電子音の魔力
そういう意味で、意識の感覚は完全に目が覚めるという状況に影響を与えるものではない。きっと目が明いてから意識が現実に引き戻されて、朦朧としていない状態になるまでは、一定なのではないかと思っている。
ただ、これには個人差があるだろう。実際の時間では人それぞれなのだが、意識としては一定している。この感覚も錯覚を与えるには十分なものではないだろうか。
瀬里奈はこの話も郁美としたことがあった。
「死にたくなることがある」
というところまで踏み込んだ話ではなかったが、
「完全に目が覚めるまで」
という感覚について話をしたことがあったのだ。
郁美の意見としては、
「私もそういう意見を持っていたことがあったんだけど、意識が朦朧としている状態で夢を見ていたはずのことを完全に思い出せないと感じることはなかったわ」
「というのは、意識が朦朧としている間では無理なことだと感じているということなのかしら?」
「そういうことね。瀬里奈の意見も分からなくもないんだけど、意識が朦朧としている状態で考えたことが、意識がハッキリしてから覚えているということも珍しいように思うの。人それぞれなのかも知れないけどね」
という郁美の話に、
「確かに人それぞれと言ってしまえば実も蓋もないような気がするんだけど、人それぞれという言葉、都合のいい表現よね」
と瀬里奈がいうと、一瞬ムッとした郁美だったが、
「そうかも知れないわね。でも私の言っていることは正論だと思うわ」
「瀬里奈が正論を当たり前のことのように言うのって、私には抵抗があるわ。でも瀬里奈がそういう言い方をするということは、正対して話をしている私の挙動が、瀬里奈をそんな表現にさせているのではないかと思うと、少し面白い気がするわ」
と郁美は言った。
瀬里奈に対して郁美は、言いたいことを言うことが多かった。下手に気を遣われることを嫌う瀬里奈の性格を熟知しているので、言い方はソフトでも、皮肉めいた言い方をすることもしばしばあったのだ。
この時の郁美は、気を遣っていないだけではなく、実際に苛立っていたのかも知れない。郁美が面と向かって、
「正論」
などという言葉を口にするなど、なかなかないことである。
まるでわざと瀬里奈を怒らせているのではないかと思うほどの雰囲気に瀬里奈は、郁美の気持ちを察しているつもりになっていたが、ひょっとすると自分が郁美に翻弄されているのではないかと思ったりもした。
瀬里奈は郁美がどうしてその時怒りを感じたのか分からなかったが、この時の短い会話を忘れることはなかった。
瀬里奈は自分が死にたいと思ったのは、その時の郁美との会話があったからではないかと思うようになった。ただ郁美の言っていることに対して瀬里奈が違和感を感じるというのはある意味筋違いではないだろうか。なぜなら、
「人と同じでは嫌だ」
という感覚を持っているのだから、
「人それぞれ」
という言葉は、いかにも瀬里奈風と言ってもいいくらいなので、何も瀬里奈が目くじらを立てる必要もないはずだ。
それを思うとおかしいのは瀬里奈の方であり、郁美と話をしたこの時は、精神的に隔たりがあったのか、噛み合っていなかったのは一目瞭然だった。
瀬里奈の方がずれていたのか、それとも郁美の方がずれていたのか、それとも二人ともずれてしまったのか、もし、二人ともずれていたのだとしても、最初から二人ともずれていたとも思えない。触発があったと考えてもいいだろう。そうなると、やはり最初はどちらかがずれていたことになり、最後の考えは成り立たなくなってしまう。
ただ、この話の後から、明らかに瀬里奈は自分の中で心境に変化がもたらされたということを意識していた。何を元に心境の変化というのか分からないのだが、その時に郁美は瀬里奈に何か期待していたのではないかと今となって考えればありえないことではなかった。
瀬里奈が死にたいと目が覚めてから感じたのは、見ていた夢を覚えていたからではない。どんな夢を見たのか思い出そうとしても思い出せないということは、怖い故ではなかったと言えるだろう。ただ、
「夢の続きを見てみたい」
という感覚になったわけではないので、忘れてしまったことの第一の理由というわけでもないようだ。
死にたいと今までに感じたのは、具体的に何か理由があったわけではない。苛めに遭っていた頃も死にたいと思ったことは否定しないが、すぐに打ち消していた。
死にたいと感じるというのは、他の人も自分と同じ状況に陥ったら感じることだと思ったからだ。
「他の人と同じでは嫌だ」
と思うようになったのは、苛めとは直接関係のないことだと思っている。
しいていえば。
「人と同じでは親だと思うことが苛めに繋がったという方が強い気がする。この感覚がすのまま表に出たとは考えにくい。そう思うと直接的な原因ではないと思うわ」
と思っていた。
実際に、自分を苛めていた人に、後から聞いた話によれば、
「あなたに対して苛めたいと思ったことは本当は一度もないのよ」
と言われて、
「どういうこと?」
「あなたは苛めている私が楽しんで苛めていたように感じているかも知れないけど、私の方も本当は苛めなんかしたくなかった。でも苛めをしないことで自分を許せなくなる価格が嫌だったの。苛めをしないと自分を許せないという感覚は苛められていた人には分からないと思うけど、苛めている方は本当にやり切れない気持ちになっていたのよ。仲直りしたいという気持ちも確かにあった。でも、あなたを見ると、私の気持ちをあなたが受け入れてくれるようにはどうしても思えなかったのよ」
と言っていた。
「そうなんですね」
というと、
「あなたは私に苛められて、死にたいって感じたことも何度もあるでしょう?」
と言われて、
「そうかも知れないけど、今から思えば、あまりなかったような気がするの。思ったとしても一瞬だったように思うからね」
「あなたはそうだったのね。それなら、死にたいと感じたのは私の方が多かったかも知れないわね」
「そうなの?」
「ええ、あなたを見ているとそう感じるの。そう感じてしまうと我慢できなくなって、あなたを苛めてしまうのよ」
「えっ、苛めたことを後悔して死にたくなったというわけではなくて?」
「ええ、そうなの。だから死にたいと思う理由は何だったのか、思い出すことはできない。もっとも、そう感じていた時も、その理由を理解していたかどうか、自分でも分かっていないのよ」
死にたいと思ったことが、自分を苛める理由になるとは思えない。つまり彼女の言い分に間違いはないだろう。
「もし、死にたいと思わなければ、私を苛めていなかったと思いますか?」
「ええ、あなたを苛めていたとは思いませんけど、他の誰かを苛めていたように思えますね」
「ということは、死にたいと感じたことでターゲットが私になったということ?」
瀬里奈は到底納得のいく話ではなかった。
彼女の話を聞いていれば、まるで死を意識しなければ自分が苛められることはなかったと言っているのだし、しかもそれが苛めの直接な原因ではないということからも、自分がなぜ苛められていたのか分かっておらず、それがきっと瀬里奈をその後、