電子音の魔力
瀬里奈は自分に見つめられ、その顔に恐怖を感じた。どうして恐怖を感じたのかすぐには分からなかったが、それも目が覚めるにしたがって分かってきたような気がした。
――そうだわ、あんなに誰かを真正面から見つめたことなど今までになかったからなんだわ――
ということだった。
何事に対しても自分で自分を信じることのできない瀬里奈は、いつも顔を背けていたような気がする。それは相手があることであっても同じこと、相手に対してよりも、自分の中にいるもう一人の自分に対してだったように思えてならなかった。
――これが、人の顔を覚えられない理由なのかも知れないわ――
それだけの理由だとは思わないが、これ以上の理由が他にはなかったように思う。
ただ、それ以下の理由もありえないような気がしているのは、やはり、理由はそれ以外には考えられないということを示しているようで、矛盾がここにもあるような気がして、「これからも、もっと自分の中にある矛盾に気付いていくのではないか」
と思うようにもなった。
瀬里奈はその矛盾の中に、
「人の顔を覚えられないことと、相対称的なものを思い浮かべることが無関係とは思えない」
と感じるようになった。
左右対称のものを覚えられないという考えは、人の顔を真正面から見ることができないからではないかと感じてもいた。
人の顔を真正面から見ることは怖いことである。
自分も一緒に見つめられるという危険性を孕んでいるのであって、こちらに隙を見せることになるからだ。
「そういえば、前に将棋の好きな人が教えてくれたっけ」
と急に思い出した。
あれは、確か学校の授業で、先生が脱線して話してくれたことだった。
その先生は国語の先生だった。数学でも理科でもない先生の話だったのが、後から思うと不思議な感じがして覚えていたのだ。
「将棋で、一番隙のない布陣というのは、どういうものなのか、皆さんはご存じですか?」
というものだった。
皆が、誰も発言せず、顔を見合わせている様子を見て、先生はニコリとほくそ笑むようになり、
「それは、簡単なことだよ」
と言って、もったいぶった。
「どういうことですか?」
一人の女生徒が代表して先生に聞いた。
「それはね。最初に並べた布陣なんだよ。一手打つごとにね。そこに隙ができるんだよ。だから将棋の場合は最初が肝心ともいえる。どこを最初に動かすかというのも、ある意味大切なことだろうからね」
と言った。
「ほー」
と、皆それなりに納得していたようだが、その度合いは明らかに人それぞれだと思った。
瀬里奈の場合は驚きはしたが、それほど印象に残らなかった。ただ、
――いつか、急に思い出すかも知れないわ――
と感じたのも事実で、それが今だったわけだ。
――あの時の感覚は本当だったんだ――
と感じると、急にその時夢のことを考えている自分も、以前に、
――もう一度、同じ感覚に戻ってくるかも知れないわ――
と感じたのではないかということを思い出していた。
その記憶には信憑性があり、まるでデジャブのような感覚に陥っていた。
――以前、どこかで聞いたり見たことがあるような――
というのがデジャブであるが、その感覚はもっと曖昧なものだったはずだ。
今回思い出した同じ感覚というのは、ある程度確定的なものだったような気がするのに、それを信憑性と感じたり、デジャブと同じラインで考えたりするというのは、どこか違っているように思えた。
瀬里奈は今回の夢の中で、自分が打っていたわけではないが、誰かが打っている将棋を後ろから見ていたような気がした。
将棋を見ながら、まるで自分が打っているような気分がしたのも覚えていて、
「ああ、そこは違う」
と、声にならない声を出し、打っている人に気付かれて、後ろを振り向いたその人に、睨まれた気がした。
その人は、まっすぐに瀬里奈の顔を見つめた。その表情に怒りが感じられたわけではないが、瀬里奈はビックリして、それ以上、何も言えなくなった。どうして何も言えなくなったのか、その時は分からなかったが、今思い出してみると、
「真正面から見つめられたからだわ」
と感じたからだ。
目を逸らそうとしたにも関わらず、目を逸らすことが瀬里奈にはできなかった。明らかに、
「ヘビに睨まれたカエル」
状態だった。
汗が額から流れ落ちていて、臭い匂いを自分に感じた。それは汗の匂いでも体臭でもなく、本当にカエルの臭いだったような気がする。
――そうだわ、ガマガエルの油というのは、こういう臭いなのかも知れないって、あの時に感じた気がする――
と瀬里奈は思ったのだった。
相対称というのは、真正面だから感じるもので、瀬里奈はそのことに今になって気が付いたと思っていたが、実は以前から分かっていたような気がした。
それがどうして分かったのかというと、
「相手が自分を見つめるから分かったと思ったのだが、本当は自分が相手を意識することで気が付いたんじゃないか」
と感じたからだった。
相手を意識するあまり、威圧の気分が強すぎて、真正面から見るものは、そのすべてが相対称のように思えてしまうことに疑問を感じたからではないだろうか。
瀬里奈は、絵を描くことが苦手だった。絵を描くということを最初から、
――私には絶対にできないこと――
というイメージを持ったからであって、その思いは芸術全般に言えることであった。
絵画や文芸、そして音楽、そのすべてが瀬里奈は苦手だった。小学生の低学年の段階で、そのすべてが自分にはできないと悟ったのだが、一番最初にできないと感じたのは、絵画だったように思う。
音楽に関しては明らかにいつからダメだと思ったのか分かっている。音符を見た時から、すでに自分には音楽を遠ざけてしまう感覚があった。それが何年生の頃だったのか、なぜかハッキリとはしないが、ただ、まだその頃には絵画に対して苦手意識があったわけではなかった。それでも絵を描くことに対して違和感があったのは確かで、なぜ違和感があったのか、今それを思い出すことはできない、
絵画を苦手だと思ったのは、最初こそ漠然としたものだったが、なぜ苦手だと思ったのかというと、自分の中で受け付けるものがなかったからではないかと思えてきた。避けていたわけではないが、受け入れることができない絵画には受け入れられない何かがあるということにどこかで気付いたのだった。
それに気づかせてくれたのが、合わせ鏡の中の自分に見つめられていることに気付いた時だった。
それまでにも絵画が苦手な理由の一部は分かっていた。ただ、その理由がすべてであるとは思っていなかった。
それも苦手な理由の一部も、一つではなかった。一括りにすることはできたが、その一つ一つを納得しながらでないと、本当に苦手な理由にはならない気がした。連鎖的な発想であることから一括りにしてしまいそうだが、本当の理由は連鎖的ではないので、結局は一括りにできないことで、自分でも納得できないことだと感じていた。
一括りの中で最初に感じたのは、遠近感だった。