短編集69(過去作品)
「その彼女というのが、姉ちゃんに雰囲気が似ていて、しかもアルバイトでスナックの経験もあるという。清楚なところが一番気に入ったところでもあるんだけど、彼女を見ていると、姉ちゃんを思い出す。そのうちに俺が姉ちゃんを好きだったんじゃないかって思うようになると、彼女が「彼女」ではなくなってしまったんだ。ましてや結婚などとなると、すぎに結論の出せるものではないしな。だけど彼女のことも好きなんだよ。情が移ったというだけのものではないと思うくらいにね。だから、気持ちを無下にしたくないし。そういうところでいろいろな選択肢を一つ一つ潰していった方がいいじゃないかって思うようになっていったんだ」
坂口の口から、姉を好きだと聞かされて、複雑な気持ちだった。私の恋心とはまた違ったもので、ある意味「禁断の恋」である、禁断なだけにどうしていいか分からない気持ちもよく分かる。かといって、他のことならいざ知らず、聖子さんのことともなれば私にとってもうかつなことは言えない。
坂口は、それ以上聖子さんの話をしなかった。聞いてもらってスッキリしたということなのか、仕事の話などの世間話になった。その中で、
「お前には彼女とかいないのか?」
という話になり、いないと答えると、今度は好みのタイプの話になった。
正直私の好みというと、聖子さんとは少し違う。清楚な雰囲気で大人しいタイプの女性が好きなのだ。
「そうだな、大人しくて慕ってくれるような女性が好きだな」
と答えると、坂口の顔に奇妙な笑みが浮かんだ。
「そうか。実は俺もそうなんだ。お前とひょっとすると、似たようなタイプを好きになるのかも知れないな」
ドキッとした。私が聖子さんを好きになったということを見透かされているような気がしたからだ。
「大人しくて慕ってくれる女性って従順だろう?」
どうやら聖子さんを好きになったこととは、話の内容から赴きが違っているように思えた。
「そうだな、従順なんだろうな」
とはぐらかしてはみたが、確かに坂口の言う通りだった。私が今まで好きになったり付き合ったりしたことのある人は、ほとんどが従順だった。そしてそれこそが私の求めているもので、きっとまわりに、
「俺はこんなに従順な彼女を従えているんだぞ」
と自慢したい気持ちだったに違いない。まわりに何も自慢できるものなどない私にとって、せめて彼女くらい自慢してみたいと思っても無理のないことだろう。
だが、本当は自分のことで自慢したいのだ、いくら肉親だったり好きな人であっても、その人の自慢はその人のものでしかない。それを自分の自慢と置き換えてしまったら、その時点で私は自分ではなくなってしまうくらいに思えてしまう。それは相手が自分で手に入れた自慢であって、容姿や持って生まれた性格などは、私が自慢しても問題ないのではないだろうか。そう思うとことで好きな女性のタイプが私の中で形成されていった。
そんなことを考えていたが、坂口には少し違った見方があるようだ。
「俺って、時々自分がSじゃないかって思うんだ」
「Sって、あのS?の世界の?」
「S?というといかがわしいイメージがあるだろう? だけどな、S?って昔からヨーロッパでは貴族などの紳士、淑女の社交だったりするらしいんだ。偏見の目で見てしまいがちだけど、それだけではないのかも知れないぞ」
私の頭にムチや蝋燭、ロープなどのグッズが浮かんできた。薄暗く赤い光の下、アイマスクをした二人の男女が絡み合っている。肝心なところは想像でしかないことから、壁に映った影が想像を膨らませてくれる。蝋燭が風に揺れて、影も揺れながら、暗闇に消えてしまいそうになっていた。
元々変わったところがあると思っていた坂口だったが、まさか彼の口からS?の話が出てくるなど思いもしなかった。ひょっとすると社会人になってから悪い先輩に教えられたのかも知れないと思ったが。
「人間、突き詰めればSかMなんだ。もしお前はSかMのどっちなんだって聞かれたら、お前はどう答える?」
「Sだろうな」
正直、Mは考えられなかった。苛められて喜ぶなど想像しただけで吐き気を催しそうである。
「そうだよな。SかMかって聞かれて、Mだって答えた男性を俺は知らない。ということは、Mだと答えるやつがいるとすれば、それは本当のMなのかも知れないな」
「それなら女性にも言えるんじゃないか?」
「女性はまずMだと答えるだろうね。普通に見える人でSだったらかなりのギャップがあるからな。確かにSだと答える女性がいれば、その人は本当にSなんだと思うよ」
私はSだと答えた時、思わず頷いてしまいそうになった。言われてみればSである。そしてその証拠が大人しくて清楚な雰囲気の女性がタイプであることだろう。
かといって、女性を実際に苛められるかと言えば想像がつかない。逆に苛められる方の想像がつきそうだった。
S?についてまだ少し考えてみた。
苛められながら快感に浸る女性の目を思い浮かべてみた。苦痛の中から哀願する目は、私をドキッとさせるに違いない。Sの男性がMの女性を苛める喜びは、その表情を見たいがためではないかと思う。男にとっても女にとっても、その時間は至福の喜びなのだろうが、その時の時間を短く感じるか長く感じるかは私には分からなかった。それこそが二人の間にできている信頼感が作り上げる世界と時間なのだろう。
本音たる
深層心理の奥深く
弾ける思い見えざる敵なり
坂口とまさかこんな話をするようになるとは思ってもみなかった。」その日、坂口とはそれ以上、盛り上がるような話をすることもなく別れた。話としては中途半端だったが、それ以上話をすればどこまで発展するか分からない。適当なところで別れたと言ってもいいかも知れない。
それからの私は大人しくしていた。スナック「モア」に行くこともなかったし、聖子さんに連絡を取ることもなかった。最初の一週間くらいは平穏な日が流れたが、さすがに気になったのか、聖子さんが連絡をくれた、
「どうしたの? 連絡もくれないし、お店にも来てくれないので、心配していたのよ」
連絡をくれて嬉しかった。心配してくれているだろうとは思いながらも、実際にこうして連絡をくれると嬉しいものだ。
「何でもないんだけどね」
「何でもないって、体調でも崩したんじゃないかって心配してたのよ。元気なら元気で連絡の一つくらいほしかったわ」
それはまるで姉が弟を戒めているような言い方だった。それを聞くと、心のどこかに不快な思いが走り、私は急に怒りがこみ上げてくるのを感じた。
「すまない」
それでも何とか冷静に話したが、聖子さんからすればいつもとの違いを感じたのだろう。それとも自分の態度に気がついたのかな?
「ごめんね。あまり強く言わない方がいいわね」
聖子さんも冷静になろうとしているようだった。
「いや、俺が悪いんだよ」
「でも、心配だから連絡くらいは入れてね」
「ありがとう」
作品名:短編集69(過去作品) 作家名:森本晃次