短編集69(過去作品)
過去に行く話は、SF小説などでよく見るが、過去を変えてしまうと、未来の自分たちにどのような災いが起こるか分からない。いや、災いなどという中途半端なものではない。この世から跡形もなく消えてしまうかも知れないのだ。しかも、それは自分だけではなく、自分に関わった人すべてが消えてしまうことになる。それは変えてしまった過去から起こるはずの未来がである。
「だから過去には行ってはいけないんだ」
と言われるが、未来ならいいのだろうか?
未来に行ってしまって見なければいいもの、知らなくてもいいもの、それらを知ってしまうことは、精神的な迷いだけではなく、他にも大きな影響をもたらすかも知れない。
記憶というのも、過去、現在、未来を繋ぐ重要な架け橋である。さっきまでなかったものが一瞬にして刻み込まれ、それが次第に膨らんでくる。
――記憶に限りはあるんだろうか?
すると、おかしな話を思い出した。
――記憶がないのに、無理やり年を取らされた話なんだよな――
箱を開けると白い煙が立ち上ったかと思うと、みるみるうちに自分が白髪の爺さんになってしまったという「浦島太郎」の話だった。
今ではSF小説やアニメでは時間、時空と言ったものを自由に操り、話を作っているが、それも昔の人が浦島太郎などのおとぎ話からいろいろ想像することによって、新たな物語を作り上げていったのだ。
私はSF小説を好きで読んだ時期があった。その時に読んだ小説が頭にあるから、今小説を書いてみようと思ったようなものである。ただ奇妙な話のSFではなく、ファンタジー系だったので、今の自分の小説にどれほどの役に立っているかは分からない。
ファンタジーに飽きてくると、今度はやっと奇妙な話を読み始めることになるのだが、その出会いはセンセーショナルだった。
「大人の小説」
それが奇妙な話にはあった。短編の中で物語は展開し、最後の数行にすべてが凝縮される奇妙な話。そこにはテンポの良さをエッセンスに、小気味よいストーリーが想像を膨らませる。
ゆかりと一緒にいたここ数日間で、私は今までに味わったことのない経験をしていた。だが、そこには予感めいたものがあり、次の行動が頭に勝手に浮かんでくるのだった。それはまるで記憶の中から湧き出たような自然さがあったのだ。勝手に浮かんでくるものではなく、自然に湧き出したものなのであろう。
香織とも初めて会ったような気がしなかったし、何よりも初めて訪れたはずの金沢という土地が、本当は初めてではなかったような気がしたことが、新鮮だったのだ。
香織と出会ったとすれば、やはり金沢という土地でであろう。
――この人は、金沢のイメージがよく似合う――
最初に彼女を見た瞬間に感じたことだった。
雪のように透き通った肌の色、うなじに垂れる数本の黒髪が、和服の似合う女性であることを感じさせる。少し妖気を感じるほどの弱弱しさを感じさせるが、濡れた髪が似合っていそうで、今度は「雪女」を思わせる。
雪女の伝説も思い出していた。あれは、確か小泉八雲の小説ではなかったか。八雲と言えば出雲地方、日本海側にゆかりを感じさせる。
最初に雪女を感じたのは、ゆかりに対してだった。それがいつの間にか香織に感じるようになり、ゆかりに感じた神秘性がそのまま香織に移行したかのように思えるくらいだった。
――先輩が香織に惹かれたのが分かる気もするし、香織から離れたのも分かる気がしてきた――
香織が怖くなったわけではない。一緒にいればいるほど香織に対しての思いが一層強くなってくる。いとおしいという気持ちが強い。彼女が奥さんであるという気持ちが強いのも確かだ。
先輩の小説を思い出していた。
その小説では、主人公はある女性と恋に落ちる。主人公は学生で、女性は主婦。まるで先輩と香織のようではないか。そして、女性は先輩に内緒で姿を消し、知らない土地に行くのだが、そこで見たものは、旦那や子供と仲睦まじい様子だった。
主人公の失望は相当なもので、女性を諦めることができず、諦めることができないばかりか、想いは募るばかり。
「諦めきれなければ、モヤモヤした気持ちは、さらに相手を強く想う気持ちに変わるか、異常な行動に出るしかなくなるんだ」
先輩は主人公の考えを通して。小説の中でそう言っていた。いなくなった先輩の気持ちを察する時、どうしても小説の中のこの言葉を思い出さずにはいられない。まさに今の先輩の心境だろう。
設定は若干違うが、内容は先輩の行動を暗示していた。驚いたことにこの話が書かれたのは先輩が小説を書き始めてすぐの頃で、もちろん香織と出会うかなり前だった。
元々、あまりドロドロした話を書かない先輩にしては珍しい話だった。
「俺は女性の心の動きを描いてみたいんだ。だけど、なかなかうまくいかなくてな」
と言っていたが。どうしても自分が男性なので、男性の目線からでしか書くことができない。そのことを暗示したかのようなこの小説は、先輩にとって会心の作だと言えないかも知れないが、少なくとも読んだ者の心を掴む小説であることは私が認めたい。
「俺にはこんな小説は書けないな」
小説を書くということは、どうしても経験がなければ書けない部分、そして何かを題材にするにしても、十分自分の中で吟味できていなければ書けるものではない。そう思うとこの小説の題材がどこから出てきたのか、もっと言えばここまでリアルな心境を、どうやって取得することができたのだろうか。先輩に会ったら聞いてみたいと思っていたことだが、まさか聞く前に先輩が実践してしまおうとは、想像もしていなかった。
その小説では、主人公は、また奥さんの気持ちを手に入れることができた。それは小説ならではの内容で、反則と言われても仕方がないかも知れない。
主人公は彼女への気持ちをさらに募らせ、精神的に追い詰められていく。異常行動を示すようになり、小説では書き表せないが、表情もかなり変わっていったという。それでも先輩は何とかイメージを出そうと、変わっていく表情をきめ細かく表現していた。私の中では、
――そこまで細かくなくてもいいのに――
とその時に感じたが、今、先輩の心境に思いを馳せると、この時のきめ細かな表現から、主人公、ひいては先輩の今の表情を感じることができる。
先輩の気持ちもさることながら、今私はゆかりの気持ちに興味があった。
考えてみれば、どうしてゆかりはここまで先輩のことを気にするのだろう。これだけ冷静に見えるところを見ると、好きで好きでたまらない相手を、不倫相手のもとからどんなことをしてでも取り戻したいという気持ちを、どうしても感じることができない。もし、そんな気持ちがあるのであれば、ここまで冷静になれないはずだ。かといって他人事のようには思えない。彼女をここまで駆り立てるものは一体何なのだろう?
香織にしても、先輩のことを愛していたはずだ。それなのに平気で今の生活に戻っている。さらに不倫をしていたとう悪びれた様子もないのだ、何事もなかったかのように前の生活に戻り、先輩に未練を残している感じもない。
――忘れてしまったのか?
作品名:短編集69(過去作品) 作家名:森本晃次