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短編集70(過去作品)

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 スナックの女の子に、親の離婚を経験した人がいて、その人が言っていた。彼女も結婚しているので、しみじみと語っていた。脱力感を感じながら、身体の奥から絞り出すように話しているのを見ると、それが本音であることはすぐに分かったのだ。
 佐竹さんの言葉に対して、私は少し複雑だった。本当は、彼をあまりいいように言ってもらえなければ、彼と別れて、佐竹さん一人を見つめていくことができるのにという思いがあったからである。
――佐竹さんって、思わせぶりなところがあるのかしら?
 思わせぶりというよりも、少し意地悪にも思えた。お互いに分かって色ことをわざと感情をくすぐるようなことをするのだ、サディスティックと言ってもいいだろう。
 そんな佐竹さんの態度にくすぐったいやら心地よいやらで、触れるか触れないかの微妙な感覚を、絶妙に心得ているのかも知れない。
 だから、佐竹さんから洗脳されているのではないかと思うのだ。佐竹さんに対して、何も感じない時が時々ある。まるで感覚がマヒしているかのようで、麻酔が効いているのではないかと思うのだ、麻酔が効いている時というのは、その部分だけが身体から離れて、まったく違うところにあるような感覚である。感情に麻酔が効いていて、感覚がマヒしてしまったのならば、どれほどの心地よさを伴うのかを想像してみたこともあったが、想像が及ぶものではなかった、それは想像ではなく、妄想の世界を自分で作り上げ、そこに入り込んでしまうことになるのだった。
 自分が時々見る鏡の世界。これもマヒした感覚が作り上げたものではないだろうかという思いを抱いたことがある。深く考えようと思い、考えを巡らせてみたが、結果は文字通りだった。
 というのも、ある程度のところまでくると、考えは行き詰まり、そこから先にはいかないのだ。堂々巡りを繰り返すのだが、最初は堂々巡りを繰り返していることにすら気づかない。分からないので、自分では前に進んでいるつもりになっている。そのせいで、自分がいる場所が永遠に分からなくなるという不安を漠然として感じるのだった。
 男の人への神秘性は、当然のごとく身体の作りの違いから生まれてくるものだ。男と女が求め合うのは、気持ちはさることながら、身体ありきのことでもある。寂しさを満たすのも身体にマヒした感覚を味わうことで、
「生きていてよかった」
 と思えるほどの快感を味わうことである。全身で感じる前に、相手の表情であったり、気持ちであったりと、心地よさをくすぐる感覚が前戯となって、まるで身体の奥から吹き出してくるマグマを予感させる震えが身体を襲うのだ。
 鏡の中の私を、今までは母親をイメージしていたが、今は新しい人が現れた感じがしていた。最初はそれが誰だか分からなかったが、それが飯田みゆきであると思うようになるまで、少し時間が掛かった。
 母のイメージが消えたわけではない。むしろ強くなったと言ってもいい。母とみゆきとが似ているというわけではないのに、どうして鏡の中の自分と重なって見えたのか、考え込んでしまった。
 それは、最初から二人を並べて比較したわけではないからだ。鏡の手前にいるのはあくまでも私というだけで、夢に見るのは自分で似ているという意識が潜在意識としてあるからではないだろうか。潜在意識がなければ、みゆきを意識することもなく、弟の彼女だというだけのことで、頭の隅に置かれるだけのことだったはずだ。
 私は、みゆきの正体を見極めたいという衝動に駆られていた。もちろん、大切な弟が付き合う相手としてふさわしいかどうかを見極めるという意味もあるが、私の中のトラウマになりかねない憂いを取り除いておきたいという気持ちもあった。
 さらには、その中に母親の存在があったことも忘れてはいけない事実だった。鏡の中の自分が毎回違っているとしても、どこかに共通性があるのであれば、トラウマになったとしても、対処法があるのではないかと思うのだった。
 みゆきという女性を佐竹さんと会わせるのは、彼と会わせるよりも難しいことだった。特に弟に何と言えばいいのかが難しかった。
「あんたの彼女を、私の好きな人に見てもらうの」
 などと、口が裂けても言えるはずもない。佐竹さんの存在はあくまでもお店のお客、それ以上でもそれ以下でもないというのが私との表面上の関係である。
 佐竹さんにも説明が必要だ、彼に会わせる分には、言葉は悪いが、利害関係があったのだが、みゆきに対しては利害関係はまったくない。お願いしなければいけないのだろうが、それには理由が必要である。私の夢の話、つまりは鏡の中に映った自分が、みゆきに見えたなどという夢物語を口にして、果たして納得してもらえるかどうかが問題だった。
 私と佐竹さんの仲なので大丈夫かも知れないが、ただの甘えを許さないタイプの佐竹さんには、みゆきと会うことが私の甘えだと思われかねないという気持ちもある。
 ただ、話をするなら佐竹さんにするしかないと思った。弟の性格は分かっているつもりで、話をうまく持っていかなければすぐに疑問を抱く方だった。私には弟に対して順序立てて説得する自信はなかった、説得なのだと気付かれるわけにはいかないし、順序立てると言っても、元々が私の妄想に近いものなので、理詰めできるはずもないからだった。佐竹さんは、私の気持ちをうまく察してくれる、話をしながらでも、お互いに進歩する会話ができるのが、佐竹さんとの間柄で新鮮なところであった。鏡の中の世界を想像であっても、ウソのように私が思わないようにさえしていれば、佐竹さんならきっと分かってくれるだろう。
「そういうことなら、会ってあげよう。だけど、私がしおりの思っている通りのことを答えたらどうするんだい?」
 私は絶句してしまった。佐竹さんには、私に似ているところがあるというような具体的なことを話しているわけではない。ただ、差し障りないように会ってもらえると嬉しいと言っただけだった。
 佐竹さんは続けた。
「そんなに深刻にならなくても大丈夫だよ。私は別に答えを期待して、しおりに質問したわけじゃない。しおりが会ってほしいということは、彼女に何かを感じたということになるからね。そしてもし何かを感じたのだとすれば、それはきっとしおりが身近な誰かと比較してのことだろう。私が見ている限り、しおりが比較して気になるような女性が友達にいるような気がしないんだ。となると、それはしおり自身と比べてということになる。似ているか何かだろうね。でも、なかなか自分のことは分からないものさ。しおりが自分と比較して気になるところがあるとすれば、それ以上何かを知ろうとすると、他の人の目が必要になる。そして白羽の矢が立ったのが、私ということになるんだろうね」
「すごいわ。そこまでお見通しなのね」
「でも、あまり心配することはない。今も言ったように、自分のことというのは自分では分からないものさ。取り越し苦労ということもある。だけど、自分と比較してのことだけに心配なのは分かるよ。でも私から見て、しおりは自分で考えるほど、危ない女の子じゃないということだよ。だから心配することはないと言ったんだ」
作品名:短編集70(過去作品) 作家名:森本晃次