短編集69(過去作品)
と感じると、これから見ることになるかも知れない愛憎絵図が余計な想像となって浮かんでくることが訝しく思えるのだった。
日本海を私は今までにまだ見たことがない。瀬戸内の海を見て、
――これが海なんだ――
と、ずっと思っていたが、瀬戸内の海がどれほど小さなものであるかを知ることにより、私はますます日本海に興味を持った。
断崖絶壁に打ち寄せる巨大な波。真っ青な海の色は水しぶきによって、潮が散乱するかのように真っ白く岩場に弾ける波を、早くこの目で見たいと思うのだった。これは先輩の行方の詮索とは別に自分の中にあった願望であり、それは今までに自分から表に出したものではなかったのだ。
「金沢には二つの川が流れているんですよ。名高さんはどちらの川も好きだって言ってましたけど、本当はどちらかの川に自分の居場所を見つけたような話をしていたことがあったんですよ。でも、その時は金沢という土地がそれほど名高さんの意中の土地だって知らなかったから、詳しく詮索することはなかったんですよね」
私は、金沢に行くことを決めてから、金沢についての本をいくつか読んだ。もちろん、有名な川が二つあって、一つが「犀川」、もう一つが「浅野川」だということも予備知識としては持っていた。
「犀川が大きな川なんですよね」
「ええ、金沢が発展したのは、犀川の水の恵みによるものだっていうことはハッキリしているんでしょうね。金沢城や、城下町から犀川にも繋がっていたでしょうし、何と言っても百万石の米どころですから、水の恵みは絶対ですからね」
もう一つの「浅野川」に関しては、落ち着いた佇まいの雰囲気が大きい。昭和の初期に描かれた恋愛小説にも浅野川が出てきたりしている。私にとっての浅野川は文学の香りのする情緒あるものだった。
――文学の香りのする情緒を感じさせる川だということは、先輩にふさわしいと言えるだろう――
最初から私は浅野川に造詣が深かった。犀川もさることながら、浅野川を見ずに、金沢に来たとは言えないとさえ思っていた。
「金沢という町は、結構入り組んでいたりして、分かりにくいところだって聞きましたよ」
と、ゆかりは話してくれた。どうやら、金沢出身の友達がいるらしく、彼女から予備知識を得ていたようだが、
「友達はずっといるから分からないことも多いんだけど、金沢に初めて訪れた人に話と話をすると、今まで自分が感じていたイメージとかけ離れているところもあったりして、新しい発見があるのよ。それが私にとっては楽しみなのね」
という話もまんざらではなかった。
特急列車が金沢駅に到着し、予約しておいた駅前のビジネスホテルに荷物を預けた。ここはレディスルームも充実していて、ゆかりも気に入っていた。部屋に入り落ち着いたら、街に出て、昼食を摂ることにしていた。
金沢の繁華街、香林坊で食事を摂り、その時に、今後の行動について話し合った。私が驚いたのは、ゆかりがすでにある程度の調査を行っていて、行動を取る場合の方法についても計画していることだった。
「名高さんが金沢にゆかりがあるとすれば、ここの奥さんが考えられます。部員の中に金沢出身の人がいて、その実家が造り酒屋をしていて、彼の姉が大阪にお嫁に行ったということでした。名高さんと知り合うとすれば、この女性くらいではないかと思ったんですよ」
「おいくつの女性なんですか?」
「二十六歳と聞いています。結婚して二年くらいということですね。子供はいなくて彼女もデザイン関係の仕事をしているとのことです。実は、彼女が先月くらいから、実家に帰っているという話を聞いたんですよ。理由についてはハッキリとは聞いていないんですが、夫婦げんかということではないようですね」
「そこに先輩が絡んでいるということでしょうか?」
「それも分かりませんが、二人が時々喫茶店で会って何か話をしていることがあるというのは聞いています。内容までは分かりませんが、楽しそうに話をしているというよりも議論を重ねているように見えるということでした。名高さんは話をし始めると、夢中になるところがありますから、分かる気はしますね」
それは私にも分かっていることだった。
名高先輩が一生懸命に話をしている時というのは、まわりが見えなくなるくらいで、えてして喧嘩しているのではないかと思われるくらいだった。その女性との話は、不倫のことについての話というよりもどちらかというと芸術的な話しかも知れない。彼女はデザイナーだということからも頷けるというものだ。
ゆかりが金沢に行こうと思い立ったのは、きっとここまでの情報を得ていたからなのかも知れない。行動力もさることながら、やみくもに動くわけではなく、ちゃんと最初に下調べをしたうえでの確証を持つことが彼女にとって一番重要なことだったに違いない。先輩と話が合ったのはそのあたりにも理由があったように思えた。
「ただ、先輩は本当にこの金沢にいるんですかね?」
「そこまでは分かりませんけど、少なくとも、この奥さんにお話を聞いてみるのは決して無駄なことではないと思うんですよ。もっとも彼女が本当のことを話してくれるかどうかというのもありますが、話してくれるのであれば、名高さんの考えも分かるというものではないでしょうか」
ゆかりという女性は、思ったよりも行動力がある。普段引っ込み思案な雰囲気がある人ほど、開き直ると何でもできてしまうという話を聞いたことがある。それは男性よりも女性に多いとも聞くし、私にとっては勇ましい限りであった。
ただ、その反面、そこまで先輩のことを好きなのかと思うと嫉妬してしまいそうだった。誰に対する嫉妬なのかと聞かれると答えようがない。先輩に対してなのか、それともゆかりに対してなのか、それだけ二人の絆が強いということであろうか。
嫉妬という意味では、ゆかりが抱いている嫉妬があるとすれば誰に対してなのか。先輩に対してなのか、それともまるで「泥棒猫」ともいうべき、その奥さんに対してであろうか。
いろいろ考えてみると面白い。相手も奥さんなのだから、旦那がいるはずだ。旦那からすれば、嫉妬を抱くとすれば誰になるのだろう。先輩になのか、それとも奥さんに対してなのか。恋愛が絡む嫉妬には、必ず相手は二人以上が絡んでくる。どちらに対して余計に恨みを感じるかということになれば、関わっている人すべての性格がそれぞれに違っていると、厄介なことになるのではないかと思えてきた。
不倫や浮気が引き起こす様々な事件、ストーカー事件から殺人事件まで、背景は様々であろうが、下手をすると私もその渦中に飛び込もうとしているのだ。
――それにしても、彼女は怖くないのだろうか?
ゆかりが先輩とどれほどの仲なのか分からないが、ここまで開き直って行動を起こすのだから尋常ではないだろう。少なくとも金沢に来るまでは、彼女がそこまで先輩を思っているとは正直思っていなかった。
作品名:短編集69(過去作品) 作家名:森本晃次