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短編集69(過去作品)

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 その時の旅行を、スナック「モア」に入ってきた奇妙な客で思い出していた。電車の中で見かけた男性のイメージに似ているように思えたが、顔まではどうしても思い出すことができない。きっとその後で男の去ったあとのシートがぐっしょりと濡れていたという事実が、私に男の顔を思い出させないのだった。
 スナック「モア」には、私の過去を思い出させる何かがあるのかも知れない。実は聖子さんを見ていても、ハッキリとは思い出せないのだが、何か記憶の奥にあるものを思い出そうとしているのが分かる。
 今日の聖子さんは、ピンクのようなローセのような色のブラウスを着ている。スナックの薄暗さではさらに地味な色に感じられるが、聖子さんに限ってはそんなことはなかった。
――聖子さんだから似合うんだ――
 と感じたのは、贔屓目なのかも知れないが、以前好きになった女性にも同じことを考えたからであった。告白もできずに片想いに終わってしまったのだが、後悔しているのだろうか?
 スナック「モア」にいると、ここで思い出した記憶が、一度凝縮されて、そのまま記憶の中の遠い彼方に封印されてしまうのではないかと思う。温泉旅行の時の記憶も、一度思い出して、さらに着色が加わり、意識が確立されたうえで、記憶に収まる。収まる位置が奥深いほど、一度思い出して着色されたものなのかも知れない。最初の記憶と二重で格納されないようにするための頭の中で存在している機能なのかも知れない。

 両極の
  対照的なる反発は
   いずれは重なり見えてくるなり

 就職してから、坂口とは縁遠くなっていた。聖子さんの店に行くことがなかったら、学生時代の友達の一人として終わっていただろう。そんな坂口が私を訪ねてきたのは、夏の終わりかけの、蒸し暑い日だった。
 仕事中に携帯が反応したが、メールであることはすぐに分かった。仕事中の時間に携帯のメールが鳴るなど、ほとんどないことなので、すぐに確認したのだが、それが坂口だったのだ。
「坂口が、どうして今頃?」
 内容は、
「今日、近くまで行くので、会社が終わって会わないか?」
 というものだった。残業予定もないことだし、久しぶりに坂口にも会いたかった。
「大丈夫だよ。時間はあとで電話で」
 という返事を返した。メールにしたのは彼なりに気を遣ってくれたのだろうが、今日の今日というのは、さすが坂口らしいと思った。思い付きの坂口と私は思っていたが、まさしくその通り、内容は十中八九悩み相談だと思うのだが、その悩みというのが以前から抱えていたものが耐えられなくなったことなのか、または、急に湧いて出た緊急的な悩みなのかによっても話の聞き方は違ってくる。
 坂口は結構自分の中で抱え込むタイプなので、ある程度まで我慢できても、ある一線を越えることで切れてしまえば、どうしようもなくなってしまうタイプであった。そういう意味では坂口という男、性格的には女性的なのかも知れない。
 坂口からメールをもらってからの時間はあっという間に過ぎていった。午前中と午後からでは精神的にかなり違った。悩み相談だとしても久しぶりに坂口に会える。同じことばかり繰り返して過ごしている毎日を平凡と呼ぶが、その平凡な日々にはちょっとした変化でもほのかに香るエッセンスが織り交ざっている。香織を感じるエッセンスというのは、エッセンスを加える前のものの影響を受けているということ、エッセンスは共存共栄のイメージも秘めていた。
 向かいのビルのガラスに反射する西日が相変わらず眩しい。この時期は真夏よりも余計に暑さを感じる、暑さに加えて感じるのは気だるさだった。
 気だるさを感じてくると、襲ってくるのは睡魔だった。昼下がりに眠くなることはあるが、西日に感じる気だるさで睡魔に襲われるのはこの時期だけだった。おかしな感覚だが、それは子供の頃の記憶が影響しているからなのかも知れない。
 小学生の頃、表で遊ぶことが多かった私は、本当はあまり表で遊ぶのは好きではなかった。友達に誘われて断り切れずに仕方なく、というのが本音で、友達からすれば、私は人数合わせの一人でしかなかった。
 今では小さく感じる公園も、子供の頃には広く感じた。公園のスペースをフルに使って遊びにつなげるのがうまいやつがリーダーとなっていたので、始まってしまうとなかなか終わることはなかった。
 夏の間などは結構つらかった、暑さだけではなく、湿気と噴き出してくる汗が絡まって気持ち悪い。服に纏わりつく汗で思うように動けない憤りが焦りとなってさらに汗を掻いてしまう。完全に悪循環であった。
 それでも汗を掻き切ってしまうと、時々吹いてくる風が気持ちいい。思わず身体を止めて風だけを感じたくなる。皆思いは同じようで、いいタイミングで休憩を入れてくれるとことはありがたかった。
 夏が終わりかける頃、つまり今くらいの季節になると、今度は夏の間に蓄積した疲れが表に出てくる。本人には意識はないのだが、薄々は感じている。特に夕方の時間になると疲れが噴き出してくる。夏の時間との違いは、風が吹いてきても、立ち止まって感じていたいほどの心地よさがないことだった。
 昼間の暑さはないのだが、湿気は相変わらずであった。纏わりつくような気持ち悪さはあるが、それが汗を掻くことで生まれるものでもなかった。
――何かに憑りつかれているんじゃないかな?
 と思うほどに自分の思い通りに身体が動いてくれないことがあったくらいだ。
 湿気は冷たさがあった。身体をいつの間にか冷やしてしまうことで動きを鈍くしているのではないかと思っていたが、それにしては、いきなり考えていたのとはまったく違う行動に走りそうなことがあるのだ。
 そのほとんどが、何も考えていない時で、
――無意識の中に何かが入り込む隙を作ってしまうのかな?
 と感じた。
 夕方に風のない時間帯というのも子供心に意識があった。言葉も聞いたことがあり、
――確か夕凪というんだったな――
 というのは分かっていたのだ。
 夕凪の時間とは、夕日が沈む前、夜のとばりが訪れるまでの短い時間、風の吹かない時間を言う。また夕凪の時間は、一番見えにくい時間としても認識されている。交通事故が多いのもこの時間で、昔から魔物と出会う時間帯ということで、「逢魔が時」と言われているのだ。
 夕凪の時間、光の加減の影響で、モノクロに見える時間があるという、言われなければ意識できないが、言われてみれば、
「ああ、なるほど」
 と感じる人も多いだろう。
 夕凪の時間を通り過ぎると、訪れるのは闇の支配する時間なのだが、夜になる前にしておかなければいけないことを、果たして夕凪の時間だけでできるものなのだろうか。だから、私には夕凪の時間帯というのは落ち着いた時間帯に感じられるが、実際はもっとせわしい時間帯ではないかと思うのだ。身体に痺れを感じたり、張りを感じたりと身体が異常を訴えるのもこの時間が多い。
 また夕凪の時間は空腹を訴える時間でもあった。友達と遊んでいて終わりが近づいてきたことを教えてくれるのも夕凪の時間、この時間になると空腹から想像する食べ物はハンバーグであった。
作品名:短編集69(過去作品) 作家名:森本晃次