。
「慕っている」
という目をしていたのだ。それを好かれているという感覚でいると、大きな間違いを犯してしまって、意識が堂々巡りを繰り返し、抜けられなくなってしまうかも知れない。慕われていると思っている分には、まだまだ自分が女性として見られたいという意識を持っている証拠なので、安心だが、その思いが消えてしまうと、自分を見失ってしまうのではないかと思い、怖くなるのであった。
怖くなる反面、心の奥から迫ってくるドキドキとした感情が湧いてくるのも事実だった。子供が新しいおもちゃを手に入れて、どのように遊べばいいのかを模索する楽しさに似ているようだった。だが、実際には自分の感情は子供に対してではなく、もしもおもちゃに感情があれば、そのおもちゃの方であっただろう。そう思うと不思議な感覚に襲われるのだった。
だが、彼女たちの感情は百合子を慕っているものであって、それは女性が男性を見るそんな目であった。そんな百合子なので、真里菜のような女性からみれば、たまらない感情になってしかるべきなのかも知れない。
確かに外見はスラット背が高く、いつもショートカットにしているので、男性っぽい感じであるが、精神的には女だという意識が強い。子供の頃は男勝りなところがあり、女の子から慕われるのも悪くないと思ったが、大人になってからの百合子は恋もすれば、化粧も施す普通の女性に違いない。
――どこに私の男っぽさがあるというのだろう?
誰かに訊ねるわけにもいかず、真里菜を意識しながら、悶々とした日々を送っていた。
とにかく無視するに越したことはない。仕事だけの関係で、プライベイとは別なのだ。
ただ、自分に男性っぽいところがあるとすれば、この間のストーカーは何なのだろう? 女性からは男性の雰囲気に見られ、男性からは女性として見られ、自分の正体が何なのか分からなくなってくる。
作品名:短編集70(過去作品) 作家名:森本晃次