電子音の魔力
後から考えたようと思った時点で、瀬里奈は記憶の奥に封印してしまったに違いないからだ。
記憶と意識のメカニズムについて瀬里奈は、
「それぞれに意識として別のものであり、いったん意識から離れたものを記憶として残してみたり、封印したりする。そのほとんどは封印されたもので、後から思い出すことはないもののように思う。封印したものは、思い出すことを前提にしていないんだわ」
と考えるようになっていた。
それは、高校生になってから考えるようになったことで、その意識はやはり、
「以前に考えたことがあるような気がするんだけど、どうしても思い出せない」
という思いが頻繁になってからだった。
中学時代まではそれほど多くなかったこの感覚が、高校生になってから急に増えてきた。その理由を瀬里奈は、
「思春期を抜けて、感受性が敏感になってきたからじゃないかしら」
と感じるようになった。
そう思った理由の一つは、
「感受性というのは、感じるということだけではなく、身体的、肉体的にも通じる何かがあるからに違いない」
と感じるようになったことだった。
瀬里奈は、記憶と意識も似たようなものだと思っていた。
「意識と記憶は決して交わることのない平行線のようなもの。つまりは、その間には超えることのできない結界のようなものが存在しているように見える。しかし、その実質的な距離は背中合わせであり、何かのきっかけがあれば、容易に結界に道ができてしまう。記憶と意識の間に存在する結界は、決して超えることのできないものなのだろうか?」
自問自答を繰り返してみたが、結論は生まれなかった。
ただ、記憶と意識が同一の感情内に存在するということは理屈的にはありえないことだと思っている。
「もし、その二つが存在するのであれば、どちらかに信憑性はないが、逆のどちらかは、決定的な信憑性があると言えるのではないか」
と、瀬里奈は感じていた。
瀬里奈が中学生の頃に考えていた、
「結界」
という発想とは、少し違ったものである。
違うものなのだから、
「今回感じた記憶と意識の間に立ちはだかっている壁は、結界と言ってはいけないんじゃないか?」
と感じた。
しかし、結界という意味でいうのであれば、記憶と意識の間に立ちはだかる壁の方が、中学時代に考えていた壁に比べて、その言葉にふさわしいのではないかとさえ考えるようになった。
それは、中学時代から高校生になるまでの間に、
「私は成長したんだ」
という意識であり、時系列というものが成長と必ず比例しているものだということを、当たり前という認識で感じている証拠であろう。
それだけ瀬里奈は成長というものを、
「神聖なもの」
として認識し、人それぞれであるが、個人差があれど、皆平等に与えられたものだという認識でいたのだ。
音を気にするのは、
「きっと眠れないからではないか?」
と思っていたからだ。
瀬里奈は高校生になって眠れない日が時々あるような気がしていた。眠りに就くまでに時間が掛かり、眠ってしまっても、すぐに目を覚まし、目を覚ますとなかなか眠れないというなかなかじれったい時間を過ごすことが多くなった。
別に悩みを抱えているわけではないのだが、眠れない時は余計に気が立ってしまい、深みに嵌ってしまうことは分かっていたことだった。
「どうしたら眠れるようになるのかしら?」
とベッドの中で自問自答した日々があったが、結局は何もすることはなかったし、できなかった。
それでも考え方を変えて、
「眠れないものを無理に眠ろうとしても無理なんだわ」
と考えたが、今回考えた「無理」という単語は、今までの余裕を含んだ遊び部分のある言葉と違い、本当に無理なものという発想であろう。
ただ、どうして眠れないのかという理由が分かったわけではない。それなりに何か眠れない理由があるからに違いないが、その理由を分かりかねていた。気にしなければいいとはいえ、一度考えようとした理由が分からないというのは気持ち悪いもので、急に思いついた時に考えると、却ってすぐに分かったりするものだとは思いながらも、なかなか忘れることはできないでいた。
音が気になるというのは分かっていたことだったような気がして、最近では耳栓を買ってきて、使うようになった。別に耳栓をしても完全に音が遮断されるわけではなく、却って細かい音として拾ってしまうことで、余計に気になってしまうこともあったが、それでも慣れというのは恐ろしいもの、気が付けば、耳栓をしなければ眠れなくなっていた。
それを郁美にいうと、
「気にしすぎよ」
と最初はまるで他人事だった。
「そうかも知れないけど、どこから聞こえてくるのか分からない音があるというのは気持ちが悪い気がしてね」
と瀬里奈がいうと、
「それは言えるかも知れないわね。私もたまに想像もしていなかったところから聞こえてくる音を感じて、ビクッとすることがあるもん」
という郁美に対して、
「そうなの? でもそんな時に限って、その音が何の音なのかも分からないのよ。想像もしていなかった場所から聞こえてきたといっても、その音の正体すら分かっていないんだから、想像もつかないも何もないと思うの。私はそういう状態の知れない状況に気持ち悪さを感じているんだって思うわ」
と瀬里奈がいうと、
「そうね、私にもあるわ。何かの音が聞こえてくるんだけど、それが何の音か分からないってね。でも、その後に感じた、どこから聞こえてきたのか分からないという感覚の方が強く残ってしまって、何の音かということの意識を打ち消しているような気がするのね」
と郁美は言った。
「その正体を郁美は分かったの?」
「私は分かったような気がするわ。それも友達とお話をしている時に急に思いついたのよ。その人がヒントを与えてくれたというべきなのかも知れないわね」
「どういうことなの?」
「その時は音に対してのお話はしていたんだけど、今話題に上っている話に直結していたわけではないのよ。その人がふと言った言葉が急に引っかかったのよ」
「何って言ったの?」
「その人がいうには、『電子音というのはどこから聞こえてくるか分からない』って言ったのよね。その言葉を聞いた時、目からうろこが落ちた気がして、それまでどんなお話をしていたのかということすら忘れてしまうほどの衝撃だったように思えたのよ」
「電子音……」
瀬里奈はその言葉を聞いて、少し考えていた。
「要するにデジタルな音ということよね。つまりは何かの電源が入った音だったり、携帯電話の着信音だったりね。家の呼び鈴なんかもそうかも知れないわね」
と言われて、瀬里奈はハッとした。
「確かにそうよね。同じ着信音を使っている人がまわりにいて、その人の携帯が鳴ったりすると、自分の携帯なのか、他人の携帯なのか、一瞬では分からないものよね。私はきっとその音が気になったのかも知れないわ」
と瀬里奈は思った。
「私、最近音が気になるせいであまりよく眠れないのよ」
「えっ、そんなに神経質になっているの?」
と郁美は驚いた。