短編集69(過去作品)
「そうなの、郵送なのは、メールだと自分の作品が軽い感じを受けるからじゃないかしら? いつも原稿を取りに来てもらっていた感覚が今でも忘れられないのかも知れないわね」
小説の原稿がどれだけの重みを感じるものなのか私には分からない。だが、彼の作品はそれだけのものがあるように思う。本当は怖い小説ではないものを、まわりが勝手にホラーやオカルトに仕立てあげてしまい、怖さという意味では中途半端な小説にしてしまったようだ。だが、それだからこそ、彼の作品に魅力を感じる。聖子さんから教えてもらった話が妙に頭から離れずに、私の中でしはらくくすぶっていくような気がした。
「この作家の亡くなった奥さん、元は女優だったんですよ」
「有名な女優さんだったんですか?」
「いえ、有名というほどじゃなかったんですが、憎まれ役が多かったですね。たとえば主人公を苛める姉の役とかですね。それも不思議なのは、いつも苛める相手は弟なんですよ。妹を苛める方が絵になると思うんですけど、お似合いの役だったんですね」
そういえばそんなドラマを見たことがあった。
「あの女優さんね」
名前は出てこないが雰囲気は頭に浮かんできた。苛めている時はかなり老けて見えるが、実際には若い役も似合いそうである。
「時々、亡くなった女優さんの夢を見ることがあるんですよ。なぜか私が彼女の役を演じているんですよね。夢だと分かっているからなのか、それとも現実としてもドラマを演じているとして見ていると、他人事のように見えてくるからなんでしょうかね」
「夢を見ているっていう感覚になることは、僕も結構あるんですよ。いつもいつも分かるわけではないんだけど、夢を見ていると思った時、演じているという感覚になったり、何かに操られている感覚になったりすることもありますね」
「それって本当に自分の意思ではないかも知れないということ?」
「難しいですよね。夢というのは潜在意識が見せるものだって聞いたことがあるんですけど、夢を見ていると思った瞬間に、現実の世界でできないことは、夢の中でも起こりえないと思ってしまうんです」
「私もありますよ。夢だから空だって飛べるかと思って飛ぼうとするんですけど、膝くらいの位置に浮いているだけなんですよ」
「夢ってしょせんそんなものかも知れませんよ。自分たちで勝手に夢を大きなものに作り上げようとしているだけで、却って夢は迷惑しているかも知れない」
「そうだとおかしいですよね」
そういって、目を合わせて笑ってしまった。ホラー作家の話しから夢の話までスムーズな展開に私は満足していたのだ。
ホラー作家の奥さんの話をしている時、聖子さんの目が輝いていたように思う。さっきの聖子さんであれば、彼女が苛める姉の役ができそうな気がするくらいだった。
――じゃあ、その時の弟は坂口?
思い浮かべてみたが、しっくりくるところが怖い。
――では俺だったら?
自分が苛められてみたい思ったことなどなかったのに、さっきの聖子さんの顔を見ると苛められている自分を想像できるのが怖いのだ。
相手が誰であっても苛め方は聖子さんなのだ。私は女性から慕われていたいと思ってるはずなのに、聖子さんだけは別なのであろうか。普段が清楚なイメージを持っているから二重人格的な聖子さんを想っている自分にももう一人存在するのではないかと思えるほどだ。
「私ね。短大の時にストーカーに遭ったことがあったのよ」
「それは、スナックでアルバイトを始める前かい?」
「確かスナックに勤め始めてすぐくらいじゃなかったかしら。怖かったのを覚えてる」
「どんなことをされたんだい?」
「帰り道に一人で歩いていると後ろで気配がして誰もいないの。でも影だけが長く映っていて、私が振り返った瞬間にその人も隠れたのね。でも、壁に映った大きな影だけはどうしようもなかったみたい」
「相手もそれくらいのこと分かりそうな気がするんだけど?」
「そうなの。だからあれはわざとじゃなかったのかなって思うの。私に恐怖を煽りたてたいのか。私に自分の存在だけを知ってもらいたいと思ったのか。どちらにしても変質者でしょう? でも実際的な被害がないから、なかなか警察にも行きにくくてね」
「結局どうしたんだい?」
「信二にだけ打ち明けたら、信二が私を警察まで引っ張って行ってくれたの。最初は一悶着あったんだけど、結果的には警察に行ったのがとかったのか、それからストーカーには遭わなくなったのよね。遭うというよりも遭遇よね、結局どんな人だったかも分からないんだから、ひょっとしたら被害妄想だったのかも知れないわ」
そういって、もう一言言いたいようだったが、聖子さんは、言葉を飲んだ。その言葉が私には分かった気がした。
「自意識過剰だったのよ」
と言いたかったに違いない。
ストーカーに追われる女性を私は今までにも知っていたことがあった。
あれは大学三年生の頃だっただろうか。帰り道で一人の女性が立ちすくんでいるのを見つけた。
声を掛けようと思ったが、声を掛けることができず様子を見ていると、しばらくすると歩き始めた。その時間は夜の九時半だった。いつもだったら九時頃にそのあたりを通るのだが、その日は友達と話をしたこともあったので、遅くなったのだ。
駅を降りてからすべてが閉まってしまった商店街を抜け、いつものように住宅街に向かうまでの薄暗い路地を歩いていた。路地には適切な距離に街灯が設けられているが、老朽化しているのか、薄暗い。ところどころ消えているところもあり、薄暗さに拍車をかける。しかもいつも誰もいないことが多いので、男でも夜の一人歩きは恐ろしいところだった。
その日は影が伸びているのが見えた。普段誰もいないところに人がいると却って気持ち悪い。しかも見えていたのが影だけだというのも不気味だった。
見えている影は細長く、しかもまったく違う角度から見る影なので、歪だった。男か女かも分からずに蠢いて見える影に思わず足が竦んでしまうのも仕方のないことだろう。
もちろん相手が私を意識しているはずもない。ただ、その人が後ずさりしてくるのが分かった。影が次第に大きくなっていくのを感じると、分からなかったことが少しずつ分かってきた。
影の主は女性であった。頭を振ったみたいで、長い髪がたなびいているのが見えた。影も見慣れれば角度が悪くても少しは分かるようになり、身体のラインのしなやかさは女性のものだった。
女性の顔は最後まで見えなかったが、私は少し歩いて確かめようとした時、女性も歩き始めた。歩き方は普通で、怯えは感じない。落ち着いたので歩き始めたのだろう。何があったか分からなかったが、立ちすくんでいる間に冷静さを取り戻すというのも、女性ならではないかと思ったほどだ。女性というのは意を決するまでに時間が掛かるかも知れないが意を決してしまうと、あとは冷静になるだけだった。あくまでも私の個人的な見解にすぎないのだが。
作品名:短編集69(過去作品) 作家名:森本晃次