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電子音の魔力

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 それぞれに相手を意識することで、自分も存在できるものではないかと瀬里奈は感じるようになっていた。そこに瀬里奈が考えている「結界」という同じ感覚が潜んでいるかどうか分からない。ひょっとすると一生分からないものなのかも知れない。
 瀬里奈は世の中の、
「相対する両極端なもの」
 を想像して、思いを馳せていた。
 お互いに相手を意識しあうことがそのような感覚になるのかを考えてみると、
「本当に相対する相手を知っているのか?」
 という発想に至った。
 夜と昼とであれば、まったく重なる部分はないが、どこかで夜が昼に、昼が夜に入れ替わる瞬間がある。その間に朝があったり夕方が存在するということであるのかも知れないが、瀬里奈は、
「朝や夕方というのは、昼か夜のどちらかに含まれる」
 と思っている。
 だが、まったく同じ時間に、昼と夜は重なることはない。そのために、朝や夕方という曖昧な時間が存在するという考え方は、粗雑であろうか?
 まったく光を発しない星のように、昼も夜も、それぞれに単独で存在しうる何かを持っているのかも知れない。昼を想像すると、どうしても夜を意識しないわけにはいかないと瀬里奈は思ってきたが、別々に考えることをしなかった今までの自分がおかしかったのかも知れないと感じたりもしていた。
 そんな時瀬里奈は、
「こんな時、皆自分と同じことを感じるのかしら?」
 とふと感じる、
「自分は人と同じでは嫌だ」
 と思っているくせに、ふと人の感じることを意識してしまう自分がいる。
 それを思うと、瀬里奈は自分が怖くなる。
――私って、一つのことに集中すると、たまに我に返るような発想をすることがあるんじゃないかしら?
 と思うからだった。
 我に返るというのは、普段のポリシーに反する考えであり、その思いを予感するから、我に返ってしまうのだろうと、瀬里奈は感じていた。
 瀬里奈は昼や夜などのような相対称的なことに対して、いろいろな思いを抱くようになった。最近では自分が人の顔を覚えられないのが、このことと関係あるのではないかと思うようになっていた。
 どうしてそんなことを感じるようになったのか分からない。気が付けば、左右対称を思い浮かべていることがあるからで、どうして感じるようになったのか分からないのだから、それがいつからなのかも分かるはずがなかった。
 最近であることには違いないと思っている。ただ、最近おことと言っても、それが現実の世界で感じたことなのか、それとも夢の中で感じたことなのかによって違っていることに気付いていた。
 夢を見ていると、実に時間にばらつきがあることに気付かされる。夢の中にはその日一日の出来事のように感じる夢もあれば、子供であった自分が急に大人になっているような夢を見ることもある。
 しかもその時系列はバラバラだった。
 子供だったものが急に大人になったかと思うと、また自分が子供に戻ったかのように思うこともあった。だが、夢が覚めてからゆっくり思い出してみると、
「二回目の子供は自分だと思っていたけど、実際には違う子供だったのかも知れないわ」
 と感じることもあった。
「夢というのは、目が覚めるにしたがって忘れていくものだ」
 と思っているにも関わらず、夢のメカニズムについて考えようとしていると、不思議とその夢の内容を覚えているものである。
 ただその夢に自分の感情をこめてみたり、夢から感情を感じ取ってしまyと、とたんに覚えていたはずの夢を忘れてしまうようだ。その時も、我に返ってみると、
「夢を最初から覚えてはいなかった」
 と、いつもと同じことを感じていた。
 夢とは実に摩訶不思議なものであり、捉えどころのないものだ。それだけに、
「夢であれば何でもありなのではないか?」
 と思えるのだが、実際にはそうではないようだった。
 例えば、空を飛ぶ夢を見た時があったのだが、その夢で空を飛ぶことはできなかった。宙に浮くことまではでき、空気という水中を泳いでいる自分を想像することはできたのだが、それだけだったのだ。
 夢というものは自分が考えているよりも、もっと現実的なものなのかも知れない。普段では、
「こんなことは絶対にできない」
 と思っていることでも、普通なら、
「夢だったら、何でもできるはずだ」
 と思っているはずだと感じているのに、実際には夢の中でもできっこなかった。
 夢の中でも我に返ることはあるようで、いや、夢の中だけらこそ、我に返ると言ってもいいのではないかと、瀬里奈は感じていた。
 だから、
「夢なんだから空も飛べるはずだ」
 と、夢の中で感じた時、その瞬間我に返ったともいえるだろう。
 そう思うと夢の中であっても、絶対に自分でできないと思っていることができるはずはないのであり、それは夢だからこそと言ってもいいだろう。その思いが、夢を一種の、
「矛盾の中の無限ループ」
 へと導いているのかも知れない。
 夢が科学で証明できるものではないということも頷ける。だからこそ、我に返るのだろう。
 夢の中で最近よく覚えているのは、
「相対称的なものを見た」
 という意識である。
 普段の生活でも同じようなものを見ているはずなのに、夢の中でその意識を強く持っていたのは、ひょっとすると、
「夢なら覚めないでほしい」
 という感覚があったからなのかも知れない。
 ということは、怖い夢ではなかったのは間違いない。覚めてほしくない夢を見ていたのだから、覚えていたいという意識が残ったのだ。ただ、
「もっと見ていたい」
 という意識ではなかったような気がする。
 もしそうであれば、
「夢なら覚めないでほしい」
 という感覚よりも、
「もっと見ていたい」
 というよりリアルな感覚に近い思いを抱いたからに違いない。
 その相対称的な夢を見ている時、忘れてしまうことを恐れたから、覚めないでほしいと感じたのだと夢から覚めながら感じていた。
 その夢に鏡が出てきたことは夢から覚めながら分かっていた。きっと、前後に置いた、いわゆる、
「合わせ鏡」
 だということは分かっていた。
 ただ、鏡に写っている自分が、想像しているような合わせ鏡に写っている自分ではなかったような気がした。目の前に写っていた最初の自分の表情は、明らかに自分ではなかったように思えてならなかったからだ。
 その顔はこちらを見つめながら笑っていた。笑顔ではなく、不気味な笑いであり、その顔には何か余裕のようなものが感じられ、まるで、
「私は何でも知っているのよ」
 と言わんばかりに感じられた。
 瀬里奈がそんなに何かに対して自信たっぷりになっているところなど、今までにはなかった。自分のことなのだから、自分が一番よく分かっているはずなのに、そこに写っているのは自分であり、本当の自分ではなかったのだ。
――どうしてあんなに自信たっぷりの顔ができるのかしら?
 何かを言おうとしているように見えたが、その顔は何かを言うよりも自分たっぷりの表情をすることで、相手を威圧することができるということを誰よりも知っているという顔だった。
作品名:電子音の魔力 作家名:森本晃次