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短編集70(過去作品)

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歪んだ愛



                 歪んだ愛

 失恋の
  痛手を癒す男には
   怪しげなるや漂う隠微さ

 定時に仕事を終えた百合子は、会社のトイレで化粧を施す。身だしなみ程度の化粧ではなく、これから訪れる夜のための化粧であった。
――ここからの時間は私の時間――
 会社を出る前に化粧を整えるのは、会社を出る瞬間から自分がプライベートだという思いを強めるためのものだった。だが、それは最初の頃のことで、毎日の日課となってしまったことで、あまり意識をしなくなっていた。
 百合子の会社は、全国に展開している企業であるが、自社ビルを持っているほどの大きな会社ではない。ビルの中では自分の会社以外の人ともすれ違うが、何度かすれ違っているうちに違う会社の人とでも会釈を交わすようになった。そのおかげか、百合子はビル内でも評判はいいようだ、男性女性の区別なく、人気があったようだ。
 入社して五年目を迎えた。毎日同じような仕事ばかりで二、三年目くらいは少し面白くない時期もあったが、それも一過性のものだと自分で分かっていたからか、嫌ではなかったのだ。
 最初は事務員で入社した、一応大学を卒業しているので、最初は事務員というのに抵抗があったが、慣れてみると、嫌ではなくなった。慣れとは怖いものだという意識もあったが。それよりも、その頃に本をたくさん読むようになっていたので、気が紛れたのだ。
 百合子が仕事とプライベートの区別をつけるようになったのは、その頃からだった。
――仕事は仕事、趣味は趣味――
 この考え方が、その後の百合子の人生に大きな影響を与えることになったのだ。
 その頃に読んでいた本は、もっぱら恋愛小説が多かった。学生時代に多少の恋愛は経験したが、あくまでも学生の恋愛だった。社会人の男性と付き合ったこともあったが、その男性は社会人になりたての自分に自信が持てなかったようで、次第に百合子どころではなくなっていった。結局は自然消滅だったのだが、百合子にしてみれば、最悪の結末を迎えたわけだが、それでも仕方がないと思った、
――しょうがないか――
 恋愛で初めての諦めの境地だった。
 しばらくの間は恋愛をしないと心に決めた。同僚から合コンに誘われることもあったが、いつも理由をつけて断っていた。断るたびに同僚との間に不協和音が響くようになり、会話もほとんどなくなっていった。
 会社の同僚とは、元々から合わないと思っていた。先輩社員から見れば、すべてに逆らっているかのように見える彼女たち、百合子はそんな彼女たちと先輩社員とを冷静に見ていると、どちらにも自分が属していないことに気付いた。当たり触りなく、どちらとも適度な距離を置いているのが一番いいに違いない。
 百合子の上司は、いつも誰か一人をターゲットに「苛め」をしていた。言っていることはもっともなことなので、苛めというのとは違うのだろうが、モーレツもあそこまで行くと、ただの嫌みなおじさんでしかない。
 背がすらっと高く、彫りの深さはダンディという言葉が一番似合いそうな人で、外見は冷静で部下を感情をあらわにして叱るような人には見えないのだが、人は見かけによらないという。もっと違った面も持っている人なのかも知れないと思うと、不気味さも含んでいた。
 役職は課長であった。中間管理職の悲哀が、苛めに込められているように思え、いつ自分にお鉢が回ってくるか心配していたが、百合子に回ってくることはなかった。課長は、部長からの信認が厚かった。部下を叱っているところを何度も見ているにも関わらず、部長は見て見ぬふりをしているのだ。
――どういうつもりなのかしら?
 不思議でしょうがなかったが、課長は人間的には悪い人ではない。会社を一歩離れると、後腐れのないあっさりした性格をしていたのだ。
 課長の名前は、江崎信也という。江崎課長が赴任してきたのは、百合子は三年目に入ってからのことだった、仕事では充実した毎日を過ごしていたが、ちょうど同僚と先輩社員との距離を置いていた時期だったので、人間関係はぎくしゃくしたものだった。先輩社員、同僚や後輩社員、それに自分と、誰が一番まともなのかと考えたりもした。ひょっとして誰もがまともではないのかも知れないと思うと、百合子は余計に自分が孤独に感じられた。職場環境としては、あまりいい環境とは言えないだろう。
 その頃からか、会社が面白くなくなってきた。仕事は楽しいが、人間関係がまともでないと面白くない。全体的には、嫌だったのだ。恋愛小説を読むようになったのはその頃からで、ベタな恋愛小説から、ドロドロとしたものまで一通り読んでみたつもりだった。中には官能的な小説もあり、自分が主人公になったような気持ちで読むと、身体がとろけてくるような錯覚を覚えた。
 ドロドロとした恋愛小説の方が官能的で、自分が不倫に憧れを持っていることに気が付いたのもその頃だった。百合子は独身なので、相手が既婚者でないと成立しない不倫。自分に奥さんがいる男性を相手にできるかどうか疑問ではあるが、想像してみると結構楽しかったりする。
 恋愛小説を読んでいると主人公になる自分と、主人公を冷静な目で見ているもう一人の自分がいることに気付く。もう一人の自分こそ、先輩社員と同僚たちとの間で適当な距離を保っている自分そのものに見えてくる。
 恋愛という言葉とは程遠いようなドロドロした愛憎絵図が展開される中、百合子は一時期、会社に通うのが嫌になった時があった。最初はそれが恋愛小説を読んでいるからだとは思わなかったが、恋愛小説を読んでいるからだけだと思っていると、何かが違っていることに気付いた。
 鬱状態に掛かっていたのだ。
 本来なら、鬱状態に掛かっているから会社に行くのが嫌になったという構図を思い浮かべてしかるべきなのに、鬱状態になった原因が恋愛小説を読むことに由来しているからだったということだったのだろう。
 それまで鬱状態というものに掛かったことがない。落ち込むことはあっても、その理由がハッキリと分かっているからである。しかも、鬱状態には躁状態が対になっていると思っているので、冷静になることが多い百合子に、躁状態など想像もつかなかったのだ。
 恋愛小説を読んでいると、鬱状態に陥りそうな場面がいくつか出てくる。思い込みの激しい百合子は主人公に思い入れすぎてしまうのも仕方がないこと。そうなると、体験したくなるのも無理のないこと、しかもそれが不倫だったりするから厄介なのである。
――やはり私は不倫に憧れているんだわ――
 不倫の対象になるような男性はまわりにはいない。一番考えられるのは部長や課長と言った上司であるが、あの二人には間違っても不倫を感じることなどないように思えた。それは相手も同じであろう。特に課長はターゲットを百合子に向けることはないが、その代わり、百合子に対して他の女性に向ける視線と違うものがあった。男性の厭らしい視線を感じると思うのは百合子だけであろうか。
 会社の帰りの電車の中、いつになく人が多く、まさしく帰宅ラッシュに居合わせていた。――嫌だわ。いつもよりも人が多いわ――
作品名:短編集70(過去作品) 作家名:森本晃次